魔法の長イス
それから二日のあいだは、なにごともなくすぎましたが、さて、三日めの午後のことです。宮瀬家の門のそとに、一台のトラックがとまって、ふたりの職人みたいな男が、大きな荷物をかつぎこんできました。
書生の喜多村が、玄関へ出てみますと、職人みたいな男のひとりが、何か書きつけを見ながら、
「大門洋家具店のものですが、ご注文の長イスを、おとどけにまいりました。」
というのです。書生はそんな長イスが注文してあるということを、ご主人から聞いていませんでしたが、大門という店の名は、まえにイスや机を注文したことがあるので、よく知っていました。
「今、ご主人がおるすだし、ぼくは何も聞いていないので、わからないが、たしかにうちから注文したのでしょうね。」
と、たしかめますと、男はにこにこ笑って、
「まちがいありませんよ。こちらのだんなが、わざわざ店へおいでになって、おあつらえになったのですからね。ぼっちゃんの部屋へおかれるというので、すこし小型につくったのです。」
といいながら、長イスの上にかぶせてあった白い布を取りのけて見せましたが、なかなかりっぱな長イスです。
「それじゃ、ともかくおいていってください。しかし、玄関へおきっぱなしにされてもこまるが……。」
といいますと、職人は、またなれなれしい笑顔になって、
「ぼっちゃんの部屋へはこんでおきましょうか。ぼっちゃんにも一度見ていただくほうがいいでしょうからね。」
というのです。書生は深い考えもなく、それもよかろうと思いましたので、さきに立って不二夫君の勉強部屋へ案内しました。ふたりの男は、そのあとから、おもい長イスを、えっちらおっちらと、はこぶのでした。
不二夫君にばけた小林少年は、ふいに大きな長イスがはこびこまれましたので、めんくらってしまいました。きっと、ほんものの不二夫君が、おとうさまに、こんな長イスをおねだりしたんだろうと考えましたが、かえ玉のことですから、そういう事情が少しもわかりません。ですから、小林少年としては、不二夫君ならきっとこんな顔をするだろうというような、うれしそうな顔をしてみせるほかはないのでした。
「ぼっちゃん、お気に入りましたか。この上でいくらあばれてもいいように、うんとじょうぶにこしらえておきましたよ。へへへ……さて、どのへんにおきましょうかね。」
職人は顔に似あわず、なかなかおせじがうまいのです。
そこで、小林君は、書生の喜多村君と、ここがいいだろう、あすこがいいだろうと、長イスのおき場所の相談をはじめたのですが、すると、ちょうどそのとき、玄関のほうで、何かわめくような大声がしたかと思いますと、女中が顔色をかえて走ってきて、
「喜多村さん、みょうなよっぱらいがはいってきて、動かないのよ。早く来てください。」
と知らせました。泣きだしそうな女中の顔を見ては、ほうっておくわけにいきません。柔道初段の喜多村君は「ようし。」と答えながら、肩をいからせて、女中といっしょに玄関へ出ていきました。
イスをはこんできた男たちは、それを見おくって、なぜか顔を見あわせて、にやりと笑いました。そして、ひとりがすばやくドアをしめて通せんぼうをするように、そこに立ちふさがったかと思うと、もうひとりの男が、ゆだんをしている小林君のうしろからとびかかってきました。
小林君はおどろいて、声をたてようとしましたが、アッと思うまに、手ぬぐいをまるめたようなものを、口の中へおしこまれ、声をたてるどころか、息もできなくなってしまったのです。
「さあ、おれがつかまえているから、早くしばってしまえ。」
うしろから小林君をだきかかえて、ささやき声でいいますと、ドアの前に立っていた男が、ポケットから長いなわをとりだして、サッとかけより、もがきまわる小林君の手足を、たちまち、ぐるぐるまきにしばりあげてしまいました。
いうまでもなく、このふたりの男は、暗号の半分をぬすんでいったあの悪者の手下だったのです。家具屋にばけて、まんまと不二夫君の部屋へはいったのです。そして、まさかかえ玉とは知らないものですから、小林少年を不二夫君と思いこんで、かどわかそうとしているのです。
しかし、男たちは、小林君を、いったいどうしてこの部屋からつれだそうというのでしょう。玄関には書生や女中がいますし、うらのほうから逃げるにしても、昼間のことですから、町にはたくさんの人が通っています。交番にはおまわりさんも見はりをしているのです。その中を、手足をしばった子どもをかついで通りぬけるなんて、思いもよらぬことではありませんか。
ところが、賊は、じつにおそろしい悪知恵を持っていたのです。まるで奇術のような、ふしぎなことを考えていたのです。
ふたりの男は、小林少年にさるぐつわをはめ、ぐるぐるまきにしばってしまいますと、その部屋にはこんであった、れいの長イスに近よって、みょうなことをはじめました。
男たちは、その長イスのクッション(腰かけるところ)に両手をかけて、うんと持ちあげますと、おどろいたことには、そのクッションだけが、すっぽりとはずれて、その下に、人間ひとり横になれるほどの、すきまがこしらえてあったのです。それが賊の手品の種だったのです。
ふたりの男は、しばりあげた小林少年を、わけもなくそのすきまの中へとじこめ、上から、またクッションをはめこみました。すると、長イスはもとのとおりになって、その中に人間がかくされているなんて、外からは少しもわからなくなってしまったのです。
仕事をすませたふたりは、にやにやと笑いかわして、そのまま、長イスを部屋の外へはこびだし、えっちらおっちら、玄関のほうへ歩いていきました。
書生の喜多村は、やっとよっぱらいの男を追いかえして、もとの不二夫君の部屋へ引っかえそうとしていたのですが、見ると、ふたりの男が、せっかく持ちこんだ長イスを、また、そとへはこびだしてくるようすなので、びっくりして声をかけました。
「おや、どうしたんです。なぜ、それを持ちだすのです。」
すると、さきに立った男が、きまりわるそうに笑いながら、こんなことをいうのです。
「へへへ……、どうも申しわけのないことをしちまいました。書きつけの読みちがいですよ。念のために、今よくしらべてみましたら、書きつけには宮田と書いてあるじゃありませんか。町も番地も同じだったので、ついまちがえたんですよ。宮田と宮瀬のまちがいだったのですよ。へへへ……。」
ああ、なんといううまいいいぬけでしょう。相手がさも、まことしやかに、わびるものですから、喜多村は、すっかりごまかされてしまいました。
「なあんだ、宮田さんだったのか。道理でどうもへんだと思ったよ。ご主人がイスを注文しておいて、ぼくにだまっていられるはずはないんだからね。宮田さんなら、きみ、この裏手のほうだよ。」
「そうですか。へへへ……、とんだおさわがせをして、どうもすみません。」
ふたりの男はペコペコおじぎをしながら、長イスをはこびだし、門の前にとめてあったトラックにつみこんで、そのまま大いそぎで出発しました。
そして、百メートルも走ったかと思うと、なぜかトラックをとめて、そこに待ちうけていたひとりの男を、車の上に乗せて、また全速力で、走りさってしまいました。
その道ばたに待ちうけていた男というのは、さいぜん宮瀬家の玄関をさわがせた、あのよっぱらいだったのです。おどろいたことには、あのよっぱらいも、やっぱり賊の手下だったのです。
つまり、その男が、よっぱらいのまねをして、書生や女中を玄関へ引きよせているあいだに、小林少年をしばって、長イスの中へとじこめようという、最初からのたくらみなのでした。
ああ、なんということでしょう。昼日なか、女中や書生の目の前で、賊はまんまと小林少年をかどわかしてしまったのです。
それにしても、長イスにとじこめられた小林少年は、いったい、どこへつれていかれるのでしょうか。そして、どんなおそろしいめにあうのでしょうか。