書生も知らぬといいますし、女中たちを呼んでたずねても、だれもおぼえがないという答えでした。
「みなさんが、だれもごぞんじないとすると、これはゆうべの賊が、うっかり落としていったものと考えるほかはありませんね。」
「そうかもしれません。しかし、そんな紙きれなんか、べつに賊の手がかりになりそうもないじゃありませんか。」
宮瀬氏がつまらなそうにいいますと、明智は長い指で、もじゃもじゃの髪の毛をいじくりながら、意味ありげに、にっこり笑いました。
「いや、わたしはそう思いません。もし賊が落としていったものとすると、ここに書いてある数字に何か意味があるのかもしれません。」
「数字といっても、小学生の一年生にでもわかるような、つまらない、たし算とひき算じゃありませんか。そんな数字にどんな意味があるとおっしゃるのです。」
「まあ、待ってください。ええと、五に三たす八ですね。十三から二ひく十一ですね。八と十一と……アッ、そうかもしれない。」
何を思いついたのか、明智はそういいながら、つかつかと部屋のいっぽうの壁に近づきました。
その壁には、旧式な、石炭をたく大きな暖炉が切ってあって、暖炉の上の大理石のたなに、金の彫刻のあるりっぱな置き時計がおいてあります。
明智はその暖炉の前にあゆみよって、両手で置き時計を持ちあげ、その裏がわや底をねっしんにしらべていましたが、べつになんの発見もなかったとみえて、がっかりしたように、それをもとの場所におきました。
「そうじゃない。もっとほかのものだ。八と十一、八と十一……。」
明智はきちがいのように、わけのわからぬことをつぶやきながら、また部屋のまん中にもどって、くわしくあたりを見まわしています。
不二夫君は、おとうさまのうしろに立って、明智のようすをねっしんに見まもっていました。あの有名な探偵が知恵をしぼっているありさまを、まのあたり見ているのかと思うと、なんだかぞくぞくするほどうれしくなってくるのです。
しばらく部屋の中をぐるぐる見まわしていた明智の目が、また、暖炉のたなにもどって、そのまま動かなくなってしまいました。
「うん、あれだ。あれにちがいない。」
明智はもう、そばに人のいるのもわすれたように、むちゅうになってつぶやくと、暖炉の前にかけより、そこにしゃがんで、みょうなことをはじめました。
れいの大理石のたなは、額ぶちのように暖炉をかこんだ、木製のりっぱなわくの上に乗っているのですが、そのわくの大理石の板を受けている部分に、横に長く、まるいうきぼりの彫刻が、いくつもいくつも、ずっとならんでいるのです。
不二夫君は、いつかかぞえたことがあって、そのまるい彫刻が十三あることを知っていました。ちょうど小さな茶わんを十三ならべて伏せたような形で、横にずっとならんでいるのです。
明智は、そのまるいうきぼりを右からかぞえたり左からかぞえたり、一つ一つ、ねじでもまわすようにいじくりまわしたり、まるで、子どものいたずらのようなまねをはじめたのです。
でも、なかなか思うようにならぬとみえて、しばらく手を休めて、小首をかたむけ、ひたいに手をあてて考えてみたり、れいの紙きれを見つめて、口の中で何かブツブツつぶやいたりしていましたが、とつぜん、「アッ、そうだ。」と、ひとりごとをいったかと思うと、また、まるい彫刻をねっしんにいじりはじめました。そして、とうとう何か秘密のしかけを見つけたらしく、やっと立ちあがって、こちらをむき、にこにこ笑いながらいうのでした。
「わかりました。ここにしかけがあったのです。今、どこかしらこの部屋の中に、みょうなことが起こりますから、注意していてください。」
そして、もう一度、暖炉の前にしゃがんで、左から五番めのまるい彫刻を、ぐいぐいと右にねじまわし、つぎに十三番めのを左にまわしたかと思いますと、どこかべつの方角でカタンとみょうな音がしました。
「アッ、獅子が口をひらいた。おとうさま、ごらんなさい。あの柱の獅子が口をひらきましたよ。」
いち早くそれを発見して、とんきょうな声でさけんだのは不二夫君でした。
その声に一同が不二夫君の指さすところをながめますと、いかにも獅子が口をひらいているのです。
暖炉と同じがわの壁に、はば三十センチほど、柱のように出っぱった部分があって、その上のほうに青銅の獅子の頭がつくりつけてあるのです。部屋のかざりなのです。その青銅の獅子が、今までかたくとじていた口を、とつぜん大きくひらいたのです。
「アッ、それじゃ、あの獅子のあごにしかけがあったのか。」
宮瀬氏は、あきれたようにつぶやきました。
「そうです。この暖炉のまるい彫刻を、この紙きれの数字のとおりにまわしますと、壁のうしろにしかけがあって、獅子が口をひらくようになっていたのです。むろん、あの獅子の口の奥が秘密のかくし場所になっていて、賊はそこから、何かたいせつなものをぬすんでいったのにちがいありません。こうしてあれをひらく暗号の紙きれを、ちゃんと用意していたくらいですからね。」
明智は説明しながら、つかつかとその獅子の前に近づき、背のびをして、ひらいた口の中へ右手をさし入れました。
「からっぽです。何もありません。」
「おお、それじゃ、やっぱり賊は、その中のものをぬすんでいったのですね。」
宮瀬氏は、青ざめた顔で、がっかりしたようにためいきをつくのでした。