暗中の妖魔
それから一時間あまりのち、午後五時ごろのことです。れいの原っぱの防空ごうの前に、ものものしい警官隊がおしよせていました。
先頭には、この洞窟を発見した案内役の少年のひとりと、小林団長、つづいて、中村捜査係長と黒川記者、そのあとに六人の警官が、武装に身をかためて、したがっています。洞窟のやみの中に、ふみこむのですから、全員、懐中電灯を手にしているのです。
「きみたち三人は、この穴の入り口に、がんばって、中からにげだすやつがあったら、ひっとらえてくれたまえ。あいては目に見えないやつだから、ただ見はっていたのでは、だめだ。捕じょうをのばして、ぼくたちがはいったあとで、入り口にあみをはるんだ。ほそびきを、縦横に、はりめぐらすんだ。そうすれば、透明怪人だって、からだはあるんだから、逃げだそうとすれば、すぐわかってしまう。もし、ほそびきが、へんな動きかたをしたら、いきなりとびついて、ひっとらえるんだ。わかったね。」
中村係長は、三人の警官に、そう命じておいて、「では、ぼくが先頭をつとめるよ。」と言いながら、身をかがめて、いきなり、くらやみの洞窟の中へ、ふみこんでゆきました。鬼係長と言われているほどあって、さすがに勇敢な捜査係長です。
それにまけじと、黒川記者が、あとにつづき、それから、小林少年というじゅんで、のこる少年ふたりと警官三人も、ぜんぶ洞窟の中に、すいこまれてゆきました。
大友君のばあいとちがって、懐中電灯がありますし、それに、八人という同勢ですから、心じょうぶです。例の洞窟の行きどまりの、小さな穴を、はいくぐって、おくの広い場所に出ました。そして、そこにある板のドアを、ぜんぶ、ひらいて見ましたが、大友君のすがたは、どこにもありません。透明怪人は目に見えないやつですから、いるかいないか、わかりませんが、ふしぎなことに、すこしも人のけはいがしないのです。まるで、空家のように、シーンと、しずまりかえっているのです。
いくつかの小部屋を、のこりなく、しらべて、さいごに、たどりついたのは、れいの怪老人の研究室でした。ふしぎなことに、そこへ通じる、ひみつ戸が、みな、あけっぱなしになっていたのです。
研究室もからっぽでした。はじめて、この部屋にはいった中村係長や小林少年は、それと気づくはずもないのですが、研究室の中のようすが、大友少年が見たときとは、ひどく、かわっていました。たなの薬びんや、きみょうな器械などが、半分いじょうも、なくなって、あとには、つまらないガラクタが、のこっているばかりです。まるで、ひっこしをしたあとのような感じなのです。怪老人は、警官隊のくることを知って、はやくも、どこかへ逃げさってしまったのでしょうか。
人々は洞窟の広さと、研究室のりっぱなのに、すっかり、めんくらってしまいましたが、しかし、そこに、れいの怪老人がすんでいたことは、すこしも知らないのですから、べつに、あやしむでもなく、ただ部屋じゅうを、しらべまわるばかりでした。
「おや、こんなところに、べつの出入り口がありますよ。」
黒川記者が、小さな、ひみつ戸をみつけました。それも、あけっぱなしになっていたのです。
「まだ、おくがあるんだね。行ってみよう。」
中村係長が、先に立って、そこへ、はいってゆきました。ガランとした、くらやみの中に、しめっぽい、いやな空気が、ただよっています。まるで地獄のように、いんきな場所です。
人々の手にする懐中電灯の光が、いりみだれて、その光の中にはいった人の影が、かべや天井に、大入道のようにうつり、それが、いくつも、かさなりあい、ゆれうごくありさまは、なんとも言えないぶきみさでした。
「アッ、だれだ。いま、ぼくのそばを、通ったのは、だれだッ。」
小林君のかんだかい声が、きこえました。
「だれも通りゃしない。みんな前にすすんでいるのだ。むこうから、来るものなんか、ありゃしないよ。」
黒川記者の声です。
「でも、たしかに、だれかが、ぼくのからだにさわりました。すれちがって、うしろへ行ったような気がするんです。」
小林君は、ほんとうに、そう感じたのです。何か、やわらかいものが、肩と腕にさわって、スーッと、うしろのほうへ行ったのです。
「アッ、いま、ぼくのそばを通った。たしかに人間だ。しかし、目には見えない。」
警官のひとりが、さけびました。
すると、それにつづいて、あちらでも、こちらでも、自分のそばを、人間のようなものが、通りすぎたと言う声が、おこりました。
透明怪人が、このくらやみの中にいるのです。しかも、それはひとりだけではないように、思われます。まるで、深い海の底を、いくつものクラゲが、フワフワとただよっているような、なんとも、えたいの知れない、おそろしさでした。
「小林君、ここだよ、ここだよ。」
そのとき、どこからともなく、聞きおぼえのある声が、きこえてきました。大友君の声です。大友君が、このくらやみの、どこかにいるのです。
「きみは大友君だね。どこにいるの?」
小林少年は、懐中電灯を、大きくふりてらしながら、聞きかえしました。
「ここ、ここ。」
大友君の声が、前のほうから、ひびいてきます。小林少年は、声のするほうへ、すすんでゆきました。すると、懐中電灯の光の中に、鉄ごうしが、あらわれてきました。猛獣のオリのような、鉄棒のこうしが、あらわれてきました。大友君の声は、どうやら、そのこうしの中から、ひびいてくるようです。
小林君と、団員の少年とが、こうしの前にかけよりました。そして、二つの懐中電灯で、その鉄棒のかきの中を、すみからすみまで、照らしてみました。しかし、そのオリのような部屋の中には、だれもいないのです。
「ああ、小林君と、田村君だね。ぼくはおそろしいめにあったのだよ。四角なメガネをかけた、白ひげの老人がいただろう。あいつが、ぼくをこんなにしてしまったんだ。」
小林君と、団員の田村少年は、ギョッとして、あたりを見まわしました。たしかに、すぐ目の前で、大友君のなつかしい声がしているのです。しかし、いくら目をみはっても、大友君のすがたは、どこにも見えないのです。
「大友君、どこにいるの。」
「ここだよ、きみたちのすぐ前にいるんだよ。ほら、この鉄ごうしの中にいるんだよ。」
そして、コツコツと、つめで、鉄棒をたたく音がきこえました。それは、すぐ目の前の鉄棒にちがいないのです。それでいて、大友君は、やっぱり、どこにも、いないのです。
小林君と田村君も、大友少年が透明人間にされてしまったことを、知らないものですから、からっぽの鉄ごうしの部屋から、大友君の声だけが、聞こえてくるのを、まるで、お化けにでも、であったように、きみ悪く思いました。