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螯が!螯が!

时间: 2023-09-13    进入日语论坛
核心提示:螯はさみが! 螯が!妖虫殺人団が第三の餌食と狙う桜井品子さんは、富豪代議士桜井栄之丞えいのじょう氏の一人娘で、死んだ珠子
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はさみが! 螯が!


妖虫殺人団が第三の餌食と狙う桜井品子さんは、富豪代議士桜井栄之丞えいのじょう氏の一人娘で、死んだ珠子と同じ女学校の卒業生、珠子よりは二年上級のお姉さんであった。在学中は、双方の父親が親しい間柄であったというばかりではなく、何となくお互に引きつけられる感じで、級は違ったけれど、学校でも評判の仲好し、品子も珠子に劣らぬ美しい娘さんであった所から、この二人は「美貌の友」という、女学生らしい渾名あだなで呼ばれていた程であった。
桜井品子は、その様に美しさでもズバ抜けていたけれど、その上彼女は美貌以上の才能に恵まれていた。品子は楽壇にも聞えたヴァイオリンの名手であった。少女時代すでに天才をうたわれ、さる独逸ドイツ人音楽教授の愛弟子まなでしとなって、年と共にそのは進み、今では懇望こんもうされてステージに立つ事も屡々しばしばであった。洋楽を解する程の人にして、ヴァイオリニスト桜井品子の名を知らぬ者はなかった。
品子が愛友相川珠子の惨死を歎き悲しんだことは云うまでもないが、悲しみは忽ちにして恐れと変らなければならなかった。赤蠍襲来の不吉な予報が、既に彼女を襲い始めたからである。ある日、彼女の新しい家庭教師殿村夫人が、真蒼になって品子の肩の辺りを見つめた。ゾッとしてふるい落すと、彼女の肩から、例の悪魔の象徴赤い蠍の死骸が、ポトリと床に落ちたのであった。
品子はこの奇妙な出来事が何を意味するかを、よく知っていた「赤い蠍」は殺人鬼の白羽しらはであった。世にも恐ろしい死の宣告であった。
彼女の繊細な神経は、恐怖の余り、変調を来たさないではいられなかった。品子はその夜から、えたいの知れぬ悪夢にせめさいなまれた。
見る限り灰色の大空に、何かしら途方もなく巨大な生きものが、朦朧もうろうと覆いかぶさって、不気味なスロー・モーションでうごめいていた。
そいつの身体は、大空のはてから果まで伸びて、天日をさえぎりながら、黒雲の如く横わり、八本の曲りくねった巨大な脚が、モゾモゾと蠢きながら、豆粒の様に小さい品子の上に、掴みかかって来るかと思われた。
そいつの胴体は、沢山の関節から出来ていて、その関節の一つ一つが、大戦闘艦程の大きさを持っていた。
海底の生きものの様にボンヤリとしか見えなかったけれど、そいつには、馬鹿馬鹿しく大きな顔があった。顕微鏡で拡大した毒蜘蛛の頭部の様な、醜怪きわまりなき顔があった。そして、その頭部から、平家蟹へいけがにはさみが二本、ニョッキリと、遙かの地平線へ伸びて、呼吸をする様に閉じたり開いたりしていた。
そいつには又、太古の生物恐竜そっくりの、見るも恐ろしい尻尾があって、それがいまわしい黒い虹の様に醜く彎曲わんきょくし、その先端に、実物を千倍に拡大した程の槍の穂先が、ドキドキと鋭く光って見えた。
蠍だ。空一杯の黒雲の様な蠍だ。歯ぎしりの出る程いやらしい蠍の腹部だ。それが、今にも品子をおしつぶさんばかりに、目を圧して迫って来るのだ。
何とも形容の出来ない、恐ろしい悲鳴を発して、彼女は目覚めた。見廻すと、そこは白い寝室であった。ベッドの枕下まくらもとの小さい卓上電燈が、天井に丸い光を投げていた。
品子は、全身油汗あぶらあせにまみれて、恐る恐る寝返りをした。そして、庭に面したガラス窓を見た。
カーテンがなかば開いて、そのむこうに真暗な夜があった。
品子の寝室は洋館の階上にったので、梯子でもかけなければ、その窓へ忍び寄る事は出来なかった。その上ガラス戸には、内部から厳重な締りがしてあった。
「大丈夫、大丈夫、窓の外には人間のよじ昇る足場なんてありやしないのだから」
彼女は、高鳴る心臓をおし静める様に、自分自身に云い聞かせた。
だが、人間はよじ昇れなくても、虫なれば、蠍なれば、苦もなく這い上って来るかも知れない。
ふと、そんなことを考えて、彼女は思わず身震いした。
窓の外を、非常に大きな虫類が、ゴソゴソと這い上っている幻想が、今の悪夢の続きの様に、彼女を戦慄させた。
「どうかしているんだわ、あたし。そんな馬鹿馬鹿しい事があっていいものですか」
品子は我れと我が幻想を笑い消そうとした。
併し、あれは何だろう。木の枝かしら、木の枝が、あんな窓の近くにあったのかしら。
黒いガラス窓の下隅に、何かしら目触めざわりな一物があった。
「木の枝に違いない。何でもありゃしない」
本当に木の枝かしら。それが夜風に揺れているのかしら。でも、風があんなふうに動くものかしら。それは、何か生き物の意志で動いている様に見えるではないか。
その物は、徐々に大きくなって行く様に見えた。窓の下端したはしから、スルスルと伸びて、ガラスの外を這い上って行く様に見えた。
赤黒い棍棒こんぼうの様なものであった。その棍棒の尖端せんたんがパックリ二つに割れて、内側にギザギザしたのこぎりの歯みたいなものがついていた。
品子は金縛りに逢った様に、もう身動きする力もなかった。心臓丈けが、全く別のきものみたいに、彼女の胸の中でおどり狂っていた。
「きっと気のせいだわ。あたしは幻を見ているのに違いない」
気安めを云って見ても、彼女の直覚が承知しなかった。こんなハッキリした幻なんてあるものか。何かしら窓の外を這い上っているのだ。現にあの棍棒の様なものが、ガラスのおもてをこすって、キーキーと幽な物音さえ聞えて来るではないか。
やがて、そのものは、それと分る程の姿を現わした。二つに折れ曲った関節、ゾッとする程巨大な平家蟹の螯、ガラス板にぴったり吸いついた赤黒い螯、それがワクワクと物を噛む形で開閉しているのだ。
赤い蠍!
アア、夢ではない。夢がそのまま現実となって現われたのだ。悪夢のこだまの様に、突如として、信じ難き怪物が、人間程の大蠍が、闇の窓の外に這い寄って来たのだ。
夢ならば醒めることもあろう。だが、現実には全く救いがない。螯の次には、あいつの醜怪な顔が、ソッとこちらを覗き込むに違いない。それから、針の様な毛の生えた全身が、目まぐるしく動く沢山の脚が、醜くひん曲った尻尾が……。
余りの恐怖に、品子の五体のあらゆる機関が活動を停止して、全身が底知れぬ深海へ落込んで行く様に感じられた。青黒い水の層の中を、スーッと沈んで行く。沈むに従って水の層は益々暗くなって行く。そして、遂には文目あやめも分かぬしんの闇にとじこめられてしまった。……彼女は極度の恐怖に気を失ってしまったのだ。
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