怪しの者
「三笠さん、まさか冗談ではありますまいね。今あんたのおっしゃった言葉は、実に容易ならん事柄ですよ。何か確たる証拠でもあって、そういう事をおっしゃるのですか」
やっとしてから、相川操一氏が、詰問するように云った。
「証拠ですかい。……その証拠を掴む為に、わしは昨日から一睡もせず苦労しておりましたのじゃ。ナニ、証拠などなくっても、わしの推理に間違いはないのだが、犯人が一通りや二通りの奴ではありませんのでね。大事を取って、動きの取れぬ確証を手に入れたという訳です。……守君、すまんが、書生部屋に待っているわしの家来を呼んで下さらんか。ここへトランクを持込む様にね」
何となく老人の旗色がよくなって来たので、守青年はいそいそと指図に従った。やがて、例の黒い大トランクを背負った豪傑書生が、ノコノコと部屋に入って来た。
「それを、ここへ
命令に従って、トランクはドッシリと床の上に据えられた。何が入っているのか、ひどく重そうな
「妖虫事件がどんなに恐ろしいものであったか、今更わしが云うまでもない事じゃが、併し、諸君はまだ事の表面しか見ておられんのじゃ。この犯罪の裏面には、世間が知っているよりも、更に一層恐ろしく、無気味なものが潜んでおるのです」
老探偵は今や一座の立役者であった。非難、攻撃のまなざしは、いつの間にか、驚異、讃嘆のそれに変りつつあった。もう誰も物を云うものはなかった。人々は云い知れぬ不安と焦躁の内に、怪老人の口元を見つめるばかりであった。
老探偵は、一種奇妙な雄弁を以て、彼の推理を語りつづけた。
「この犯罪には最初から、何とも云えん変てこな、薄気味の悪い事柄がつき纒っておった。谷中の空家で女優春川月子が惨殺された折、空家の床の間に、大型支那カバン程の木箱が安置してあって、血みどろな殺人遊戯が行われている最中に、その木箱の中から、嗄れた声で下手な安来節を歌うのが聞えて来た。これは相川守君が見聞された所であって、無論皆さんも御承知の事と思います。
ところで、それと同じ様な事が、二度目も起っていますのじゃ。相川珠子さんが誘拐されて、三河島の見世物小屋へ連れ込まれた。あの時わしと守君とは、うまく敵の自動車の運転手に
申すまでもなく、張り子の岩の中に何者かが潜んでおったのです。だが、あの岩は高さ三尺程で、
わしは、こいつこそ、今度の殺人事件の原動力となっているのではないかと考えた。その奴は、支那カバン程の箱の中へも、三尺の張り子の岩の中へも、ゆっくり隠れられる程小っぽけな人間に違いない。しかも、その性質たるや残虐無類なのじゃ。わしは、そこまで考えた時、背中に水をあびせられた様に、ゾーッとしましたよ。
ところで、今聞くと、昨夜ここの庭で、守君が大蠍の怪物と組討ちをやった時、その蠍の衣裳の中に入っている奴の手応えが、実に異様であった。まるで子供みたように
こやつは、いつの場合も、必ず何かに包まれておる。そして、包まれたままで、色々な業をやりおる。実にえたいの知れん、薄気味の悪い化物ではありませんか。だが、この曲者は、何故
こんな風に考えて来ると、それに対する答えはたった一つしかない事に気づきますのじゃ。外でもない、この曲者は、顔面を隠しただけではその目的を達し得ない様な奴なのです。つまり、全身の形に普通の人間と違った
さて、そういう小っぽけな不具者と云えば、忽ち聯想されるのは、例の
皆さん、ここまで云えば、何か思い当る節がありはしませんかね。見世物じゃ。考えて見ると、今度の犯罪と見世物とは、妙に縁があったではありませんか。珠子さんが誘拐されたのが三河島の八幡の藪不知じゃった。それから、谷中の事件のあとで、守君が青眼鏡の怪物と出喰わしたのが、やっぱり見世物の、曲芸団の前じゃった。青眼鏡はその見世物小屋の中から出て来たというではありませんか。
ところで、守君の話によると、その曲芸団の前に、一寸法師の娘が手踊りをしている
わしはそのことを、麹町外科医院のベッドの上で考えついた。その頃もう傷の方は殆どよくなっていたが、わしはいつまでも重態の
結局わしの想像は適中しておった。今朝になって、やっとそれが分ったのじゃが、分るが否や、わしはその曲芸娘を虜にした。今そやつを、みなさんにお目にかけようという訳なのじゃ。
こうして、わしはとうとう
老探偵は雄弁にやっと一段落を告げた。人々は彼の委曲を尽した説明によって、妖虫殺人事件の真相の一部を理解することが出来た。だが、それはただ一部に過ぎなかった。まだ明かされぬ疑問が山の様に残っているのだ。
これらの残虐極まる殺人の動機は、
彼等はお互に、隣席の人達の横顔を、ソッと
人々があれこれと考えめぐらしている間に、老探偵はズボンのポケットから鍵を取り出すと、
人々の目は一斉に暗いトランクの内部に注がれた。
何者かが蠢いている。蓋が開くにつれて、その者が、せり出しの様に、段々頭をもたげて来る。そして、遂にその全形が暴露された。
お化けみたいな奴が、トランクの中に、チョコンと立上っていた。
三笠探偵は手早く、その
猿轡の下からは、真赤な厚ぼったい唇の、大きな口が現われた。その口が、ギャッと開いたかと思うと、何とも形容の出来ない、異様な嗄れ声が響き渡った。
哀れな片輪者は子供みたいに泣きわめきながら、一座の人々を見廻していたが、やがて、何を発見したのか、恐ろしい叫び声を立てながら、
彼は何を発見したのか。外でもない。一座の内にその仲間の顔を見つけ出したのだ。そして、低能者の悲しさに、何を