ギリシャ神話には、英雄(ないしは神)が悪龍(あるいは蛇の属性をもつ怪物)と戦い、これを退治したという話が実に多く登場する。
たとえば、先に語った、蛇女メドゥサとペルセウスの神話もそうであるし、実は、ペルセウスは、メドゥサ以外にも、もう一匹、蛇を退治しているのである。それは、メドゥサの首を切ったあとで立ち寄ったエチオピアの海に住んでいた巨大海蛇である。話によっては、これは鯨の化け物ということになっているが、もともとは、海蛇であった。
この巨大海蛇の生け贄《にえ》にされそうになっていたエチオピアの王女アンドロメダを助けるために、ペルセウスは、切り取ったばかりのメドゥサの首を使って、巨大海蛇を退治するのである。
ところで、この海神ポセイドンが遣わしたという海蛇の名前だが、一説によると、ティアマトであるという。
ティアマトといえば、古代バビロニアの「怪物の母」とも呼ばれた「雌龍」である。原始の海水から生まれた最初の龍(海蛇)であり、孫神にあたるマルドゥクに殺され、その巨大な身体《からだ》を二つに裂かれて天と地にされたという逸話をもつ太母神でもある。
さらに、後に、この蛇女神ティアマトが男性化されて、「七つの頭を持つ魔獣王」とか「年とった赤いドラゴン」などと呼ばれて恐れられた、あの聖書の海に住む大怪物、リバイヤサンになったのだとも言われている。
そんなバビロニアの大蛇女神の名前が、エチオピアの海にすんでいた海蛇の名前と同じだったというのは、けっして偶然の一致ではない。ギリシャ神話では、海を司る男神ポセイドンの遣い蛇に落とされてしまったが、もともとは、このティアマトこそが原初の海から生まれた「海の女王」であったのだろう。
また、かのメドゥサも、ギリシヤ神話の中では、海神ポセイドンの妻ということになっている。さらに言えば、ペルセウスが助けたというアンドロメダにしても、エチオピアの王女などではなく、フェニキアの「海の女神」であったという説もある。
つまるところ、ペルセウス神話とは、それまで女たちが司っていた「海」の覇権を男たちが奪い我が物にしたことを寓話《ぐうわ》的に語った話であるといってよいのかもしれない。ちなみに、ペルセウス座は、メソポタミアでは、マルドゥクと呼ばれていたという。
また、英雄中の英雄ともいうべき、あのヘラクレスも多くの蛇怪獣と戦っている。そもそも、ヘラクレスは、まだ赤ん坊のときに、女神ヘラが遣わした二匹の巨大青蛇を絞め殺したというのだから、生まれながらにして蛇とのかかわりは深い。
ヘラクレスが、女神ヘラの策略で遂げねばならなくなった十二の偉業の中には、蛇怪物を退治する話が二つある。一つは、ヘラクレスの十二の偉業の中でも最も困難をきわめたという、切っても切っても生えてくる百の頭を持つ、レルネーの水蛇ヒュドラを退治する話である。
そして、もう一つは、女神ヘラが所有している黄金のりんごの木(永遠の生命の木)から、りんごを盗んでくる話だが、このとき、ヘラクレスは、このりんご園の番人ともいうべき、大蛇ラドンをまず退治しなければならなかったのである。
さらに、この十二の偉業の最後に、「地獄の番犬ケルベロスを連れてくる」というのがあった。これは退治ではないが、ケルベロスもまた、犬の身体に蛇の尾(一説には蛇の頭ももつという)という、蛇の属性をもった怪物であることを考えれば、ヘラクレスが相手にしなければならなかった蛇怪獣は三匹もいたことになる。
蛇怪獣と戦ったのは英雄たちだけではなかった。
大神ゼウスも、大地女神ガイアが遣わした山ほどの背丈に火を吹く百の蛇の首を持つという火炎龍テュポンと戦い、これを倒さなければならなかった。
このテュポンという火炎龍は、後に、蛇女エキドナ(メドゥサの孫)と結婚して、ケルベロスやキマイラやスフィンクスなど数々の蛇怪物の父になったという。ヘラクレスが戦った大蛇ラドンや水蛇ヒュドラもこのテュポンの子である。
また、その威力の凄《すさ》まじさからか、台風《タイフーン》の語源にもなっている。
太陽神アポロンも、母親レトを苦しめた、赤い毒の目を持つ黒蛇ピュトンと戦って、これを退治し、それまでピュトンが祀《まつ》られていたデルポイの神殿を我が物としたのである。黒蛇ピュトンは、女神ヘラが遣わしたもので、ヘラの子であり夫でもある聖蛇だった。そして、おそらくは、アポロンが太陽神として君臨する前の、古い「太陽神」でもあったに違いない。
実際、アポロンに退治されたあと、ピュトンはアポロンに吸収されて、アポロンの「冥界《めいかい》での相」となった。古く、太陽は、夜になると母なる大地の子宮に戻ると考えられていた。昼間、天空にいるときは、輝かしい美青年の姿をしているが、夜、母なる大地に篭もるときは、黒い蛇の姿になったというのである。
なお、ここでついでに書いてしまえば、日本の太陽神である天照大神もその本体は蛇である。その証拠に、伊勢神宮の真の御神体ともいうべき「心《しん》の御柱《みはしら》」(あの壮麗な社が建てられる前から、伊勢の地で人々から信仰されていた一本の柱)には、その昔、鶏の卵と血が捧《ささ》げられていたという。この奇怪な風習の由来を記紀の故事に求めた人たちは、「天照大神が岩戸に閉じこもったとき、鶏を鳴かせて朝が来たことを告げ、外に出そうとしたことから」などと解釈しているようだが、そうではあるまい。事実はもっと単純で、鶏の卵と血は蛇の好物であると考えられていたので、蛇神である太陽神にそれが供物として捧げられたのであろう。つまり、「心の御柱」とは蛇のトーテムなのである。やはり蛇神を祀《まつ》っている諏訪《すわ》大社の「四本の柱」がそうであるように……。
それはさておき、話を元に戻すと、ゼウスが退治したという百頭の大蛇テュポン(Typhon)と黒蛇ピュトン(Python)は、見ての通り、名前の綴《つづ》りを入れ替えただけのものである。
古くは、「神」の真の名前を口にすることは戒められていたというから、やはり、これらの大蛇は、単なる怪物ではなく、古き神々であったのだろう。
こうして列記してみると、既にお気づきかと思うが、英雄や男神たちが死に物狂いで戦ったのは、実は、「蛇」そのものではなかった。むしろ、その「蛇」の遣い手である、大地女神ガイアであり大女神ヘラ(ガイアの孫娘)であったのである。
あるいは……。
むしろ、こう言った方がいいかもしれない。
テュポンもピュトンも雄であったように伝えられてはいるが、その正体は、超自然的な「蛇」と交わることで両性具有となった太母神の化身した姿であったと……。
ギリシャ神話だけでなく、エジプト神話にも、こうした龍蛇退治の話がある。太陽神ラーの乗る船を飲み込もうと西の果てで待ち構えている巨大海蛇アポピスを、冥界の神オシリスの兄弟であるセトが退治したという話である。
このアポピスは、もとをただせば、ギリシャで「ピュトン」と呼ばれていた黒蛇と同一であるという説もある。
さらに、インド神話では、永遠の生命をもたらすという神の飲み物、アムリタを盗み飲もうとした、ラーフ(中国では羅こうと呼ばれた)という龍頭の怪物を、太陽神ヴィシュヌが退治したという話もある。このラーフは、エジプトのアポピス同様、日食や月食をおこす怪物と恐れられていた。
また軍神インドラが、水害を起こすヴリトラという巨大水龍を退治した話もある。
こうした神話の中に見られる、英雄(神)による龍蛇退治伝説とは、母性原理を代表する古代の太母神を、父性原理を代表する英雄たちが倒して、母権制社会が古くから所有していた土地や財産、神としての地位を掠《かす》め取っていった物語なのである。
あるいは……。
逆説的には、こんな言い方もできるかもしれない。
英雄神話とは、太古において、太母神に生き贄として捧げられてきた数知れぬ男たちの復讐《ふくしゆう》の物語であり、そして、同時に彼らへの鎮魂の書でもあると。
とにかく、凶暴で醜怪な大蛇や蛇の属性をもつ怪物は、すべて、その怪物自身の性別のいかんを問わず、古代の太母神や荒ぶる女性原理を象徴しているのである。
ただ……。
こうした龍蛇退治の話は、西洋ではよく見られるが、東洋ではあまり見られない。西洋では諸悪の根源のように忌み嫌われた蛇怪物も、中国に入ると、「聖なる生き物」として大変な尊敬を受け、「龍」としてのその絵姿も、西洋のドラゴンに較べると、遥《はる》かに風格と威厳のあるものになっている。
インドにおいても、ラーフやヴリトラのような退治話もあるが、同時に、蛇を聖なるものとして崇める蛇信仰を思わせるものもあるのである。
太陽神ヴィシュヌがいつもベッドのように横たわっているのは、九つのコブラの頭を天蓋《てんがい》のようにもたげ、とぐろを巻いている大蛇アナンタ(永遠の意)であり、この太母神を思わせる大蛇は、ヴィシュヌをその身に抱え守護しているかのようにも見える(もっとも、これは見ようによっては、ヴィシュヌが母なる大蛇を支配してその上に君臨している図のように見えないこともないが……)。
西洋では、龍蛇は邪悪さの象徴であり英雄によって退治されるべきものという概念が根底にあるが、東洋ではこのような概念は希薄のようだ。これは、龍や蛇に象徴される荒ぶる女性原理ともいうべきものが、西洋では一掃されるべきものと考えられているのに対して(こうした思想や感情を生んだ原因は、蛇を悪魔と見るキリスト教の普及と浸透にあった)、東洋では、その文化の根底には、大いなる女性原理を崇拝する習慣や思想が脈々と息づいていたからに他ならない。
では、日本においてはどうだろう。
龍蛇退治伝説といえば、真っ先に思い浮かぶのは、出雲《いずも》のヤマタノオロチ伝説だが、はたして、あれも、英雄神による大蛇退治の話なのだろうか?