動く岩
すると、アア、これはどうだ。彼等が振返るのを合図の様に、竹藪がザワザワと鳴って、掻き分けられた竹の葉の間から、人間の顔が一つ二つ三つ四つ……合計五人。その中の一人は真先に藪を飛び出すと、いきなり倒れている珠子の側へ駈け寄って、抱き起しざま、正気づける様に、その名を呼び続けるのであった。彼女の兄の相川守青年だ。彼が老探偵と一緒に悪漢の服を着て、運転手と
竹藪から現われたあとの四人は、云うまでもなく、守青年が急を知らせて同行した警察署の人々だ。私服が二人、制服が二人、いずれも捕物に年期を入れた、老練の警官達である。
「ヤア、警官方、待ち兼ねました。早くこの二人を押えて下さい。ピストルを持つ手がしびれ相ですわい」
老探偵の挨拶に、四人の警官は物をも云わず、
「なんとうまく行ったことじゃ。これでさしもの妖虫事件も大団円という訳だね」
老探偵は、二人の悪漢が完全に繩にかかるまでと、なおもピストルの狙いをゆるめず、言葉を続ける。
「守さん、ご苦労でした。お父さんの様子はどうじゃったね」
守は珠子を抱いたまま振返って、
「有難う大丈夫の様です。意識だけは取戻しましたので、通りへ出て自動車を拾い、宅へ送らせて置きました」
と答えた。
「イヤ、あんたの機敏な働きが、非常に役に立ちましたわい。わしがこの偽龍介の隙を見て、たった一言耳打ちしたのを、ちゃんと呑み込んで、素早く立廻ってくれたお蔭で、この大捕物に成功しました。それにお父さんや妹さんの危難を目前にして、よく我慢を続けて下すった。流石は『探偵さん』じゃ。ハハハ……、今度の捕物ではあんたが第一の
そんな問答が取り交されている間、二人の悪漢は、未練千万にも、この
「オイオイ、みっともないじゃないか。大悪党にも似合わぬ、未練な真似はよしたらどうだ」
老探偵は単純に悪人共の未練と解して、叱りつけたが、それはただ未練からの抵抗に過ぎなかったであろうか。もっと別の理由があったのではなかろうか。二人の悪人が、最初警官に手を取られた時、妙な目くばせをしていたのを、誰も気づかなかったが、彼等には何か深い考えがあったのではないかしら。
しかも、誰も気づかなかったのは、彼等の目くばせばかりではなかった。実を云うと、さい前から、もっともっと変てこなことが起っていた。無生物が
暗さは暗し、まさか小道具の岩が這い出そうなどと、常識では想像も出来ない事柄なので、それがいつの間にか竹藪の根元を離れて、老探偵の背後に位置を換えてしまったのを、絶えて知るものもなかった。
高さ三尺、径二尺程の、小さな張りぼての岩は、今や三笠探偵の足もとにくッつく程接近していた。そして、オオ、実に驚くべきことには、そのてっぺんの貼紙を押し破って、ニョッキリと、人間の腕が現われたではないか。しかも、その手にはドキドキ光る小型の短刀を握りしめているのだ。
危い、危い。だが、如何な名探偵も、無生の岩石が、殺人罪を犯そうなどとは知る由もなく、ただ前方の二兇漢を見つめて、抜目なくピストルを構えているばかりだ。
キラリ、短刀が閃めいたかと思うと、この張りぼての岩には目がついているのか、狙いもあやまたず、老探偵の腰のあたりを、したたか刺し通した。
流石の
「ソレッ!」
青眼鏡が烈しいかけ声を発した。今か今かと、そればかりを待構えていたのだ。
すると、腕力優れた偽探偵が、いきなり警官の虚をついて、握られた腕を振り離すと、竹藪に倒れかかっていた例の槍を拾うが早いか、一方の柱にとりつけられた唯一の電燈めがけて、
パチンと電球の割れる音、わめき騒ぐ人々の声。
唯一の電燈を奪われた見世物小屋は、今やあやめも分かぬ闇と化した。他の電燈を点じようにも、スイッチのありかが急には分らぬ。
だが幸いにも、警官達はてんでに懐中電燈を用意していた。入口からここへ来るのにも、その懐中電燈をソッと照らして、竹藪の迷路を辿って来たのだ。
「逃がすなッ」
「誰か入口へ廻れッ」
「電燈のスイッチはどこだ」
などの怒号が暗闇に交錯した。懐中電燈の