賊の正体
まっくらな、せまいはしごを十二、三段ものぼりますと、頭が板のようなものにさわりました。そのまま、行きどまりになっているのです。
「おや、へんだな。こんなところで、行きどまりになるはずはないんだが。」
と思って、手をあげてさぐってみると、そこは、上の部屋の入り口らしく、厚い板でふたがしてあることがわかりました。
小林君は、力をこめて、その板をおしあげました。すると、板はちょうつがいになっているらしく、スウッと上へ開いていくのです。
あとでわかったのですが、それは、ちょうど、道路にあるマンホールのふたぐらいの大きさの、まるい板でした。つまり、上の部屋の床に、そんな穴があいていて、それに板のふたがしてあったわけです。
板を持ちあげてのぞいて見ますと、その上の部屋もまっくらで、べつに人のいるようすもありませんので、小林君はかまわず穴の上によじのぼって、板のふたをもとのとおりにしめてしまいました。
さあ、これからが、いよいよ危険です。もし賊に見つかろうものなら、どんなことになるか、わかったものではありません。
まず、そのまっくらな部屋を手さぐりでしらべてみますと、そこは畳一畳じきぐらいの、まるで押し入れみたいな、ごくごくせまい部屋であることがわかりました。むろん、人はいないのです。
そこで、やっと安心して、懐中電灯をつけて、あたりを見まわしましたが、四方とも板ばりのへんな部屋です。部屋というよりも、やっぱり押し入れか物置きのような感じです。
そこには、べつに何もおいてないのですが、ただ一方の板壁に、みょうなものが、ぶらさがっています。まっ黒な洋服のようなものです。手に取ってみますと、やっぱり、それはおとなの洋服でした。
「おや、これはルパシカではないか。それに、これはいったいなんだろう。」
ルパシカというのは、ロシア人の着る上着なのです。ルパシカといえば、何か思いだすではありませんか。小林君がここへつれられてきて、賊の首領の前に引きだされたとき、首領は何を着ていたでしょう。やっぱりこのルパシカという、へんな洋服ではありませんでしたか。
いや、そればかりではないのです。ルパシカのほかに、まだたしかなしょうこがありました。それは黒ビロードの覆面です。あの覆面が、やはり同じくぎにかけてあったのです。頭からすっぽりとかぶるようになっていて、目のところだけ三角の穴があいている、あのぶきみな覆面です。
「ふふん、あいつはここまであがってきて、はじめて覆面をぬぐんだな。そして、ふだんの着物に着かえるんだな。
してみると、あいつが手下にも顔を見せたことがないというのは、ほんとうらしいぞ。手下のものにはこの下のベッドのある部屋で、寝るように見せかけて、ほんとうは、毎晩ここへあがってきて、どこかほかの部屋で寝るのかもしれない。
なんて用心ぶかいやつだろう。手下にさえ顔も見せなければ、寝る場所も知らせないんだ。この秘密のはしごだって、きっと手下には教えてないのにちがいない。
そうとすれば、むろん暗号文も地下室においてあるはずはない。ここへ持ってあがって、だれも知らない部屋にかくしてあるのだ。」
小林君はそんなふうに考えをめぐらしましたが、賊の首領のあまりの用心ぶかさに、少しうすきみが悪くなってきました。
いったい賊は何者だろう。なぜこんなにまで用心をして、顔をかくしているのだろうと思うと、なんだかゾウッとこわくなるような気持ちでした。
「それにしても、この部屋にはどこか出口があるにちがいない。やっぱり、かくし戸になっているのかもしれないぞ。」
そう考えて、懐中電灯で、四方の板壁をてらして見ますと、一方のすみに、どうやらかくし戸らしいものが見つかりました。その部分をおしてみると、少し動くような気がするのです。
しかし、ただおしただけでは、とても開きそうにもありません。きっとまた、どこかに、戸を開くしかけのボタンがあるのでしょう。
小林君はいっしょうけんめいにそれをさがしましたが、やがて頭の上のほうの高いところに、ちょっと気のつかぬような小さなボタンがあるのを見つけました。
でも、こんどこそ、うっかり、それをおすわけにはいきません。もし、戸のむこうにだれかがいて、小林君に気づいたら、もうとりかえしがつかないのです。
おそうか、おすまいかと、長いあいだ、ためらっていました。そして、板壁に耳をつけるようにして、そのむこうがわのようすをうかがいましたが、ひっそりとして、なんの物音もありません。もう夜中の三時です。たとえ、むこうがわに人がいるとしても、まさか今ごろまで起きているはずはないのです。
「よし、思いきっておしてみよう。もし見つかったら、すばやく逃げだせばいいのだ。そして、もとの牢へはいって、知らん顔をしていればいいのだ。」
小林君は、とうとう決心しました。
まず指さきをボタンにあてておいて、用心のために懐中電灯を消してから、その指にぐっと力をこめて、ボタンをおしたのです。
すると、あんのじょう、板壁の一部が、ドアのように、グウッと、こちらへ開いてきたではありませんか。
大急ぎで、そのすきまから、むこうをのぞいてみますと、やっぱりうすぐらくて、何も見えないのです。なんだかすぐ目の前に幕がさがっているような感じで、見とおしがきかないのです。
音をたてないように気をつけて、そっとその部屋へはいっていきましたが、はいったかと思うと、何かやわらかいものに行きあたりました。手でさぐってみると、そこに厚いカーテンがさがっていることがわかりました。
カーテンのむこうには電灯がついているらしく、織り物の目から、ちかちかと光がもれています。
小林君は、カーテンのあわせめをさがして、それをほんの一センチほど開いて、部屋の中をそっとのぞきました。
それはびっくりするほど、りっぱな部屋でした。そんなに広くはないのですが、おいてある家具がみな、りっぱで、きらびやかなのです。一方には大きな化粧台があって、鏡がきらきら光っていますし、その前の台の上には、いろいろな形の美しい化粧品のびんがならんでいます。
りっぱな長イスや、ひじかけイスは、目のさめるような美しいもようのきれではってあります。床には、まっかなじゅうたんがしいてあります。
いや、それよりも、もっとりっぱなのは、正面に見えるベッドです。あたりまえのベッドよりは、ずっと大きくて、美しいかざりがあって、その上の天井からは、ぴかぴか光るまっ白な絹が、ちょうど富士山のような影で、ベッドの三方にすそをひろげているのです。
そのりっぱなベッドの上には、ひとりの美しい女の人が、顔をこちらにむけて、すやすやとねむっていました。
小林君にはよくわかりませんでしたが、その女の人は、三十歳ぐらいでしょうか。娘さんではなくて、奥さんという感じでした。
小林君は、明智先生の奥さんほどきれいな人は、ほかにないように思っていたのですが、いま目の前にねむっている女の人は、もっときれいなのです。すごいほど美しいのです。
まるでキツネにつままれたような気持ちでした。これはいったい、どうしたというのでしょう。賊の首領がいるとばかり思っていた部屋に、こんな美しい女の人がねむっているなんて、なんだか夢でも見ているようではありませんか。
覆面とルパシカをぬいだ男は、どこへ行ってしまったのでしょう。
小林君は女の人の寝顔をみつめて、長いあいだ考えていました。なんとなく、ふにおちないことがあるのです。どこやら、つじつまの合わないような気がするのです。
そうしているうちに、小林君の頭に、ひょいとみょうな考えがうかびました。
「おや、そうかしら。そんなことがあるのだろうか。」
それは、なんだか、ゾウッと身ぶるいするようなおそろしい考えでした。
「やっぱり、そうかもしれない。ああ、きっとそうだ。もしそうでないとしたら、ここに秘密の通路があるわけがない。
この女の人は、あんな美しい顔をしているけれど、秘密の出入り口をちゃんと知っているのだ。この部屋に住んでいて、それを知らぬはずがない。
それから、賊の首領は、なぜ手下の前でも、顔をかくしているのだろう。それには何か深いわけがあるのだ。
そうだ。賊の首領というのは、この女の人なんだ。女だものだから、あんなに用心をして、顔をかくしているのだ。
そういえば、きのう首領の声を聞いていて、なんだかつくり声のような気がした。ほそい声をむりに太くしているような気がした。
そうだ。あすこにねむっている、あの美しい女の人が賊の首領なのだ。」
小林君は、そこまで考えますと、お化けでも見ているような、なんともいえぬおそろしさに、背中がぞくぞく寒くなってきました。
ひげむじゃの大男なんかなら、かえってこわくないのですが、あのおそろしい大悪人が、こんな美しい女の人だったかと思うと、心の底からゾウッとしないではいられませんでした。
そう思って見ますと、女の人の顔は、美しいことは美しいけれど、けっしてやさしい顔ではないのです。なにか男もおよばないようなおそろしいたくらみをしそうな、すごみのある美しさなのです。
小林君はふと、西洋のある女どろぼうの写真を思いだしました。その女どろぼうは、美しい顔をしているくせに、男の人を何人も毒薬で殺したり、変装をしたり、宝石をぬすんだり、いろいろなおそろしいことをして、しまいには、とうとう死刑にされたのですが、ベッドに寝ている女の人の顔は、その女どろぼうと、どこかしら似ているのです。
じっとながめていればいるほど、女の人の寝顔が、おそろしく見えてきました。美しいからこわいのです。美しい顔が、こんなにこわく見えるものだということを、小林君は今の今まで知りませんでした。
ところが、そんなことを、むちゅうになって考えているうちに、小林君は、たいへんなしくじりをやってしまいました。カーテンを持っていた手が、知らず知らず動いたのです。そして、カーテンをつってある金の輪が、チーンと鳴ったのです。
ハッとして、身をすくめましたが、もうまにあいませんでした。その小さな物音に、ベッドの女の人は、たちまち目をさまして、びっくりしたように顔をあげてこちらを見ました。