大魔術師
「アア、モシモシ、蓑浦捜査係長は居られませんか。僕は桜井というもんです。桜井と云えば分ります」
そこの家の電話室へ飛び込んで、警視庁を呼び出すと、彼は送話口にしがみつくようにして呶鳴った。
「アア、蓑浦君ですか、僕桜井。大変なことが起ったんだ。君がよこしてくれた人達が取調べを済ませて帰ったすぐあとでね、娘が見えなくなったんだ。ベッドに寝させてあったのだがね。そのベッドが空っぽになっちまったんだ」
すると先方は妙なことを云い出した。
「アア、モシモシ、あなた桜井栄之丞さんですね。なんだか話が喰い違っているようですが。私からだと云って誰かがそちらへ行ったんですか」
「何を云ってるんだ。今から三十分程前に、君に電話をかけたじゃないか。その結果君が四人の警官をよこしてくれたんじゃないか」
「待って下さい。それゃ変ですね。私はあなたから電話を頂いた覚えはありませんよ。一寸待って下さい。尋ねて見ますから。……アア、モシモシ、今尋ねて見ましたがね、捜査課からは誰もあなたの方へ出張したものはありませんよ。確かに警察のものだったのですか」
「そうですよ。制服が二人に私服が二人だった。中に警部補がいてね、
「エ、斎藤? 斎藤ですか。桜井さん、こりゃ困ったことになりましたね。僕の方には斎藤なんて警部補は一人もいないんですよ。その警官というのが賊の変装だったかも知れん。兎も角大急ぎでお邪魔します。詳しいことは、そちらで伺いましょう」
そして、ガチャンと受話器をかける音がして電話が切れた。
桜井氏は、この途方もない錯誤の意味をどう解いていいのか、全く
先程電話は確かに警視庁へ通じたのだ。そして蓑浦氏らしい声が電話口へ出たことも間違いない。いかな赤蠍の怪腕でも、電話局のつなぐ相手を、外部からどうすることが出来よう。全く不可能な話だ。
それが第一の不思議。第二の不思議はいつの間に品子を誘拐したかという点だ。四人の者は、衆人環視の中を、堂々と退出したではないか。そこには
だが果してそんな余裕があっただろうか。刑事達が寝室の取調べを終って降りて来てから、桜井氏夫妻が上って行くまで、精々長く見て十分しかなかった。
たった十分の間に、梯子をかけ、それを登り、窓から
だが、いかに不可能ばかり重なっていようとも、品子を奪い去られたという事実は、厳として存するのだ。
魔術師だ! 赤蠍の怪賊が魔術師とは聞いていたが、これ程の大魔術師とは知らなかった。
桜井氏はもうガッカリしてしまって、トボトボと自宅に帰ったが、帰ると怪我人をその
「第一に電話を検べて見ましょう」
と、もう立上っていた。
検べて見ると電話は依然として不通である。
「何か細工がしてあるかも知れん。君達この電話線を外へたどって見てくれ給え」
彼は二人の刑事に命じた上、自分も素早く庭に出て、空中線をアチコチと見廻っていたが、忽ち裏庭の隅から、彼の歓声が聞えて来た。
「桜井さん、ちょっと来てごらんなさい。これですよ。この中に私設交換局が出来ていたのですよ」
呼ばれるままに行って見ると、係長は庭の隅の小さな物置小屋の戸を開いて、しきりとその中を指している。
見ればなる程、小屋の屋根から二本の電話線らしいものが、床の上まで垂れている。
「どうした訳です。これが交換局というのは?」
桜井氏にはまだよく呑込めない。
「ホラ、この二本の線を逆にたどってごらんなさい。向うの母屋の屋根の所から、ここへ引込んであるでしょう。本来は、この二本の端がそこに立っている電柱に
つまりですね。犯人は昨夜の内に、この線を切って、小屋の中へ引込み、そこへ電話器を持って来て接続して置いたのです。そして多分一人の奴が、この小屋につい今しがたまで潜んでいて、あなたが警視庁へ電話をかけるのを待ち構えておったのです。
お分りでしょう。あなたが聞いた交換手の声も、警視庁の交換台の声も、それから、この僕の声も凡てここにいた奴が、この電話器によって、女になったり男になったり、一人三役を勤めたって訳ですよ。
そして、目的を果してしまうと、奴さん電話器丈けを取はずし、それを担いで裏木戸かなんかから、スタコラ逃げ出したっていう順序です。だが、敵ながらあっぱれですね。実に簡単なうまいトリックを考えたものですよ」
「フーン、」桜井氏は思わずうめき声を発した。「そいつの合図で、あの四人の奴がやって来たんだな。だが、蓑浦君、まだ一つ肝腎な点が、僕にはどうしても分らないのだが、……」
「お嬢さんがいつ、どうして誘拐されたかという点でしょう」
係長は落ちつき払っている。彼はシガレット・ケースをパチンと云わせて、煙草を銜えると、火をつけて、煙を吐きながら、庭をブラブラと歩き出した。桜井氏も自然そのあとに従う外はない。
「そうだよ。僕には全く不可能にしか見えんのだが」
「この電話のトリックを考えついた奴と、同じ程度の頭になって、観察しなければなりません。僕もさい前からそれをいろいろ考えて見たのですが、やっと分った様な気がするんですよ」
「ヘエ、分ったって? じゃ一つ説明して貰いたいもんだね」
「やっぱりごくごく簡単なことです。手品の種という奴は簡単な程成功するもんですよ。ただ一つの事を思い出しさえすればいいのです。その偽刑事の奴等は、蠍の衣裳を、姿のままの形で、小脇に抱きかかえて行ったといいますね。何ぜそんな無駄骨を折ったのでしょう。
さい前のお話では、その大蠍は関節と関節の間に可成の隙間があって、押えつけると随分小さくなり相だという事でしたね。無論そうあるべきです。犯人があれをここへ運んで来る時も、原形のままじゃかさばって、人目について仕様がなかったでしょう。その縮めれば持ち易くなる品を、態々原形のまま抱えて行ったという、この矛盾が何を意味するか、……」
「分った、分った。僕はどうしてそこへ気がつかなんだろう。アア、残念なことをした」
桜井氏は突如として凡てを理解した。
「あの二人の奴は、娘を取調べると云って、寝室へ上って行った。そこには
桜井氏は地だんだを踏む様にして、くやしがった。
一見まことに子供らしい大蠍の道化衣裳にも、かくして三重の意味がこもっていた。第一は餌食の品子さんを脅え怖がらせ、責めさいなむ為、第二は邪魔者の探偵青年相川守をして丸の内の真中で赤恥をかかせる為、第三は品子さんをその中に隠して、少しも怪しまれることなく、邸内から持出す為。それを助けるに、私設交換局のトリックと、変装警官のトリックとを以てして、殺人鬼のお芝居気たっぷりな計画は、実に見事に
さて、桜井品子さんは、あらゆる警戒の甲斐もなく、賊の大奇術によって、遂に誘拐されてしまった。ただ誘拐したばかりで満足する賊ではない。彼は次には、如何なるお芝居と、如何なる残虐とを用意しているのであろうか。
それにしても、麹町外科医院を抜け出した三笠龍介探偵は、一体どこで何をしているだろう。彼のことだ、いずれは常人の思いも及ばぬ