獅子のあご
そうしているところへ、おりよく表に自動車の音がして、不二夫君のおとうさまが、帰ってこられました。朝早く東京駅につく汽車で、旅からお帰りになったのです。
不二夫君と喜多村とは、玄関へとびだしていって、おとうさまをむかえましたが、不二夫君はお帰りなさいというあいさつもろくろくしないで、息を切らしながら、ゆうべのみょうなできごとを、おとうさまにお知らせしました。
おとうさまの宮瀬鉱造氏は、ことし四十歳、でっぷりふとったあから顔に、かっこうのいい口ひげをはやした、いかにもはたらきざかりの実業家といった感じの方でした。ある大きな貿易会社の支配人をつとめておいでになるのです。
宮瀬氏は不二夫君の話を聞くと、なぜか、ひどくびっくりされたようすで、すぐさま客間にはいって、そこにおいてある品物を念入りにおしらべになりましたが、やっぱり何一つ紛失していないことがわかりました。
「ね、おとうさま、いったいどうしたっていうんでしょう。ぼく、ふしぎでしようがないんです。」
「うん、わしにもわけがわからないよ。だがね、ひょっとすると……。」
宮瀬氏は、不二夫君がめったに見たことのないような、心配そうな顔をして、何かしきりと考えておいでになるのです。
「え、ひょっとするとって?」
「わしの家にとっては、何よりもたいせつなものをぬすまれたかもしれないのだよ。」
「たいせつなものって、なんです。」
「ある書類なのだ。」
「じゃ、その書類をしらべてみたらいいじゃありませんか。なくなっているかどうか。」
「ところがね、おとうさまも、その書類が、どこにしまってあったか知らないのだよ。」
「え、おとうさまも知らないんですって? おわすれになったのですか?」
不二夫君は、なんだかへんだというような顔をして、じっと、おとうさまの顔を見つめました。
「いや、わすれたんじゃない。はじめから知らないのだよ。しかし、この家のどこかに、その書類がかくしてあることはわかっていたのだ。この家を建てたおじさんが、そのかくし場所をわしにいわないで亡くなってしまわれたのでね。あんなふうに急な病気で、遺言をするひまがなかったものだからね。」
「じゃ、そんなたいせつなものが、この客間のどこかにかくしてあったのですね。それを、どろぼうがさぐりだしてぬすんでいったのでしょうか。」
「どうもそうとしか考えられない。そんな大さわぎをして、何もぬすんでいかなかったはずはないからね。」
それ以上は、いくらたずねても、おとうさまは、何もおっしゃいませんでした。何か秘密があるのです。子どもの不二夫君などには、うっかり話せないほどの、大きな秘密があるのに、ちがいありません。
宮瀬氏はさも心配そうなようすで、しきりと考えごとをしながら、客間の中を、あちこちと歩きまわっておられましたが、やがて、何か妙案がうかんだらしく、大きな両手をパチンとたたいて、そこにいた書生に話しかけられました。
「おい、喜多村君、きみは明智小五郎っていう名探偵を知っているだろうね。」
「ええ、名まえは聞いています。さっきぼっちゃんと、その明智探偵のことを話していたのです。」
喜多村は明智と聞いて、何かうれしそうに答えました。
「うん、不二夫も知っていたのか。不二夫、おまえはどう考えるね。おとうさまは、このわけのわからない事件を、あの明智探偵にたのんだらと思うのだが。」
「ええ、ぼくもそう思っていたのです。明智さんならきっと、なぞをといてくださると思います。」
不二夫君もうれしそうに、目をかがやかせて、おとうさまを見あげました。
「ふん、ひどく信用したもんだね。小学生のおまえにまで、そんなに信用されているとすると、よほどえらい男にちがいない。よし、たのむことにしよう。おい、喜多村君、明智探偵事務所の電話番号をしらべるんだ。そして、明智さんに電話に出てもらえ。用件はわしが直接お話するからね。」
そして、電話がかけられ、明智小五郎は、宮瀬氏のていちょうな依頼を承諾して、すぐ不二夫君のおうちへやってくることになったのでした。
一時間ほどのち、明智探偵の西洋人のように背の高い洋服姿が、客間にあらわれました。よく光る目、高い鼻、引きしまったかしこそうな顔が、今、不二夫君たちの前にあらわれたのです。頭はもじゃもじゃにみだれています。ちょうど絵にある古代ギリシアの勇士のような頭なのです。
宮瀬氏は明智探偵をイスに招じて、ていねいにあいさつをしたうえ、昨夜のできごとをくわしくものがたりました。
「よくわかりました。それだけの手数をかけて、何もぬすまないで帰ったとは考えられません。わたしもこの部屋の中に、かならずなくなったものがあると思います。では、さっそく、この部屋をしらべてみたいと思いますから、しばらくのあいだ、わたしをひとりきりにしておいてくださいませんでしょうか。」
明智はにこにこ笑いながら、歯ぎれのよい口調でいいました。
そこで、宮瀬氏は不二夫君や書生の喜多村をつれて、別の部屋にしりぞきましたが、三十分もたったころ、客間の呼びリンが鳴って、しらべがすんだという知らせがありました。
宮瀬氏と不二夫君とが、急いで客間へはいっていきますと、明智は手に小さな紙きれを持って、部屋のまん中につっ立っていました。
「これをごぞんじですか。むこうの長イスの下にこんな紙きれが落ちていたのです。わたしは部屋のすみからすみまで、一センチも残さずしらべたのですが、賊はよほどかしこいやつとみえて、なんの手がかりも発見することができませんでした。ただ、こんな小さな、みょうな紙きれのほかには。」
宮瀬氏はそれを受けとってしらべてみましたが、いっこう見おぼえのないものでした。
それは長さ五センチ、はば一センチほどの、小さな紙きれで、それに左のようなみょうな数字が書いてあるのです。
5+3・13-2
「不二夫、おまえじゃないか、こんなものを落としておいたのは。」
「いいえ、ぼくじゃありません。ぼくの字とまるでちがいます。」