八月九日。日曜日の午後だった。
喜屋武蛍子は、近くの菓子屋で買ったモンブランの箱を片手に、「照屋・知名」という真新しいネームプレイトをおもてにかかげたドアの前に佇《たたず》んでいた。
一呼吸して、インターホンを鳴らすと、すぐに返事があった。
「……わたし、蛍子」
そう言うと、
「ドア開いてるから入って」
という火呂の声がした。
中に入ってみると、玄関口には、所狭しと段ボール箱が積み重ねられており、まさに引っ越してきたばかりという慌ただしさが漂っている。
火呂から電話が入り、ようやく新居が決まり、引っ越しした、日曜あたりに暇だったら、一度見に来てほしいと言われたのは、二日前のことだった。
火呂は、頭にタオルを巻き、膝《ひざ》の抜けたジーンズ姿で、十二畳ほどのリビングにいた。床の拭《ふ》き掃除をしている。中も玄関同様、段ボール箱が散乱していて、まだ片付いていないようだった。
「なかなかいい所じゃない?」
蛍子は、「お土産」と言って、モンブランの箱を姪《めい》に手渡したあと、部屋の中を見回しながら言った。
電話で聞いていた話では、新居は、2LDKの間取りで築五年ということらしかったが、そのわりには、リフォーム済みのせいか、壁も天井も奇麗で真新しく見えた。これなら新築といっても通るくらいだ。
ベランダに出てみると、七階ということもあって、見晴らしがいい。もっとも、見えるのは、人家の連なる屋根や他の高層の建物ばかりではあったが。
でも、この高さなら、防犯的には安心できそうだ。
「不動産屋さんがね、これだけの物件で、管理費こみで月十二万は掘り出し物だって」
リビングの床の上にしゃがみこんだまま、火呂が得意そうに言った。
「祥代さんは?」
祥代の姿が見えないので訊くと、火呂は、「朝からバイト」と答えた。
そういえば、前に軽食喫茶で聞いた話では、医学生というのは、他学部の学生に比べて授業がハードで忙しいらしく、その上、休みの日も、朝から家庭教師のバイトの掛け持ちをしているということだった。
そのとき、思わず、「大変ねえ」と言うと、「家庭教師のバイトは、子供に勉強だけさせて、自分は居眠りしていてもいいですから、楽なんです」と、当の祥代はスパゲティをほお張りながら、屈託なく笑っていた。
「サッチン、一希ちゃんのことがあるから、生活費くらいは自分で稼いで、うちからの仕送りを減らしたいんだって」
「ああ……」
そうか、というように蛍子は頷《うなず》いた。
祥代の弟の心臓病は、健康な心臓を移植するしか治る見込みはないらしく、いずれ海外で移植手術を受けることになっているらしい。だが、それには、渡航費を含めて莫大《ばくだい》な費用がかかる。祥代は、そのために、自分にかかる親の負担を少しでも少なくしようとしているのだろう。
しっかり者で弟思いの彼女らしい、と蛍子は改めて思った。
そういえば、二人で住もうと最初に言い出したのも祥代の方だったらしい。その方が月々の家賃の負担も少なくて済むというのが主な理由らしかった。
たしかに、東京の住宅事情は地方出身者にとっては厳しいものがある。蛍子も上京したばかりの頃は、賃貸物件の家賃の高さに目の玉が飛び出る思いをしたことがあった。
申し訳程度の台所がついたワンルームが月七、八万もするのだ。それならば、いっそ、月十二万の物件を二人で借りた方が、経済的な面だけでなく、生活レベルや防犯的なことから考えても、賢明な選択といえるかもしれなかった。
「何か手伝うことはない?」
と聞くと、「後は、段ボールの中の衣類や本を片付けるだけだからいい」と火呂は言い、「今、コーヒーでもいれるから、そこに座ってて」と、テーブルの方を顎《あご》で示した。
テーブルに座って待っていると、やがて、コーヒーの良い香りがしてきた。
「元気そうなんで安心した」
蛍子が持参したモンブランを向かい合って食べながら、そう言うと、火呂の顔から笑みが消え、真顔になった。
「本当いうと、今日、叔母《おば》さんに来てもらったのは、読んで貰《もら》いたいものがあったからなんだ」
「読んで貰いたいもの……?」
蛍子の心臓がドキリと鳴った。もしやという予感があった。
「ちょっと待ってて」
火呂はそう言うと、食べかけのケーキを残してテーブルを離れ、リビングを出て行ったが、すぐに戻ってきた。手には封筒のようなものを持っている。
「これ……」
手にした封筒を蛍子の方に差し出した。
それは、やや黄ばんだ古い封書で、封筒の表には、「火呂へ」とペン字で書かれていた。
「これって、もしかしたら……?」
蛍子はそれを受け取りながら、驚いたように姪の顔を見た。
「母さんの手紙」
火呂は言った。
「……読んでもいいの?」
念を押すように聞くと、火呂は、大きな目でまばたきもせずに叔母を見つめたまま、「読んで。今、ここで」と言った。
蛍子は、ややためらうように、手の中の封書を見つめていたが、意を決したように、中から畳まれた便せんを取り出した。
おそるおそる開いて見ると、見覚えのある姉の字が目に飛び込んできた……。
「火呂。
母さんはもう長くはないようです。
乳房にできた癌《がん》があちこちに転移していたと知ったときから、この日が来ることは半ば覚悟していました。心の準備はできています。死ぬのは怖くありません。ただ、後に残していく、あなたや豪のことが気がかりなだけです。特にあなたのことが……。
実は、母さんはあなたにずっと隠していたことがあります。いいえ、あなただけじゃなくて、うちの人たちにも……。この十数年間、母さんが一人で胸に秘めてきたことがあります。本当は、誰にも語らず、自分一人の胸に秘めたまま、あの世まで持って行くつもりでいました。
でも、こうして、いざ死期が近づいたことを感じると、固く決心したはずの私の心に大きな迷いが生じました。これでいいのだろうか。私一人の胸におさめ、あなたに何も伝えることなく、逝ってしまってよいものだろうか。そんな権利が私にあるのだろうか。あなたの人生はあなたのものであって、私のものではない。
あなたが自分の人生をこれから真っすぐ生きていくためにも、あなたは全てを知る必要がある。知る権利がある。そして、私にはあなたに真実を知らせる義務があるのではないかと思うようになりました。
それで、ここ数日、考えに考え、悩みに悩んだ末に、私はあなたに或《あ》る重大なことを打ち明ける決心をしました。それは、あなたの出生にかかわることです。すべてを打ち明けた上で、これからの人生を自分で選択してほしいのです。
照屋の父さんが本当の父さんではないことは、私が打ち明ける前から、あなたは知っていましたね。確か、中学に入った年でしたね? 本当のお父さんである高津広武という人のことをあなたに話したのは。
学生時代から高津さんと付き合っていて、この人と結婚するつもりでいたことも、その直前に、この人が山で遭難死したことも、そして、そのとき既に、私のおなかの中にはあなたがいたことも……。
父親のいない子を生んでも苦労するだけだという、周囲の反対を押し切って、私はあなたを生む決心をしました。迷いは全くありませんでした。私は心から愛した人の形見を何がなんでもこの世に残したかったのです。
そして、その子が男であろうと女であろうと、名前も最初から、ヒロと付けようと決めていました。ヒロというのは、高津さんの愛称でした。子供の名前を呼ぶたびに、そこにいつもヒロが共にいることを感じていられるように……。
産院に通院している間に、私は一人の女性と知り合いになりました。橋本弘美さんという人です。定期検診などで何度か顔を合わせているうちに、自然にどちらからともなく話をするようになり、この人とは幾つか共通点があることを知りました。予定日もほぼ同じで、しかも、弘美さんも、詳しい事情はよくは知りませんが、父親のいない子を生もうとしていたのです。私はなんとなく彼女に親しいものを感じるようになりました。
そして、予定日が来る前に、突然の陣痛がおきて、急遽《きゆうきよ》、入院した私は、ひどい難産の末にあなたを————いいえ、小さな女の子を生みました。でも、その子は息をしていませんでした。先生たちが懸命になってあらゆる処置をしてくれたのですが、私がヒロと名付けた女の子は、ただの一度も産声をあげることなく、冷たい骸《むくろ》となってしまいました。
最愛の人を失った上に、これから生きる支えにしようと思っていた、その人の忘れ形見まで失って、私がどれほど悲嘆にくれたか、とても言葉に表すことはできません。食事も全く受け付けず、いっそこのまま死んでしまいたいとさえ思っていました。それでも、人間の体とは不思議で残酷なものです。お乳が張ってきて、自分で絞り出さないと痛いくらいなのです。そのお乳を与えるべき子供はいないというのに……。
でも、そんな悲嘆のどん底にいた私を唯一、救ってくれる存在がありました。それは、橋本弘美さんが生んだ赤ちゃんでした。彼女も、同じ頃に、女の子を生んでいたのです。しかも、私同様の難産で、出産と同時に彼女の命は尽きたことも、後で知らされました。彼女が生んだのは、一卵性の双生児でした。二人の女の赤ちゃんは、母親の命と引き換えにこの世に生まれてきたことも知らず、元気に、競うように、お乳をほしがって泣いていました。
子を失った母と、母を失った子供。両者が結び付くのに時間はかかりませんでした。私は当然のように、この子たちに自分のお乳を与えるようになったのです。
そして……。一時は衰弱しきっていた私の体も持ち直し、退院する直前になって、私は、橋本弘美さんが天涯孤独の身で、彼女の生んだ赤ちゃんたちには引き取り手がいないことを、橋本さんと同じ職場————橋本さんは新宿のバーでホステスをしていたそうです———で働いていた葛原八重さんという人から聞かされました。橋本さんはこの葛原さんと職場が同じだけではなく、同じアパートで同居していたのです。彼女の子供たちは、このままでは、どこかの施設に入れられる運命にあるというのです。そのとき、私の頭に天啓のようにひらめいたことがありました。
橋本弘美という人と知り合い、同じ産院で、私の子供は死んで生まれ、彼女は子供を生んで亡くなった。これもひとつの縁《えにし》ではないかと思ったのです。それに、毎日のように、彼女の生んだ赤ちゃんたちを抱いてあやしたり、お乳をあげているうちに、私には、その子たちがとても他人とは思えなくなっていました。このまま別れることなどできなくなっていたのです。
それで、施設に預けるくらいなら、いっそ、二人とも私が引き取って、自分の子供として育てようと思いたったのです。そのことを葛原さんに話すと、葛原さんも、私と同じことを考えていたというのです。彼女には過去に何度か中絶の経験があって、そのためにもう子供は望めないかもしれないからと……。
それで、私たちは話しあって、双子の赤ちゃんを一人ずつ引きとって育てることにしました。聞くところによると、双子は別々に離して育てた方が勝ち負けがつかずに健やかに育つという言い伝えもあるそうです。
私はそのとき葛原さんにある提案をしました。それは、子供たちを養子ではなく、私たちが自ら生んだ実子として育てようという提案でした。その方が後々子供たちのためになるからと、葛原さんには言いましたが、今から思えば、あれは私のエゴにすぎなかったのかもしれません。
私は、死んで生まれたヒロに代わる子供が欲しかったのです。そして、その女の子にもヒロという名前を与え、その子が、私と高津広武との間に生まれた子だと自分で自分に暗示をかけたかったのかもしれません。そうでもしなければ、恋人と、その恋人の形見である子供を同時に失った私は、この先、生きてはいけないような気がしていたからです。
このことを知っているのは、お世話になった産院の先生や看護婦さん、それに、葛原八重さんだけです。高津さんの両親は既に亡く、沖縄の実家には、子供を死産したことをまだ知らせてはいませんでした。実家では、当初、私が未婚のまま子供を生むことを反対していたので、そのことで多少の確執があって、誰も出産には立ち会っていなかったことがかえって幸いしていました。
私は無事女の子を出産したことだけを伝え、数週間後、赤ちゃんを連れて帰郷しました。最初は、東京で働きながら子供を育てるつもりでいたのですが、このようなことになって、二人の子供たちが将来ばったり出会うことのないように、なるべく遠く離れて育てた方がいいと思うようになったからです。
葛原さんもいずれ郷里である和歌山に帰るかもしれないが、しばらくは東京にいると言っていましたので、私の方が沖縄に帰ることにしたのです。一生沖縄で暮らせば、二人の子供が生涯互いの存在を知らずに過ごすことも可能かもしれないと思ったからです。
だから、葛原さんとはあえて連絡を取り合うのはやめようと約束しました。これ以上の接点をもたないことにしたのです。私が彼女から聞いたのは、その頃住んでいた新宿のアパートの住所と電話番号だけです。何年かたって、一度だけ、ここに電話をかけてみましたが、既に引っ越したらしく、電話は使えなくなっていました。
あと、もう一つだけ分かっているのは、あなたの本当のお母さんである橋本弘美さんのことですが、「橋本弘美」というのは、どうやら本名ではないらしく、「倉橋日登美」というのが本名らしいということ、そして、倉橋さんの故郷が長野であるらしいということ、くらいのものです。
あなたの本当のお父さんのことについては、私には全く分かりません。橋本さん、いえ、倉橋さんは、そのことについては何か触れられたくない事情があったらしく、同居していた葛原さんにも話してはいなかったようです。
でも、あなたには、まさに分身ともいうべき、双子のお姉さんがこの世に存在しているのです。名前も分かりませんが、その人の体には、ちょうどお乳の上あたりに、あなたと同じ薄紫色の痣《あざ》がありました。不思議なことに、まるで鏡に映したように、あなたとは左右逆で、右胸のあたりに……。
火呂。
私の告白にさぞ驚いているでしょうね。あなたのためなどと言いながら、最後まで自分のエゴを押し通しているような気もしています。あなたを私の子供として育てようと決心したのなら、それを最後まで貫き通すべきだったのかもしれません。でも、あなたは高校を卒業したら、私の母校でもある東京の大学に進学したいと言っていた。上京すれば、もしかしたら、どこかで、葛原さん母子とばったり出会わないとも限りません。そのときになって、大きなショックを受けるよりも、今のうちに私の口から真実を打ち明けておいた方がいいと思ったのです。
それに、最初に書いたように、あなたの人生はあなたのものです。私は亡くなった高津広武という人への断ち切れない想いのために、あなたを彼の子供に仕立てあげ、そう思い込むことで、なんとか生きてきました。でも、それは同時に、あなたの本当の人生を奪ってきたことになるのかもしれません。
これからのあなたの人生は自分で選び取っていってください。あなたは賢くて芯《しん》の強い子です。おそらく、自分にとって一番良い道を選択してくれるでしょう。
最後に……。
あなたの「火呂」という名前は、読みは、高津さんの愛称から取ったものですが、「火呂」という漢字を当てたのは、あなたがいつか誰かの「火」になることを願ったからです。「火」は人を温め浄めます。そして、人をよりよい道へと導く目印ともなるものです。沖縄には古くから「火」への信仰があります。その「火」を守るのは常に女の仕事でもありました。そのせいでしょうか。私は、あなたに「火」のような存在になってもらいたかったのです。
いいえ、あなたは生まれたときから既に「火」そのものでした。私の凍えきっていた体と魂を温めてくれたのですから。私はあなたに出会うことによって救われました。もし、あのとき、あなたという小さな「火」に出会わなければ、私の魂は、あのまま凍え死んでいたでしょう。
私を救ってくれたように、いつか、誰かの———いえ、多くの凍える魂をもつ人たちを温める「火」になってください。物質的には豊かになって、飢える人はいなくなったけれど、代わりに、心の飢えた人、魂の凍りついた人たちは確実に増えているような気がします。そんな人たちの「火」になってあげてください。あなたにはそれができます。そんな不思議な力が生まれつきそなわっているようです。海で溺《おぼ》れかけた豪を死の淵《ふち》から引き上げたのも、あなたのその「力」です。あなたの左胸の痣は、その「力」の象徴のような気がします。
でも、「火」は、人を温め救うものであると同時に、使い方を間違えると、生けるものすべてを焼き尽くす、恐ろしい凶器ともなりうるものです。どうか、その「力」を間違ったことに使わないで。
母さんはあなたを信じ、あなたを見守り、あなたが常に正しい選択をすることを祈っています」