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八墓村-第六章 春代の激情(19)

时间: 2022-06-16    进入日语论坛
核心提示:──たまの留守ゆえ気楽にせんと、横になって本など読み、また思い立って手紙など書くに、帰宅後、何を読んでいたの、だれそれに
(单词翻译:双击或拖选)

──たまの留守ゆえ気楽にせんと、横になって本など読み、また思い立って手紙など書くに、帰宅後、何を読んでいたの、だれそれに手紙を書いたのと、いちいち掌たなごころをさすがごとく当てる気味悪さ、あれほど執念ぶかき人ゆえ、体は家を留守にしても、魂はつるが身につきまとい、片時も離れることなきかと思えば、いよいよ心いぶせく、気もついえるばかりの恐ろしさ……

と、おののいているところをみると、私の父というひとは、神通力を持っていたのか、留守中の母の行ないを、万事知っていて、いちいち掌をさすように当てたらしい。なるほど、それが事実とすれば、母が恐れおののくのも無理はないが、そのとき、はっと思い出したのは、あの床の間のお能の面の、背後の壁にあけてある孔のことだった。

わかった、わかった。父は家をあけると見せて、抜け孔から奥の納戸へまわり、ひそかにあの孔から母を監視していたのではあるまいか。そしてあとで何食わぬ顔をして、留守中の母の行動をあてて見せ、それによって母が恐れおののくのを、何よりもおもしろいこととして悦に入っていたのではあるまいか。それはいかにも、嗜虐的しぎゃくてき性欲の持ち主のやりくちらしかった。そうして父はか弱い母を、とことんまで責めさいなむことによって、性欲の満足を覚えていたのであろう。

かわいそうな母よ。どちらにしても彼女には、片時として心の安まるすきはなかったであろう。思えば母が、すべての想いをこの屏風に秘めたのは、よい考えであった。いかに疑いぶかい父でも、まさか屏風の中まで見通しにはできなかったであろうから。母は好きなときに、屏風の表に電気をともし、裏へ回って古い恋文を読むことができたのだ。

私はこの屏風に秘められた母の秘密のいたましさに、夜ごと枕をしとどにぬらした。そしてこの秘密に気づいたことを、せめてもの慰めと思った。ひょっとするとこれも母の魂の導きではあるまいかなどと思ったりした。しかしああ、私はまだまだ知らなかったのだ。そこにはもっともっと大きな秘密が、──私の人生観をいっぺんに変えてしまうほどの大きな秘密が、隠されていたことを。……

それは経師屋の仕事のあがる日であった。下貼りを取り出してしまったあとの屏風の繕いをしながら、経師屋がこんなことをいった。

「旦那、ここになんだか妙なものが貼りこめてあるんですがね。これもついでに取り出しておきましょうか」

「妙なものって?」

「厚紙のようなものですがね。それもじかに貼りこめてあるんじゃなくて、紙袋に入れて、袋ごと下貼りのなかに貼りこんであるんですよ。どうしましょう。これ」

それならば私も気がついていた。電気の光で透かしてみたとき、郵便ハガキぐらいの四角なものが、膏こう薬やくを貼ったように、屏風の左の肩のあたりに貼りこめてあるのに気がついていた。しかしそれがごていねいに、紙袋に入っているとは気がつかなかった。私の胸は好奇心におどった。何か大事なものが隠してあるのではあるまいか。……

「ああ、それじゃ取り出しておいてくれたまえ」

それは果たして奉書の紙でつくった袋で、口には厳重に美み濃の紙で封がしてあり、触ってみると、郵便ハガキぐらいの大きさの厚紙が入っているらしかった。

その夜私は、経師屋がかえるのを待って、その袋の口を切った。私の指は思わずふるえた。私は中のものを取り出した。そして、呆ぼう然ぜんとして眼を見はったのである。

それは私の写真であった。しかし、いつ写したのか、本人の私自身、全然記憶のない写真であった。でもあまり遠い昔の撮影でないことは、二十六、七という、現在の私とあまりちがわぬ年ごろからでもよくわかる。胸から上の半身像で、いくらか気取ってにっこり笑っている。どこかの写真屋のスタジオで、写した写真らしかったが、それでいて、私自身、全然記憶のない写真なのだ。

私は茫ぼう然ぜんとした。なんともいえぬ恐しい思いに、私の胸は千ち々ぢに乱れ、頭は錯乱するようであった。しかしそのうちに私はようやく気がついたのだ。写真の主は非常に私によく似ている。本人の私自身が見まがうばかりである。しかし、それは私ではなかったのだ。眼もと、口もと、頬のふくらみ。──瓜うり二つほど似ているけれど、どこか私でないところがある。しかもこの写真の古さ。これは二年や三年まえの撮影ではない。

わななく指で、私は写真の裏をかえしてみた。すると、つぎのような文字が、おどるように私の網もう膜まくにとびこんできたのである。

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亀井陽一(二十七歳)

大正十年秋撮す

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