小宮幸治は、はじめて東京で正月を迎えた。これまでは毎年、北陸の郷里に帰ることにしていたが、今年はそれもできなかった。
目が覚めた時には、もう昼過ぎで、淡い冬の陽がカーテンに当たり、部屋の中に温い光を投げていた。空は澄み、空気は冷たく、いかにも正月らしい静かな天気であった。だが、小宮の身体は、けだるく重かった。彼は、なすこともないままに蒲団の中で、新聞を眺めた。
元旦の新聞はまだ十分に分厚かったが、紙面には新味もなければ夢もなかった。いつもと同じようなカラー写真がつき、各界首脳の年頭の辞があり、そして小宮にはもう飽き飽きするような石油の話があった。そしてその次には中東大戦の解説が長々とついていた。
中東大戦は、開戦四十日を経て、膠着状態に入っている。アラブ諸国もイスラエルも、兵員・武器の損耗により、新しい大規模作戦を展開する余力を失ったのであろう。だが、長く拡大した戦線では、複雑に入り乱れた戦闘が続いていたし、パレスチナ・ゲリラの侵入攻撃とこれに対する掃討戦も各地で行われていた。小規模化したとはいえ、双方の空爆は、連日広い範囲で続いている。
別の争いも生じた。煮え切らぬ国王政府にゲリラが蜂起した産油国もあったし、少数民族の武力抵抗が再発した地区もあった。しかもそれには隣接諸国が介入したとか、されたとかいった紛争が加わった。
停戦交渉は端緒すらつかめてはいなかった。ある国の大統領は、すべての勢力の代表を含めた全アラブ指導者会議の開催を提唱したが、一部の国王や有力なパレスチナ人組織の代表は、反乱部族長や少数過激派と席を同じくできない、と反対した。またある国王は、イスラエル、イランを含めた全中東諸国がテーブルにつくことを呼びかけたが、これにも反対者は多かった。ある民族主義組織の指導者は�テーブルよりも戦場で、言葉よりも銃で�と、徹底抗戦を叫び続けていた。
アメリカ、ソ連などの大国は、早急休戦を提案したものの、それほど具体的な動きを見せていなかった。石油以外に何一つない中東諸国が、やがて大国に救済を求めざるをえなくなる時を待てば、問題が一挙に解決するだろう、という観測がある半面、すでに大国間には勢力圏分割の了解が成立しており、その範囲内でそれぞれの支持勢力に武器や軍事顧問団を送り出している、という見方が流れている。
夕方近くなって、小宮は散歩に出た。
街は、昨日までの騒ぎがうそのように静かだった。人も車もほとんどなく、夕焼け空の下に葉の落ちた街路樹だけが寒々とした姿をさらしていた。どの家もどの店も、扉を閉ざし、静まりかえっていた。
二日の午後、当面の石油需給見通しに関する会議が開かれた。これには、エネルギー庁の課長・課長補佐のほかに、石油連盟や石油会社の代表も加わり、現在の石油備蓄量や今後の輸入・消費見通しの情報が交換された。その要点を、小宮はメモした。
㈰ 十二月三十一日末の石油備蓄量は、原油換算四千六百万キロリットル、平常時の年平均消費量で五十四・一日分、と推定される。
㈪ 備蓄量の比較的多い製品は、ガソリンとC重油で、それぞれ五十七日分程度、少ないのは石油液化ガス(LPガス)の四十七日分、軽油四十八日分、A重油の五十日分である。
㈫ 石油輸入動向は、去る十二月二十日頃までは、大戦勃発前に出港したタンカーが入港していたので、平常通りだったが、今後は急速に減少し、一月前半は平常の六〇%内外、そしてホルムス海峡封鎖の影響が全面的に現れる一月後半には平常の約二〇%まで低下しよう。
㈬ 石油消費は、一月前半は正月休みなどの関係から平常の約七五%になろうが、一月後半は消費が平均を一五%ほど上回る季節なので、第二次消費規制により前年同期の二六・七%減に抑えたとしても、平常の平均的消費の八〇%強は消費されるだろう。
以上を数表にまとめてみると、次のようになった。
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この数値でみる限り、二月になるとたちまち危険になることは明らかだ。輸入と消費が一月後半と同様のペースであるとすれば、一日五十万キロリットルずつ備蓄石油が減少する。二月の四日か五日には、石油備蓄量が平常通りの精製・流通を円滑に行うための最低安全量とされる消費量の三十九日分にまで、落ち込むわけだ。
一同は愕然とした。
「中東と日本との間をタンカーが往復するのには最低五十日かかる。いますぐホルムス海峡の封鎖が解けてタンカーが出港しても、二月十日には間に合いませんよ」
武藤石油流通課長は絶望的にいった。
ある石油会社の重役は、精製・流通を円滑に行うための保有量は、その時点での消費量の三十九日分だから、第二次節減実施下では、普段の八割で十分だ、といい、平常時に必要とされる三千三百万キロリットルの代わりに、その八割に当たる約二千六百万キロリットルを想定するよう、指摘した。それにしても、絶対的危機の到来は、時間の問題だった。最も楽観的な説をとっても、二月末か三月早々に、円滑な石油供給は不可能になる。
「油種別に見ると、もっと早くアウトですよ」
と、小宮はいった。
比較的備蓄も多く消費節減もきびしく行われているガソリンなどはまだ余裕があるが、その逆のLPガスや軽油は、一月中にも危い、と思えた。同じ石油製品といっても、ガソリンをLPガスや軽油の代用には使えない。
「そうだ、早急に取り分を変更せにゃならん」
寺木がうなずいた。
原油から製造する各石油製品の比率(取り分)は、物理的に決まっているが、精製工程を加減することで多少の変更はできるのである。
「それはすぐやりましょう」
技術面を担当する山城石油第二課長が応じた。
「しかしそれにも限度がありますからね。それより、二月以降の輸入見通しはどうです」
まず、問題は、国際石油資本《メジヤーズ》の態度である。
「わが社は、資本系列にあるメジャーから全体の六〇%を買ってますが、これまでの通知では従来の五〇%以上は確保するとのことです」
N石油の重役がいった。
M鉱産の部長は暗い表情だった。
「うちはメジャーからの購入がもともと少ないうえ、純民族資本ですから、その点はあまり期待できません」
次は、中東以外における買い増しの問題であった。とくに期待されたのは、従来から生産原油の大部分を日本が買っているインドネシアなど東南アジア諸国の石油増産であった。
石油連盟の理事の一人が答えた。
「各国とも増産に努めてますから、一月後半頃から一五%ぐらいは増えるでしょうが、そう急には伸びんでしょう」
もし、一五%の増加がそのまま日本に入って来るとしても、中東以外からの輸入は従来、全輸入の二割弱しかなかったのだから、日本の輸入全体では三%くらいの回復になるだけだ。東南アジアの供給力はその辺が限界なのだ。
「それよりも、これまで輸入していなかった国からの輸入が伸びるんじゃないですかね」
I燃料の重役がいった。
長期契約によらない一回限りの石油取引、いわゆる�スポットもの�の話だ。
確かに、日本の総合商社は、いま、その情報力と機動力をフルに動員して、全世界各地でべらぼうな高値で石油を買い集めている。
「すでにわが社は、商社を通じて二十万キロリットルほどアフリカ原油の買い付けに成功しました」
I燃料の重役は、誇らし気な顔をして見せた。
各石油会社から同じような石油買い付けの成約または有望な話がいくつか報告された。もっとも、それらは量的に大したものでなく、そのうえ、価格の点で、さすがの日本商社も二の足を踏むケースが多いとのことであった。
「南米原油を導入しておけばよかった」
「海底油槽さえ反対されなきゃよかったんだ」
誰からともなく、そんなぐちが出た。
「で、全体をとりまとめるとどうなりますかな、輸入見通しは……」
寺木が、過去のことには興味ないといった風に、声を高くした。
二月以降の石油輸入量は平常の二七%ないし三四%の間ということで、ほぼ意見の一致を見た。
「いずれにしろ、早急に第三次消費節減がいるね」
石油業界の連中が出ていったあとで、寺木はつぶやいた。
「五〇%節減だ。それもできるだけ早くやらんといかん」