黒い影
彼等は深夜の血みどろ遊戯にヘトヘトに疲れてしまったので、翌日眼をさましたのは、もうお昼過ぎであったから、麗子が、血に汚れた身体を洗い、お化粧をして人々の前に顔を出したのは夕方に近かった。
晩餐の席では、例によって木島刑事が、疑い深い目で、ジロジロと一同を眺めていたが、まだ何の手掛りも掴んでいない様子だった。
人々は、お互に疑問の目を向け合って、気拙い食事を済ませた。
食後麗子がただ一人で遊園を散歩していると、三谷二郎少年につかまった。
「麗子さんどうしたの? 何だか変だねえ。湯本さんと喧嘩したの?」
薄気味悪く敏感な少年であった。
「エエ、喧嘩したのよ。二郎さん、さあここへいらっしゃい」
麗子は何気なく云って、灌木のしげみの前の捨石に腰かけて、少年を膝の上に招いた。可憐なる美少年は、いつも大人の膝に乗りなれていたからだ。
「喧嘩って、どうしたの? なぜ喧嘩したの?」
「何でもないのよ」
「何でもなくはないよ。湯本さんも、麗子さんも、口を利かないじゃないか。変な青い顔をしてるじゃないか。どうしたのさ」
少年は、麗子の太った膝の上で、お尻をクリクリ動かして、甘える様に云った。
「僕心配してるんだよ、麗子さんが嫌いじゃないから」
「二郎さん、ありがと」麗子は、少年を抱きしめる様にして、「何でもないのよ。……でも、ひょっとしたら」
「ひょっとしたら、どうなの」
「ひょっとしたら、あたし、殺されるかも分らないのよ」
「エッ、誰に?」
「人に云っちゃ、いやよ。大変なことになるんだから」
「ウン、云わない」
「若しあたしが死んだら、万一よ、万一殺されたら、その下手人は譲次なんだから、あんたそれをよく覚といて、あたしがそう言ったと刑事さんに告げて下さいね。頼んで置くわ」
「本当かい。じゃ、湯本さんが麗子さんを殺すかも知れないんだね。どうしてなの」
「それからね。若しあたしが殺されたら、譲次こそちま子さんを殺した犯人に違いないのよ。これもよく覚て置いてね」
「じゃ、そのことを、早く刑事さんに云えばいいじゃないか。なぜ黙っているの」
「本当のことが分らないからよ。うっかりそれを云って、譲次が無実の罪におちたら可哀相だもの。でね、あんたも、万一、万々一あたしが殺されるという様なことがない限りは、こんなこと人に喋っちゃ駄目よ。分って?」
「ウン、そりゃ分っているけれど」
もう暮切って、お互の顔がハッキリ見えぬ程暗くなっていた。
二人は話に夢中になって、少しも気づかなかったが、うしろの茂みで、木の葉の擦れ合う低い音がした。
そこに何者かが潜んで、二人の話を聞いていた。茂みの間に、燐の様に光る二つの目があった。男か女かも分らなかった。目の外は、海坊主の様に不気味な、黒い影でしかなかった。
「マア、あたし、うっかりして、つまらないことを云ってしまったわね。あたし今夜はどうかしているのよ。今のはみんな嘘よ。誰にも云っちゃいやよ。きっとよ」
「ウン、大丈夫だよ。云やしないよ」
「マア、こんなに暗くなってしまった。あちらへ行きましょうよ」
二人が捨石から立上って、大食堂の建物の方へ歩いて行くと、木蔭の黒入道も、立聞をやめて、コソコソと夕闇の彼方へ消えて行った。