と考えますと、もうからだじゅうが、じっとりとつめたく汗ばんできて、こわくてしかたがないのですが、でも、あらためて見なければ、なお気持ちが悪いものですから、思いきって毛布の中から手をのばして、その紙を取ってまくらもとの卓上電灯の光にかざしてみました。
すると、その紙には字が書いてあることがわかりました。鉛筆でなんだか書いてあるのです。
不二夫君は読みたくないと思いました。読むのがこわかったのです。でも、読むまいとしても、目はかってに文字の上を走っていました。そして、またたくまにその文章をすっかり読んでしまったのです。そして、不二夫君は、まっさおな顔になってしまいました。
それもむりではありません。そこには、こんなおそろしいことが書いてあったのです。
不二夫君
どんなことが起こっても、きみは朝までけっしてベッドをはなれてはいけない。声をたててはいけない。ただ目をつむって寝ていればいいのだ。もし、さわいだりすると、きみはどんなめにあうかもしれないよ。それがこわかったら、ただじっとしているのだ。じっとしてさえいれば、きみは安全なのだ。いいかね、命がおしかったら、そのままじっとしているのだよ。
読みおわっても、あまりのこわさに、しばらくはものを考える力もなく、ただぼんやりしていましたが、やがて心が静まるにつれて、なんともいえぬきみの悪いうたがいが起こってきました。
「いったい、これはどういうわけなんだろう。なぜ、じっとしていなければならないのだろう。きっと、じっとしていられないほど、みょうなことが起こるのにちがいない。ああ、どんなおそろしいことが起こるのかしら。……それにしても、この手紙は、どこから落ちてきたんだろう。天井には、そんなすきなんかないのだし、窓はしめきってあるのだし……。」
考えながら、ふと気がつきますと、どこからか、部屋の中へ、つめたい風がスウッと吹きこんでくるような感じがしました。
「おや、窓があいていたのかしら。」
思わずその窓のほうへ目をむけましたが、そして、あの庭に面した窓の、厚いカーテンをひと目見たかと思うと、不二夫君のかわいらしい目が、とびだすばかり、いっぱいにみひらかれ、顔が今にも泣きだしそうにゆがみました。
おお、ごらんなさい。その窓のカーテンの合わせめから、ピストルのつつ口が、じっとこちらをねらって、つきだされているではありませんか。長いカーテンの下からは、二本の長ぐつがのぞいているではありませんか。
悪者です。悪者が窓からしのびこんで、カーテンのうしろにかくれながら、さわげばうつぞと、不二夫君をおどかしているのです。手紙を投げこんだのも、この悪者のしわざにちがいありません。
悪者は息をころし、身動きもしないで、だまりこんでいます。顔も見えなければ、姿も見えません。ただ、ピストルと、カーテンのふくらみと、下から見えている長ぐつで、それと、わかるばかりです。
でも顔形が見えないだけに、いっそうぶきみな感じがします。相手が、どんなやつとわかっていれば、まだいいのです。それがまったくわからないものですから、なんだかお化けにでも出あったような、いうにいわれない、心の底から寒くなるようなおそろしさです。
お話の本には、悪漢におそわれたおじょうさんが、歯の根も合わぬほどふるえていたと書いてありました。それを読んだときには、「歯の根が合わぬって、どんなことかしら。」と、ふしぎに思ったのですが、今こそ、その気持ちがはっきりわかりました。ほんとうに上下の歯が、しっかりと、合わないのです。からだじゅうが小きざみにぶるぶるふるえ、歯がガチガチ鳴って、いくらとめようとしてもとまらないのです。
不二夫君は、ざんねんながら、そうしてふるえながら、毛布の中に身をちぢめて、かたくなっているほかはありませんでした。賊のいいつけにそむいて、たすけを呼んだり、部屋から逃げだしたりすることは思いもよりません。そんなことをすれば、むろん命がないのです。あのカーテンのあいだから出ているピストルが火を吹くのです。
その部屋は、おとうさまといっしょの寝室でしたから、すぐむこうがわに、おとうさまのからっぽのベッドが見えているのです。そのベッドのまくらもとの壁には、書生や女中を呼ぶベルのボタンがあるのです。ただ二メートルか三メートル走れば、それをおして人を呼ぶことができるのです。
でも、不二夫君は、そのベルのボタンのところまでさえ行けません。そこへ行くのには、どうしても自分のベッドをおりて、床の上を歩かなければならないからです。歩けば、賊のピストルが火をふくにきまっているからです。
不二夫君がそうして、生きたここちもなく、目をふさいで、わなわなふるえていますと、やがて、どこからか、みょうな物音が聞こえてきました。
ゴトゴト、ゴトゴト、テーブルだとかイスだとかを動かしている音です。壁をたたくような音も聞こえます。人の歩きまわるけはいもします。
「おや、あれは客間じゃないかしら。客間へ賊がしのびこんで、あのたいせつな油絵や道具などをぬすみだしているんじゃないかしら。」
寝室の壁ひとえとなりが、あの広いりっぱな広間なのです。そこには、まえにしるしたとおり、いろいろな美しいかざりものや道具などが、たくさんおいてあるのです。このおうちで、賊が目ぼしをつけるものといっては、さしずめ、あの高価な絵や道具類のほかにはありません。
壁のむこうがわの物音は、だんだんひどくなってくるばかりでした。まるで大掃除か引っ越しのようなさわぎです。書生や女中の部屋は遠いのですし、不二夫君はピストルでおどしつけているから、だいじょうぶと思ったのでしょう。賊たちは、人の住んでいないあき家をでも荒らすように、かってほうだいにあばれまわっています。物音のようすでは賊はひとりではありません。ふたりも三人もいるらしいのです。
あんな大きな物音をたてているほどですから、絵や置き物ばかりでなく、イスもテーブルも、じゅうたんも、金目のものは、いっさいがっさい、ほんとうに引っ越しのようにぬすんでいくつもりにちがいありません。門の外には、賊の大きなトラックが待っているのかもしれません。
不二夫君は、それを思うと、おとうさまに申しわけないようで、気が気ではないのですが、ざんねんながら、どうすることもできません。カーテンのあいだからは、あのピストルが執念ぶかく、ねらいをさだめていて、いつまでたっても、立ちさろうとはしないからです。うすきみ悪くだまりこんだ怪人物が、カーテンのむこうから、じっと不二夫君をにらみつけているからです。