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滴る血潮

时间: 2023-09-13    进入日语论坛
核心提示:滴したたる血潮アア、この女はとうとう気が違ったのではないかと、一座の人々がギョッと目を見はるのを、殿村夫人は小気味よげに
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したたる血潮


アア、この女はとうとう気が違ったのではないかと、一座の人々がギョッと目を見はるのを、殿村夫人は小気味よげに眺め廻しながら、左手首の腕時計を、一同に見せびらかす様にして、恐ろしいことを云い始めた。
「三笠さん、あなた一度時計をごらんなすっては如何いかがですの。犯人のことばかりやっきとなってて、一体お嬢さんの方はどうなるのでしょう。ホラ、もう三時じゃありませんか。犯人は予告を実行しないとでも考えていらっしゃいますの? ホホホホ」
彼女は人もげに笑うのだ。アア、何という不敵の曲者であろう。最後の土壇場に追いつめられても、ひるむどころか、無援孤立の身で、強敵三笠探偵に逆襲しようとしているのだ。併し、彼女自身も相棒の一寸法師も捕まってしまった。因果物師の手下達も巣窟をあばかれてしまった。それでいて、予告の殺人をどうして実行しようというのだろう。そこに何か、流石の老探偵さえ気づき得ない深い企らみが隠されているのではあるまいか。
「ウン、如何にも丁度三時だ。三時がどうかしたのかね」
三笠老人は落ちつき払っている。
「三時には、品子さんが殺されるのです。それも皆さんの目の前でですよ」
殿村夫人は、血走った目を、悪念に燃え立たせ、果合はたしあいをする様な調子であった。
「目の前? ハハハハハハ、何を云ってるんだ。ここには品子なんぞいやしないじゃないか。そんな馬鹿なことが起ってたまるものか」
桜井氏が、蒼ざめた顔で虚勢を張った。その実、彼は殿村夫人が犯人であったという意外千万な事実にうちのめされ、品子さん殺害の予告も、何か奇想天外なやり方で、実現されるのではないかと、内心はビクビクものでいたのだけれど。
「ホホホホホ、あなたはそれがごらんになりたいのでごさいますか。お嬢さまの無残に殺される有様が。……では、お目にかけましょう。三笠さんも、皆さんも、私のあとへついてお出でなさいませ、イイエ、決して逃げたりなんかしやしません。私だって、それが見たいのですもの。……無論このお邸の中ですのよ」
殿村夫人は、あっけにとられている人々を尻目にかけて、ツカツカと応接室を出て行った。三笠探偵は飛びつく様に、夫人の左の手首を掴んで、逃げ出さぬ用心をしながらついて行く。一座の人達も、じっとしている訳には行かない。これからどんな恐ろしい事が起るのかと、胸をしめつけられるような気持で、オズオズとそのあとに従った。
殿村夫人は階段を上って、二階の広間へ――今朝大蠍が横わっていたあの広間へ入って行った。
「みなさん、赤蠍は決して約束を忘れませんでした。ごらんなさい、あれ、あれ、あの天井の赤いものをごらんなさい」
殿村夫人は三笠探偵に掴まれていない方の手で、広間の格天井ごうてんじょうの真中を指さしながら、さも嬉し相な、気違いみたいな笑顔で、一同を見廻すのであった。
人々はそれを見た。その音を聞いた。
豪奢ごうしゃな白木の格天井の真中に、ほう二尺程のいびつな円形を作って、真赤な液体がベットリと滲み渡り、その中程と一方の隅との二ヶ所から、雨垂あまだれの様に、赤いしずくが、ポトリ、ポトリと、青畳の上に滴って、畳の上にも、小さな赤い池が出来ていた。ポトリ、ポトリ、……云うまでもなく血だ。天井裏で何者かが殺害されて、その血潮が滴っているのだ。
誰も物を云うものがなかった。余りの恐怖、余りの悲痛が、人々を異様に押し黙らせてしまったのだ。桜井夫人がこの場に居合わせなくて仕合せであった。彼女は気味が悪いからというので、女中達と一緒に階下に残っていたのだ。
「ホホホホホ、赤蠍はちゃんと約束を守りましたわね」
殿村夫人の気違いめいた上ずった声だけが、甲高く響いた。
「みなさん、あの血を誰の血だと思召おぼしめす。云うまでもありませんわね。で、如何でございますの。時間が一秒でも違いましたでしょうか。三笠さんはお偉い探偵でいらっしゃいますけど、これ丈けは防げませんでしたわね。赤蠍はやっぱり勝ちましたわね。ホホホホホ」
言葉丈けはいやに鄭重ていちょうであったけれど、その言葉の内容は悪魔の呪いそのものであった。そればかりでなく、殿村夫人の容貌は、僅かの間に、まるで別人のように変っていた。彼女は今や正体を暴露した妖魔そのものであった。顔中に何とも云えぬ醜悪な皺が刻まれ、殊にその欠唇は異様なけだものの様に醜く見えた。
それにしても、何という奇妙な殺人手段であったろう。大蠍の鎧に包んで、品子さんを誘拐したと見せかけた、その又裏があって、実はあの蠍の中は空っぽであったのだ。そして、縛り上げ、恐らくは猿轡をはませた品子さんを、御丁寧にも天井裏へ運んだのは、あの二人の偽刑事の仕業に極まっているが、今品子さんを惨殺して血を流した曲者は、一体何奴であろう。又、どこから忍び込んだのであろう。イヤ、そんな事はあり得ない筈だ。三笠探偵は赤蠍の部下の者共をすっかり捕えてしまったと云うではないか。その網の目を逃れて、何奴がこの天井裏へ忍び込んで来たのであろう。
人々は臆病な耳をすます様にして、じっと天井の血痕を見つめていた。その血痕のある板を通して、屋根裏の暗闇を見つめていた。そこに何かしら黒い怪物が蠢いているに違いないのだ。そいつの呼吸の音が、幽に聞えて来る様にさえ幻想された。
「ホホホホホ、みなさんは、あの天井裏に誰かが潜んでいて、品子さんを殺したのだと思い込んでいらっしゃるのでしょう。そして、三笠さんは、そのもう一人の曲者を捕えてやろうと、目を光らせていらっしゃるのでしょう。ホホホホホ、それは無駄ですわ。あすこにはだあれもいやあしないんですもの」
そんなべら棒な話があるものか、誰もいないのに、人間一人殺されて、あのおびただしい血潮が流れるなんて、いくら魔法使の赤蠍でも、そんな真似が出来そうな筈はない。
「みなさんは、人間が人間を殺したんだと思っていらっしゃるのでしょう。ところが、殺されたのは確かに品子さんですけれど、殺した方は人間じゃないのですよ、ホホホホホ、一挺の大きな大きな肉斬り庖丁なんです。手品師が使う支那のダンビラ、あれのよく切れるわざものが、身動き出来ないお嬢さんの首の上に、紐で吊るしてあったのです。その紐の先が、はりに打った釘を通して、特別の仕掛けのある目醒し時計に繋いであって、カッキリ三時になると、紐が断ち切られる仕掛けだったのですよ。これならば、予告の時間と一秒だって違う筈はありませんわね。ホホホホホ」
憎むべき悪魔は、さも心地よげに高らかに笑った。
あとで調べて分ったのだが、そのダンビラは柄の先を木製の台に固定して、上下にだけ動く仕掛けになっていた。そして、ダンビラの背には重い石がしっかりと括りつけてあった。
その時、「アッ」と云う悲鳴が聞えたかと思うと、殿村夫人が三笠探偵の手を離れて、そこに尻餅しりもちをついていた。激昂した桜井氏が、お嬢さんのかたきを突き飛ばしたのだ。突き飛ばして置いて、倒れた上から、拳骨げんこつの雨を降せようとしていたのだ。
「お待ちなさい。慌てることはない。わし達は、こいつの云うことが本当かどうか、もっとよく吟味して見る必要がありますのじゃ」
三笠老探偵は相変らず落ちつき払っている。
「オイ、殿村、お前は今、品子さんが殺されたと云った様だね。ウハハハハハハ、こいつはおかしい。本当にそう信じているのかね」
老人が頓狂な声で笑ったので、当の殿村夫人は勿論、一座の人々はハッとした様に、その顔を眺めた。
「ではお前に見せるものがある」
探偵は、何か訳の分らぬ事を云いながら、つぎとのあいだふすまに近づき、それをサッと開いた。
「どうじゃ、殿村、これでもわしは赤蠍に負けたかね。白髪首をけても助けるといった約束を守らなんだかね」
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