日美香はもちろん辞退したが、真鍋はなかなか引きさがろうとはしなかった。
真鍋には娘が二人いたのだが、ともに嫁いでしまい、今は妻と二人暮らしなのだという。知り合いが送ってきたという肉は、ちょうど三人前ほどあり、とても妻と二人では食べ切れそうもない。それに、老妻とぼそぼそ食べるより、日美香のような若い娘が同席してくれた方が楽しいからといって聞かなかった。
これ以上断るのもかえって失礼のような気がして、日美香は仕方なく、真鍋夫妻のもてなしを受けることにした。
そのあと、食堂ですき焼き鍋《なべ》を囲み、若干アルコールも入った真鍋は上機嫌《じようきげん》で、いよいよ饒舌《じようぜつ》になった。
思い出すままに、日の本村での話をしてくれた。
「……ふつう、祭りといえば、地元民と観光客とが一体となって、ぱあっと派手に騒ぐのが一般的なのですが、日の本村の祭りはそうではないんですな。どこか秘密めいたところがある。
ま、もっとも、あの村は観光地でもないし、あそこの祭りにしても、知る人ぞ知る程度にしか知られていませんから、わざわざよそから見に行く人も少ないので、騒ぎようがないともいえますがね。
七年に一度という一夜日女の神事のとき以外は、派手な神輿《みこし》などもいっさい繰り出さず、ほとんどの神事が神社関係者の間だけで、密《ひそ》やかに行われるという風なのですよ。
大日女と呼ばれる老巫女が大神の御霊《みたま》を呼び寄せる御霊振りの神事にしても、日女から蓑笠《みのかさ》を受け取った三人衆が村中の家を訪問する神迎えの神事にしても、よそ者は、見物は許されるのですが、写真撮影などは一切禁止されているのです。
しかし、私はどうしても写真に撮りたくてねえ。とりわけ、真夜中に行われる一夜日女の神事の様子を何がなんでもカメラに収めたかったのですよ。
聞くところによると、この一夜日女の神事というのは、白衣に白袴《しらばかま》を着けたいたいけな少女を乗せた華麗な輿《こし》を、これまた雅《みやび》やかな狩衣《かりぎぬ》姿の神官たちがかついで村を練り歩くというのです。闇《やみ》の中を、掛け声もあげず、まるで葬列のように、しずしずと練り歩くというのですよ。
なんとも、神秘的かつ幻想的な光景ではありませんか。私はどうしてもそれが一目見たかったのです。
ところが、この神事は、よそ者はもちろん、村人でさえも、けっして見てはならない決まりになっているというのです。他の神事は見物だけは許されるのですが、これだけは見物すらもまかりならぬというわけです。
もし、この神事の様を神職につく者以外の者が目にすると、大神の祟《たた》りがあるというのですよ……」
真鍋はそう言って笑った。
「しかしね、神の祟りなんてものは私は頭から信じちゃいませんからねえ。神社とか祭りとかには、若い頃からなぜか興味があって調べたりしていましたが、だからといって、神なんてものを信じているわけじゃない。私はこれでも無神論者ですから。
だから、せっかく高校を休んでまで来たのに、一番見たかった神事を見のがさずにはおくものかと決心していたのですよ。ここで見逃せば、また七年も待たなければならないのですからね。絶対に見てやる。大神の祟りがあろうが知ったことか。絶対にカメラに収めてやる。そう心に決めたのです。
ただ、問題は、いつカメラに収めるかということです。一夜日女を輿に乗せて社を出るのは、真夜中すぎだと聞いていました。それで、村を一回りして、社に戻ってくるのが空が白みかけた明け方だということも。
それで、むろん望遠で撮るつもりだったのですが、あたりが暗いうちはフラッシュを焚《た》かなければならない。どんなに離れていても、そのフラッシュの光りで、輿をかついでいる神官たちに私の存在を気づかれてしまうかもしれない。そう思った私は、輿が村を一巡して、社に帰ってきたところをシャッターチャンスにしようと思ったのです。そのころならあたりも明るくなっていて、フラッシュをたかなくてもいいかもしれないと思ったからです……」
そして、真鍋は軽い仮眠をとると、明け方近く、そっと宿泊していた寺を抜け出し、神社まで行くと、境内の建物の陰に隠れて、少女を乗せた輿が帰ってくるのを今か今かと待っていたのだという。
「いやあ、もう大変でしたよ。我ながらよくやるわいと思いましたね。十一月はじめとはいえ、あのあたりは朝晩はけっこう冷え込みますからね、寒いやら、心細いやらで。深夜のひとけのない神社というのは何とも薄気味悪いものですよ。おまけに腹もすいて……」
それでも辛抱強く待っていると、やがて、華麗な輿をかついだ神官たちの姿が境内に現れたのだという。
「あの瞬間は、胸が高鳴り、カメラをかまえる手ががくがくと震えましたよ。目にも華やかな輿を、薄紫色の狩衣姿の神官たちがかついで、しずしずと現れたときにはね。想像していたよりも遥《はる》かに美しい光景でした。その神官というのが五人ほどいたのですが、そのうち四人は若くて、いずれも女かとみまがうほどの白面の美青年なのです。まるで夢でも見ているようでした。
私は、夢中でシャッターを切り、さらに、神官たちが神輿を降ろすのを待ったのです。そこから白衣に白袴姿の一夜日女がおりてくるだろうと思って。その姿を一枚撮ろうと……。
ところが……」
飲みかけのビールの入ったグラスを手にしたまま、そのときの光景がまざまざと瞼《まぶた》の裏に見えるとでもいうように、真鍋の目が宙を凝視した。
「神官たちは輿を降ろすこともなく、小さな小屋のようなところへ入って行くと、しばらくして、手ぶらで出てきたのです。そして、もう用は済んだとばかりに、その小屋の扉に錠をおろしたのです。
私はあれっと思いましたよ。一夜日女はどこへ行ったんだと思ってね。まさか、少女を乗せたままの輿を小屋に戻して錠をおろすはずがないし、それに、そういえば、輿をかついできた神官たちは、まるで空の輿でもかつぐように軽々とかついでいたようにも思えてきたのです。
どうやら、社に戻ってきたとき、既に輿には誰も乗っていなかったようなのです。きっと、一夜日女はどこか別のところでおろしたのでしょう。私はてっきり社まで戻ってきておろすと思いこんでいたのです。寺の住職にそう聞いていたのでね。たぶん、私の聞き違いだったのでしょう。そうとも知らず、寒い思いまでして、こんなところでずっと待っていたのかと思うと、自分の間抜けさ加減がつくづく情けなくなりましたっけ……」
真鍋はそう言って、はははと笑った。