恐ろしき覗機関
相川守は、その翌晩の十一時頃、もう人影もない
昼間は
彼は暗い公園を歩きながら、彼のいささか
(どう考え直して見ても、あれは小説の筋ではない様だ。青眼鏡の男は「あすの晩十二時」と云ったが、小説の筋を話す時に「あす」なんて云い方をする筈はない。「その翌日」と云うのが当り前だ。それに、あいつは空家の町名や位置を詳しく云っていたが、小説にしては、あんまりはっきりしすぎているではないか)
(
相川青年は、今夜は
谷中天王寺町の辺は、大部分が墓地だけれど、墓地に接して少しばかり住宅が並んでいる。その中に、小さな仮小屋の様な
「アア、煉瓦塀の空家なら、この墓地を突き切った向側に、一軒だけポッツリ建っているアレのことでしょう。真直ぐにお
おかみさんが、丁寧に教えてくれた。
相川青年は半信半疑でいた空家が実在のものだと分ると、何かしらハッとして心臓の辺が妙な感じであった。
「その
「エエ、もうずっと。私共がここへ引越して来る以前から、草
「変な噂って、化物屋敷とでもいう様な?」
「エエ、まあね。ホホホホホホホ」
おかみさんは言葉を
(
彼はこれからの冒険を考えると、何となく恐ろしくもあったけれど、恐ろしければ恐ろしい丈け、彼の猟奇心はこよなき満足を感じた。
煉瓦塀の空家までは、そこから墓地を通りぬけて二丁余りの距離であった。
彼は用心深く、他人が見たら、彼自身が黒い
眼が闇に慣れるに従って、星空の下の墓地や建物が、
その煉瓦塀は、所々煉瓦がくずれていた上に、昔
相川青年は、見張りの者でもいはしないかと、闇をすかして確めてから、まるで忍術使いの様に、物の蔭を伝いながら、叢のそよぎにも注意して、煉瓦塀の中へと
相川青年は、叢にしゃがんで、身体で覆い隠す様にして、ライターをつけ、その光で腕時計を見た。十一時四十分だ。
それから十二時までの二十分を、彼はどんなに長々しく感じた事であろう。彼は、叢の中の
彼はそれ程真剣に凶事を待ち構えながら、何かしら夢を見ている様な、奇怪な遊戯に
彼が警察の助力によって、事を未然に防ごうという気になれなかったのは、一つは猟奇者として秘密を惜しむ意味もあったけれど、主としてこの非現実的な、夢見心地からであったに違いない。
一ヶ月程にも感じられた闇の中の二十分が、やがて経過した頃、正面の真黒な家屋に、縦に長い糸の様な線が三本、クッキリと現われた。
誰かが屋内に燈火をつけたのだ。それが雨戸の
相川青年は、
雨戸の
先ず目に入ったのは、裸
「サア、繩を解いてやったんだから、そうビクビクしていないで、もっと真中へ出て来るがいいじゃないか。姉さん、お前寒いのかい。いやに震えているね。ハハハハハハハハ」
雨戸を隔てている為か、その声は異様に物凄く聞えた。
「オイ、それゃいけない。
猿轡をはめられている相手は、一体何者であろうと、好奇心に燃えながら見つめていると、細く区切られた眼界の、古畳の上に白いものが現われた。手だ。それから裸の
「オイ、
巨人の横顔が、山印という仲間に呼びかけたものらしい。
「ウン、見えるよ。すっかり見えるよ」
それは一種
「思う存分見てやるがいい。こいつはお前の
「ウン、見ているよ。だが、そんなに坐っていたんじゃ面白くないね。
「又お
襖の横顔が突然消えて、黒いパンツを
今度は女の胸から腰にかけての胴体の一部が、区切られて見える事になった。その胴体が
「ウフフフフフフフフ。気味がいいね。又歌おうか、あれを」
「歌うがいいよ」
すると、突然、嗄声が実に下手な節廻しで、安来節を歌い出した。
相川青年はそれを聞くと、
(あの声は一体どこから来るのだろう。その辺に坐っている人の様には思えないが)
相川青年は不思議に耐えなかった。雨戸を隔てているばかりではない。その声と彼の耳との間には、何かもっと障害物があるらしい。その男には、女が部屋の真中へ出て来なければ見えないというのも、実に異様である。
(アッ、若しかしたらあの中にいるんじゃないかしら)
襖の隣に、何かの
(イヤ、俺はどうかしているぞ。いくらなんでも、あんな窮屈な木箱の中に人間が入っているなんて、あんまり馬鹿馬鹿しい想像だ)
相川青年は、彼の突飛な空想を
「サア、愈々日頃の恨みをはらす時が来た。姉さん、俺達の恨みが、どんなに深いものか、今見せてやるよ」
最初襖に横顔を映していた奴の声だ。
次の瞬間、何かしらサッと、稲妻の様なものが閃いたかと思うと、横わっていた
相川青年はそれを見ると、思わずアッと叫び相になった。彼は女の顔を見たのだ。そして、その顔が決して彼の知らないものではなかったのだ。