罠と罠
青眼鏡の現われた竹藪の根元に、芝居の小道具みたいな張りぼての青い岩が据えてあったが、彼はその岩に片足をかけ、身じろぎもせず、長い間、丁度餌食を狙う蛇の身のこなしで、こちらの隅の珠子を、じっと見つめていたが、ややあって、例の異様に嗄れた陰惨な声が、地の底からのように聞えて来た。青眼鏡は物を云う時、殆ど唇を動かさぬものだから、声の
「オオ、珠子さん、よく来て下すったね。俺はさっきから、しびれを切らして待ち兼ねていたんだぜ」
言葉が途切れたかと思うと、古沼の底のような沈黙の中に、キリキリと歯ぎしりの音が聞えて来た。確かに青眼鏡の口からだ。これが癖なのであろうか、それから後にも、彼は物を云いながら、ふと言葉を切っては、歯ぎしりを噛むのであったが、その
「今もそこの男が云った通りだ。俺は今度はこの幽霊屋敷を舞台に極めたんだよ。珠子さん聞いているかね。この磔刑人形だ。これを十字架からおろしてね、その代りにお前さんを縛りつけてね、生身のお前さんに磔刑人形の代役を引受けて貰おうって訳なんだ。エ、なんとすばらしい思いつきじゃねえか。明日になれば何百人という見物がおしかけて来るんだ。そしてね、生身の身体とは知らねえで、本物の血のりだとは知らねえで、何とまあ美しい人形だろう。何とまあむごたらしい殺され方なんだろうと、口をあんぐり開いて、感にたえて眺めて下さろうというものだ。千両役者だぜ。ヤンヤの御喝采だぜ。エ、珠子さん、嬉しいだろうね。ゾクゾクと嬉しいだろうね。ハハハ……」
青眼鏡は我とわが言葉に感動して、さもおかしそうに、
「ちっと薬が利きすぎたね」
偽探偵が、くずおれた珠子を顎でしゃくって、首領の青眼鏡に笑って見せた。
「却って世話を焼かせなくってよかろうぜ。柱に括りつけてしまってから、目を醒まさせる方がいい」
青眼鏡は云いながら、
青眼鏡はその槍を使って、十字架上の磔刑人形の手足を縛った繩を、プツリプツリと切り離した。人形はガサガサと大きな音を立てて、竹藪の底へ落ち込んでしまった。あとには、頑丈な十字の柱が、珠子の身体を待ち兼ね顔に、白々と立っている。
「サア、手伝ってくんな。この柱を倒して、娘を括りつけてから、元の通りに立てるんだ」
青眼鏡の命令だ。
「
偽探偵は手下の小男を呶鳴りつけた。自動車の運転手を勤めていたこの少し薄のろらしい男は、さい前から、この場の有様を、芝居でも見物するように、暗い隅っこに身をよけて、ボンヤリと立ちつくしていたのだ。
「そんなにポンポン云わなくっても、今手伝うよ。だが親方、仲間はこれっ切りなのかい」
小男が隅の方から、ノロノロと訊ねた。
「極っているじゃねえか。俺達三人
偽の三笠探偵が叱りつけた。
「本当かい。
それを聞くと青眼鏡が陰気に笑った。
「ハハハ……、変な野郎だな。俺達の人数がそんなに気になるのかい。どうしてもお前の手を借りなけゃ、外には手伝いなんかいやしねえよ。よく見るがいい、娘の外には、三人
青眼鏡は変な
「大丈夫かい。たった三人ぽっちで、若しお巡りでも踏込んだらどうするつもりだい」
小男はまだ執念深く訊ねている。
「チェッ、なんてのろまな野郎だ。だから入口に見張番がつけてあるじゃないか。よし又万一のことがあったところで、この暗闇の藪知らずだ。逃げるに事は欠きやしねえ」
偽探偵が
「だがね、用心には用心をするがいいぜ。どんなところに
「オヤ、こいつ
偽探偵は、白髪の鬘に、白髪のつけ髯を振り立てて、肩を怒らせながら、小男の方へ詰め寄って行った。
「イヤ、ちょっと待ちな」
青眼鏡はなぜかそれを制して、キッとなった。
「ヤイ、そこの小っぽけな奴、帽子と襟巻を取って顔を見せろ。貴様は一体何者だ」
「ハハハ……、やっと気がついたと見えるね。エ、赤蠍の大将。じゃ手を挙げて貰おうか。二人とも手を挙げるんだ。手を挙げろッ。身動きでもするとぶっぱなすぞ」
いつの間にか、小男の右手に黒いピストルが握られ、その筒口が今にも火を吐きそうに気味悪く、青眼鏡と偽探偵の間を、素早く行ったり来たりしていた。
不意を打たれた両人は、小男の烈しい気勢に押されて、思わず両手を挙げてしまった。
「ハハハ……、神妙に手を挙げなすったね。ところで、俺を誰だと思うね。分るかね。そこな三笠龍介さん。どうだね。この声に聞き覚えはないかね」
小男の声音は突如として全く違った調子を帯びて来た。
「アッ、貴様、あの老いぼれ探偵だな」
「イヤ感心感心、わしの声を覚えていたと見える。如何にもわしはその老いぼれ探偵だよ。ホーラ見るがいい。どうだい。本物の方が、そこな偽物よりも、ちっとばかしいい男だろうが」
小男は背広の襟をくつろげ、鳥打帽子とスカーフをかなぐり捨てた。その下から現われたのは、読者も大方推察されていた通り、名探偵三笠龍介氏の白髪頭と
実に異様な光景であった。そこには、おぼろげな電燈の光の中に、
流石の悪漢青眼鏡も、この不思議千万な光景には、あっけにとられて、咄嗟に採るべき手段も思い浮ばぬ様子である。
「わしはお前さんの為に地下室へとじこめられた。全く抜け出す術はない様に見えた。だが、その不可能な所を抜け出して見せるのが、三笠龍介の
三笠老探偵は、抜目なくピストルの狙いをあちこちと動かしながら、うわべは呑気らしく話し始めた。
「抜け出すと云うと、わしはすぐ様相川家へ駈けつけたが、その時には、もうお前さんがわしに化込んで、相川さんを説きつけ、珠子さんをどっかへ連れ出そうとしている所じゃった。無論お前さんを警察へ引渡すのも心のままであったが、わしはそれをしなかった。なぜか。わしはお前さんの外に、本当の張本人がいると考えたからじゃ。つまり、そこな青眼鏡の大将にお目にかかりたかったからじゃ。
その為には、わしは随分と犠牲を払っとる。若しわしが赤蠍の
オオ、そうそう、犠牲と云えばまだある。わしは虎の子の百円札を二枚も奮発したのだ。わしは珠子さんがどこへ連れられて行くか、あとをつけて見ようと思った。そうすれば自然赤蠍の首領にも会えるのだからね。それには丁度よいことがあった。オイ、そこな偽物のお爺さん、手下の奴らにはもっと気を配らんといかんね。飼犬に手をかまれるということもある。あの自動車の運転台にいた、お前さんの二人の部下は、実になっちゃいないぜ。百円札一枚ずつで、わしに買収されて、行先は教えてくれるし、服装まで取替えてくれたではないか。つまりわしはお前さんの部下になりすまして、運転台にのっかっていたという訳なんだよ。
それにしても、自動車の中でも、ここへ来てからも、幾度わしはこの目論見を放棄しようと思ったか知れん。珠子さんがあんまり可哀相だったからじゃ。だがいくら可哀相でも、この機会に張本を捕えて置かにゃ逃げられてしまう。手下ばかり捕えたのじゃなんにもならん。わしは歯を食いしばって我慢をした。それでもあんまり見兼ねたものだから、自動車の中で咳払いをしたり、轢死人形の種明かしをしたりして、珠子さんの苦痛をいくらかでもやわらげてやったのじゃ。……まあざっとこういう訳だよ。そして、わしはとうとう目的を達したのさ。恋こがれる青眼鏡の大将をとって押えることが出来たという訳さ。ハハハ……」
偽探偵はこの長話の間、絶えず「畜生め、畜生め」と
「お爺さん、
彼はやっぱり地の底からの様な声で、憎まれ口を叩くのだ。
「ウン、おしまいだよ。わしの御託が終ると、さてお前さんに繩をかける順番だね」
「繩を? ヘエ、その老いぼれ一人でかね。お爺さん、こっちあ大の男が二人だぜ。繩なんかかけている
「ワハハハ……、そいつはちっと
これには流石の青眼鏡もギョッとして、云われた通りうしろを振向かないではいられなかった。偽探偵も同様、二人は首を揃えて背後の竹藪を振返った。