銀座の案山子
そういう
型のくずれた黒ソフト帽、画家の様に長く伸した髪、青ざめた顔、ひどい近眼と見えて厚いレンズの二重眼鏡、ピンとはね上った口髭、三角型の顎髯、
その人物が、さい前から、R洋服店のショウ・ウインドウの大ガラスの前に、じっと立ち尽したまま、まるで案山子の様に身動きもしないのだ。
ドンヨリと
インバネスの男は、ショウ・ウインドウから三尺程離れた道路の真中に立って、ガラスの向う側の何かを、
初めの程は、道行く人も、邪魔っけな奴だと、よけて通るばかりで、さして怪しみもしなかったが、時がたつにつれて、彼の凝視のただならぬ熱心さに、ふと好奇心を起して立止る人があると、それからは、二人立ち、三人立ち、
その
若しこの男が
「ちょっとお尋ねしますが、さっきから何を見つめていらっしゃるのですか。何か面白いものがあるんですか」
一人の洋服紳士が、たまり兼ねたのか、
「アア、何をとおっしゃるのですか」
インバネスの怪人物は、びっくりした様に振返って、紳士の顔を見、それから彼の背後の夥しい群集を眺めた。
「僕は一種の銀座人種でしてね。銀座の事には
インバネスが妙なことを云い始めた。彼の声は異様に甲高くて、隣に立っている紳士に話しかけているのが、群集のうしろの方まで聞きとれた。
「この洋服店のものが飾り替えたのではありませんか、そこに立っている女人形と」
如何にも、ショウ・ウインドウの正面には、一人の美人人形が、
「ですからね、僕はここの番頭に聞いて見たんですよ。人形を取替えたかって。すると番頭は、一週間程前に飾り替えたばかりで、まだ二三日はこのままだと答えました。先生、人形がいなくなったことを知らないのですよ。ハハハ……、おかしいじゃありませんか」
彼の笑い声は、気違いの様に不気味であった。
「じゃ、君の思い違いだ。あすこに腰かけているのが、その人形ですよ、君の好きだっていう。……君の目がどうかしているのだよ」
紳士が少し軽蔑した口調で云った。うしろから
「アア、あなたは僕を気違いかなんかだと思って、馬鹿にしていますね。フフフ……それもいいでしょう。だが、今に後悔しますよ。マア、僕の云う事をおしまいまでお聞きなさい」
そこで、怪人物の不思議な演説が始まった。表面は紳士に話しかけているのだが、その実、背後の夥しい群集を意識しての演説であった。誰も立ち去るものはなかった。それどころか、奇妙な男の一言ずつに好奇心をまして、まるで大道芸人をでも見物する様に、耳を澄まして聞入っていた。
「僕がなぜあんなに熱心にこの人形を見ていたか。その理由が分りますか。僕の顔をごらんなさい。ひどく青ざめてやしませんか。実を云うとね、僕は今、ブルブル震え出す程怖いのですよ。我ながら余り恐ろしい空想にゾッと総毛立っているのですよ」
怪人物は、怪談でも始める様に、話し出した。
「僕はね、このショウ・ウィンドウの
「今日この附近に起った事件というのは?」
紳士がてれ隠しの様に口をはさむ。
「きっと旭湯の煙突の事件だぜ」
「それからマン・ホールの事件も」
銀座ボーイの囁き交すのが聞えた。
「そうです。その事件です。皆さんはあの事件の全体を知っていますか。恐らく御存じありますまい。
僕は目撃した訳ではありませんが、噂を尋ね廻って、すっかり知っています。マン・ホールから蝋人形の首が出た。湯屋の煙突に女の足は生えていた。それから、浜町河岸で女の右腕が掬い上げられたのです。木挽町では、犬が女の左腕を銜えて走ったのです。
ネ、分りましょう。首、二本の足、二本の腕、これを組み合わせると、ちゃんと一人の美人人形が出来上るじゃありませんか。御承知の通りマネキンには胴体というものはないのですからね。
これは非常に明らかなことです。僕は断言してもいいのです。このショウ・ウインドウの、僕の大好きな人形が、何者かの為に惨殺されました。憎むべき下手人は、人形の死骸を幾つにも切離して、方々へ捨てて歩いたのです。隠す為にではなくて、見せびらかす為に。……見せびらかす為にですよ」