古井戸の底
捜索隊の人々は、洞窟の中の部屋という部屋を、さがしまわって、入り口のところまでもどってきました。その入り口の穴には、ほそびきをたてよこに、はりめぐらして、透明怪人が、逃げだせないようにしてあるのです。そして、穴のそとには、三人の警官が、見はりをつづけていたのです。
「きみ、異状はなかったかね。」
中村係長が、穴のそとの警官に、声をかけました。
「はあ、異状ありません。」
「このほそびきは、すこしも動かなかったのだね。」
「はあ、動きませんでした。」
もし、透明怪人が、ここを通って、逃げたとすれば、かならず、ほそびきが動くはずです。それが動かないというのですから、怪人はここを通らなかったと考えるほかはありません。では、あいつは、大友少年をかかえたまま、まだ洞窟の中に、ひそんでいるのでしょうか。
「ふしぎだなあ。あれほど、さがしても、どこにも、人のいるけはいはなかった。いったい、どこへかくれたんだろう。」
係長は、くやしそうに、つぶやきました。すると、そばにいた黒川記者が、小首をかしげながら、言うのです。
「中村さん、ぼくは、ふっと、いま思いついたんですが、ひょっとしたら、この入り口のほかに、もう一つ、ひみつの出入り口があるんじゃないでしょうか。用心ぶかい悪人が、一方口のふくろみたいな中に、安心して住んでいるはずがありません。きっと、もう一つ、ぬけ道があるんですよ。怪老人もそこから、逃げだしたとすれば、つじつまが、あうじゃありませんか。」
「ウン、そういうことも考えられるね。しかし、あれほど、さがしたんだからなあ、ぬけ道があれば、気がつくはずだが。」
「さがしかたが悪かったのですよ。この入り口から、逃げなかったとすれば、あいつは、まだ穴の中にいるか、それとも、べつの出入り口があるか、二つに一つです。いずれにしても、もう一度、さがしましょう。」
そこで、人々は、また洞窟の中へ、ひきかえすことになりました。そして、懐中電灯をふり照らしながら、もう一度、部屋から部屋をあるきまわるのでした。
「アッ、中村さん、黒川さん、ちょっと、ここへきてください。」
小林少年が部屋のすみのほうから、おしころしたような声で呼びました。そこは、れいの化学実験室なのです。
中村係長と黒川記者が、かけつけてみると、小林君は一つのおしいれの戸をあけて、その中を懐中電灯で照らしていました。おしいれには、木箱や、あきびんなどが、ゴタゴタいれてあって、それが、だれかに、ふみあらされたように、ころがったり、われたりしているのです。
「あれを、ごらんなさい。」
小林君は、懐中電灯の光を、正面のかべにあてました。そのかべには、ふとさが一センチもあるような大きな鉄のくぎがたくさん、うちこんであるのです。
「あのくぎは天井にのぼるための、足場じゃないでしょうか。」
小林君は、そう言って、懐中電灯を、だんだん天井のほうにむけました。すると、天井板の一枚が、すこしはすになって、すきまができているではありませんか。
「ね、わかったでしょう。ぼく、のぼってみます。」
小林君は、懐中電灯をポケットにおしこみ、大くぎに手と足をかけて、天井によじのぼりました。そして、すきまのできている板を、グッとおすと、板は、わけなくひらいて、そこに四角な大きな穴ができたではありませんか。
小林君は、ポケットの懐中電灯をとりだして、その穴の上のほうをしばらく照らしていましたが、やがて、「アッ。」と、うれしそうな声をたてました。
「やっぱり、ここが出口ですよ。大きな穴が、ずっと上のほうまで、つづいています。そして、鉄ばしごが、かかっているのです。」
それは、ちょうど古井戸のような、ふかい穴で、その穴の一方に、まったての鉄ばしごが、とりつけてあるのでした。つまり、おしいれの天井が、古井戸のそこにあたるわけです。
「よし、小林君、その鉄ばしごをのぼってみよう。ぼくもきみのあとから、ついてゆくよ。中村さんも、いらっしゃい。」
黒川記者は、そう言って、おしいれの中へはいってきました。
小林君は、その声にはげまされて、鉄ばしごにつかまると、まっくらな古井戸の中を、一だんずつ、用心しながら、のぼってゆきました。黒川記者や中村係長も、そのあとにつづきます。
鉄ばしごを二十だんものぼると、あたまがつかえて、もう、すすめなくなりました。
「おや、ここで、ゆきどまりになってますよ。」
小林君がためらっていますと、黒川記者は下から懐中電灯を照らしながら、
「そんなはずはない。きっと、そこにふたがあるんだよ。グッとおしあげてごらん。」
「あ、やっぱり、そうです。ひらきますよ。」
それは鉄板でできた、重いふたでした。それを力まかせにおしあげると、上のほうから、パッと、まぶしい光がさしてきました。古井戸の口は、がけの上の草の中にひらいていたのです。鉄板のところから、地上までは、五メートルほどしかありません。小林君たちは、そのうちがわの、でこぼこの石がきに足をかけて、なんなく、そとに出ることができました。
「フーン、うまく考えたな。古井戸と見せかけたひみつの出入り口なんだよ。そとからのぞいても、いまの鉄板がしまっているから、それが井戸のそこのように見える。その下にあんな通路があるなんて、だれも気づかないからね。」
黒川記者が、感心したように、つぶやきました。
怪老人は、ここから逃げさったのに、ちがいありません。透明怪人たちも、ここから出ていったのです。大友少年をかかえて、あの鉄ばしごをのぼったとすると、怪人第一号は、よほどの力のつよいやつなのでしょう。
中村係長は、そのへんに、怪老人や透明怪人の足あとでも、のこっていないかと、さがしまわりましたが、雑草がいちめんにはえていて、何もみつかりません。かれらがどの方角に逃げたかも、まるで、けんとうが、つかないのでした。
捜索隊は、ただ怪人のすみかを、発見したというだけで、あいてをとらえることもできず、大友少年をすくいだすこともできず、手をむなしくして、引きあげるほかはなかったのです。
中村係長は、洞窟の入り口と、古井戸のそとに見はりの警官をのこして、ひとまず、警視庁の捜査本部に帰ることにしましたが、その帰りの自動車の中で、黒川記者は、係長の耳に、こんなことをささやくのでした。
「中村さん、これは警視庁はじまっていらいの、大事件ですよ。日本じゅうの警察官が、力をあわせても、たりないほどの、おそろしい大敵ですよ。それにつけても、ぼくは、ある人物を思いだしますね。もし、その人物が警察をたすけて、はたらいてくれたら、ひょっとしたら、あいつを、やっつけることが、できるかもしれません。」
「それは、だれだね。」
「明智小五郎です。いよいよ明智先生の出る幕ですよ。小林君にきいたら、明智さんは、何か、ほかの事件にひっかかっていて、手がはなせないのだそうですが、いまはもう、そんなことを言っているばあいじゃありません。ほかの事件なんか、ほうっておいて、警察のてだすけをすべきです。中村さんは、明智探偵とは親友じゃありませんか、捜査本部に帰ったら、すぐ明智さんを、呼ぶんですね。」
「ウン、それは、ぼくもまえから考えていた。よしッ、それじゃあひとつ、明智君の知恵をかりることにするか。」
中村係長は、心をきめたように、力づよく言うのでした。