百万円の首飾り
こういうふしぎな事件が、あちらこちらでおこった。目に見えないやつが、いたずらをするという、うわさが、だんだん高くなってきた。警察の耳にもはいった。新聞社へも、さかんに投書がくる。しかし、警察でも新聞社でも、あいての正体がわからない。まるで夢のような話なので、どうにも手のつけようがないんだね。
ところが、ゆうべ、とうとう、空気男がどろぼうをはたらいた。百万円の首飾りをぬすんだんだよ。銀座の大宝堂を知ってるだろう。有名な宝石店だ。ゆうべ、お客さまがみな帰ってしまって、もう店の戸をしめようとしていたときだ。店のおくにすえてある、りっぱなガラスばりの飾りだなの戸が、ひとりでに、スーッとひらいて、その中にかざってあった、あの店じゅうで、いちばん高価な宝石の首飾りが、何かにつかみだされたように、ガラスのそとへ出てきた。そして空中をフワフワと、ただよいはじめたのだ。
支配人はおくへはいっていた。ふたりの店員は戸じまりをするために、そとへ出ていた。店には若い店員がひとりしかいなかった。その店員は、首飾りが空中をただよいだしたとき、やっとそれに気がついた。そして、アッと言って、たちすくんだまま、しばらくは、身うごきもできなかった。
店員は、さいしょ、その首飾りが、目に見えぬほそい糸で、天井からつりさげられているのかと思った。しかし、シックイでかためて、白くぬった天井には、糸をさげて、あちこちと動かすような、すきまなんか、あるはずがない。
首飾りにたましいがはいって、ひとりで、動きだしたかと思うと、ゾーッと、こわくなってきた。しかし、勇気をだして、そのほうに近よって、手をのばすと、首飾りは、まるでしつこい魚のように、スーッ、スーッと逃げてしまう。
やがて、首飾りは空中に浮いたまま、少しずつ入り口のほうに近づき、アッというまに、店のそとへ出ていってしまった。店員は大声をあげて、おっかけた。店のそとにいた店員も、いっしょになって、さわぎたてた。支配人もおくからとびだしてきた。通りがかりの人も、あつまってきた。しかし、首飾りはもうどこにもなかった。百万円の宝石が、ひとりで店を出ていってしまったのだ。
すぐ、このことが警察に知らされた。係官が現場に行ってみたが、まるで夢のような話で、つかみどころがなかった。このあいだから世間をさわがせている、空気男のしわざではないかと考えたが、手がかりというものが少しもないのだから、どうすることもできない。
この事件が新聞記者の耳にはいったのは、けさだった。だから、朝刊にはまにあわなかったが、夕刊にはデカデカとその記事が出ているよ。うちへ帰ったら見てごらん。「前代未聞の怪事件、空気男銀座にあらわる」というのだ。
東洋新聞では、ぼくがこの事件をうけもつことになった。夕刊の記事を書いたのもぼくだ。ぼくはどうかして、空気男の正体をつきとめてやろうと、けさから、めちゃくちゃに、あるきまわっていたんだよ。そして運よく、あのろう仮面のやつを見つけた。あれが空気男だとは思わなかった。しかし、ろう人形が町をあるいているんだから、新聞記者として、これを見のがすわけにはいかない。ぼくはきみたちよりもまえから、あいつを尾行していた。
ところが、あいつは骨董屋のショーウィンドーをのぞきこんだ。まんなかにある仏像をにらみつけたまま、動かない、ぼくはそのときはじめて、こいつはおかしいぞと思った。ひょっとしたら、あのろう仮面の中は、からっぽじゃないかしら。ふっとそんな気がした。もし、これが空気男だとすると、あの仏像があぶない。あとから、洋服をぬいで、透明人間となって、あれをぬすみにくるかもしれない。
そう思ったので、ぼくは、きみたちがあるきだしてから、骨董屋にはいって、主人に、あの小さな金属の仏像を、どこかへ、かくしてしまうように、注意しておいた。きみたちは知るまいが、あの仏像は推古仏といって、百万円の首飾りよりも、もっとねうちのある品物なんだよ。
だが、ぼくはとうとう、あいつを、たしかめることができた。いままでは、もやのようなものしか見えなかったが、きょうこそは、あいつが、服をぬぐところを見たんだ。ろう仮面をぬぐところを見たんだ。そして、その中がからっぽであることを、たしかめたんだ。
しかも、ぼくひとりで見たんじゃない。きみたちという証人がある。三人が六つの目で見たんだ。
これはすばらしい記事になるよ。あすの新聞は、一ページぜんたいを、この記事でうずめるんだ。こんや、社の写真班が、きみたちの写真をとりにゆくよ。そして、あすの新聞には、きみたちの勇敢な尾行の話がのるんだ。ぼくたち三人で、空気男の正体をつきとめたことが、出るんだ。
それじゃ、ひとまず、これでわかれよう。きみたちのうちで、しんぱいしているといけないからね。だが、きみたちにも、よくたのんでおくよ。もし、こんど、あのろう仮面に出あったら、また、うまく尾行してくれたまえ。そして、行く先をつきとめたら、ぼくに電話するんだよ。ぼくの名刺を、わたしておくからね。