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名探偵

时间: 2023-09-06    进入日语论坛
核心提示:名探偵この悲鳴を聞いて、真先に駈けつけたのは、兄の守と、殿村夫人と、一人の書生とであった。誰が先にともなく、湯殿の中へな
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名探偵


この悲鳴を聞いて、真先に駈けつけたのは、兄の守と、殿村夫人と、一人の書生とであった。
誰が先にともなく、湯殿の中へなだれ込むように入って見ると、タイル張りの洗い場一杯に、珠子の白い身体が長々と横たわっていた。
「守さん、あれを、あれを」
珠子の身体に近寄りかけて、ぜかハッと飛びのいた殿村夫人が、真蒼になって指さすものを見ると、守青年も書生も、ギョッと立ちすくんでしまった。
俯伏しになった珠子の、美しい背中に、ポッツリと赤い斑点はんてんがあった。最初は、それが珠子を殺した傷口かと思われたが、よく見ると、血ではなくて、血よりももっと恐ろしい、一匹の真赤な虫であった。赤くいろどられたさそりであった。
珠子はこの毒虫に刺し殺されたのか。イヤイヤそんな筈はない。春川月子の場合と同じように、それは蠍の死骸に過ぎないのだ。悪魔の紋章に過ぎないのだ。
守は珠子の上にしゃがんで、その赤い虫をパッと払いのけた。やっぱり死骸であった。払い飛ばした毒虫は、湯殿の隅に、じっと動かないでいる。
「珠子、珠子」
守は妹の身体を抱き上げて、傷口をしらべて見たが、どこにもそれらしいあとはない。
名を呼びつづけて、上半身をゆすぶっていると、珠子がパッチリと目を開いた。アア殺されたのではなかった。ただ気を失っていたばかりなのだ。
「早く、早く」
彼女はひからびた唇を動かして、しきりと窓を指さしている。では、窓の外に何者かが忍び寄っていたのか。
それも検べて見なければならぬ。だが、珠子の手当ても肝要だ。それに第一、若い女の裸身をいつまでも人目にさらして置くのは心ないわざだ。
「君はあっちへ行ってね、代りに婆やをよこしてくれ給え」
守は先ず書生を去らせて置いて、
「先生、僕は外を検べて見ますから、ここをお願いしますよ」
と、彼自身も湯殿の外に出た。
焚き口へ廻って見ると、受持の女中が、庭に出て、キョロキョロとあたりを見廻していた。
「オイ、今そこを誰か通らなかったか」
声をかけると、女中はギョッとした様に振向いて、
「アノ、お嬢さまがどうかなすったのでございますか」
とおずおずと訊ねる。
「ウン、気絶していたんだ。誰か窓の外から覗いた奴があるらしい。お前気がつかなかったかい」
焚き口の戸は開いたままになっていて、湯殿の窓に近づく為には、その戸の前を通るほかに道はないのだから、そこにいた女中の目をかすめることは出来なかった筈だ。
「イイエ、誰も、ここを通ったものなんかございません。わたくし、さっきから、ずっと戸口の方ばかり向いていたのですけれど」
「おかしいな。ではここから覗いたんじゃなかったのかしら」
守は問題の窓の所へ歩いて行って、すぐその前の板塀についているくぐをガタガタ云わして見たが、内部からの※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)かけがねに異状はなかった。すると、曲者は塀をのり越えて出入りしたとでも考える外はないのだが、いくら器械体操の名手でも、何か足場がなくては、この高い塀を越えることは出来ない。
「お前、珠子の叫び声を聞いて、すぐにこの庭へ飛び出したのかい」
女中を顧みて訊ねると、
「ハイ、すぐにでございます」
「誰もいなかったんだね」
「ハイ」
「この塀をのり越した奴を、お前気づかなかったんじゃあるまいね」
「イイエ、そんなこと決してありません。いくら暗くっても、塀をのり越すのが分らない筈はございませんわ」
この女中はなかなかしっかり者であったから、これらの言葉は凡て信用して差支なかった。
又、そのあとで、手提電燈を取寄せて、窓の外の地面を調べても見たけれど、そこは一面に固い土で、足跡らしいものも発見出来なかった。
こうしてあらゆる通路が否定されて見ると、結局、湯殿の窓に近づいたものはなかったのだと考える外はない。
それにもかかわらず、正気を取戻した珠子は、
「決してあたしの気のせいじゃありません。気のせいやなんかで気絶する人があるもんですか。確かに確かに、あの窓から覗いた奴があるんです。色眼鏡をかけて口髭を生やしていたことも、決して間違いはありません」
と主張してやまぬのだ。
その上、珠子が幻を見たのでない、れっきとした証拠が残っている。絵の具を塗った蠍の死骸などが、ただ訳もなく湯殿の中に落ちている筈がないではないか。青眼鏡の怪物でなくて、誰がこんな変てこな真似をする奴があるものか。
しかも、その曲者の侵入した形跡が少しもないのだ。ここに一つの不可能がしとげられたのだ。非常に滑稽こっけいな空想が許されるならば、青眼鏡は、軽気球の碇綱いかりづなにとりすがって、窓の所までくだって来た、とでも考える外には仕方がないのではないか。
珠子は医師の手当てを受けて、床についてはいたけれど、恐怖の余り失神したというだけであって、別に心配する容態ではなかったが、この出来事によって、悪魔の予告は決して出鱈目でたらめでなかったことが明かになった。彼奴きゃつの再度の襲来こそ気懸りだ。今夜は珠子の悲鳴の為に逃去ったとしても、このまま断念してしまう様な相手でないことは分り切っている。
相川操一氏は、丁度その時分、事業上のある晩餐会ばんさんかいに出席していたのだが、電話の知らせを受けて、急いで帰宅した。そして、守と殿村夫人とから、一伍一什いちぶしじゅうを聞取ると、直ちにこの事を警察に知らせて、一層の警戒を依頼することにした。
「でも、何だか心元無こころもとのうございますわね。相手が魔法使みたいな恐ろしい奴ですもの。警察にお願いする外には、もう方法はないものでございましょうか」
殿村夫人は、兇賊の予告を軽蔑していた丈けに、このまざまざとした事実を見せつけられては、もうじっとしていられないという風であった。
「僕もそう思いますね。こんなずば抜けた悪党と戦うには、ただ力だけでは駄目です。相手が魔法使なら、こちらも魔法使に加勢を願う外ありません」
守も「探偵さん」らしく主張した。
「お前が加勢を頼みたい魔法使というのは、例の三笠龍介みかさりゅうすけのことか」
操一氏はこの数日来、三笠龍介という私立探偵の名をうるさい程聞かされていたのだ。
「そうです。こうなったら、もうお父さんも不賛成ではないでしょう。あの人を依頼する外に手はないと思います」
「お前はその人を知っているのか」
「会ったことはありませんけれど、手柄話は色々聞いてます。日本のシャーロック・ホームズと云われている人です。警察の手におえない事件を、片っぱしから、この人が解決していると云ってもいい程です。ただ、非常な変り者で、余程気に入った事件でないと引受けないそうですが、蠍の怪物なら相手に取って不足はないでしょう」
「若い人かね」
「ところが余り若くないのです。寧ろ老人といった方がいい位です。写真で見ると、モジャモジャと顎髭なぞ生やした、せっぽちのお爺さんです」
「殿村さん、どうでしょう、そういう私立探偵を頼むことは」
操一氏は一応、老練な家庭教師の意見を訊ねて見た。
「わたくしも、御依頼になった方がいい様に思います。珠子さんの命にかかわる事ですもの、手を尽せる丈けは尽したいものでございます」
と云うことで、結局三笠氏を頼むことに一決したが、急ぐことだから、こちらから出向いて、詳しい事情を話す方がよい。それには犯人の顔まで見知っている守が適任だ。ということになり、電話番号を検べて、先方の都合を訊ねると、丁度今外出中で、十時頃にならなければ御帰りがないという返事であった。
守青年は、夜の更けるのを待ちかねて、この稀世きせいの名探偵との初対面を、寧ろ喜び勇んで出かけて行った。彼の行手に、どんなに意外な恐ろしい運命が、待ち構えているかも知らないで。
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