「あの朝……」
連れ立って二の鳥居をくぐり、三差路の方に向かって歩きながら、神郁馬は思い出すように口を開いた。
村長を乗せて、あのバス停近くを通りかかると、旅行カバンをさげた男が前方を歩いているのが目に入った。それが、一昨日《おととい》、話をした伊達浩一であることに気づいた郁馬は、クラクションを鳴らし、車の中から伊達に声をかけた。すると、伊達はこれからバスで長野駅まで行くところだと言ったという。
「それで、ちょうど僕たちもそちらに行こうとしていたので、伊達さんを拾ったんです」
「そのとき、伊達さんは助手席に……?」
蛍子は歩きながら、さりげない声で尋ねた。なるべく細かい所まで聞き出して、後で村長の話とも照らし合わせてみるつもりだった。もし、彼らが口裏を合わせて、ありもしないことをでっちあげているのだとしたら、必ず、細部の証言で食い違いが生じるはずである。
「……そうです」
やや間があって、郁馬は答えた。その間が蛍子には少し気になった。もっとも、間といっても、自分の思い過ごしかと思うほどの短いものだったが。
「車の中ではどんなことを話されたのですか」
蛍子はさらに尋ねた。
「どんなことって……」
郁馬は、幾分困惑したように、
「どうということのない、ふつうの世間話だったと思います。こちらは車の運転に集中していたし、適当に聞き流していたので、あまりよく覚えてないんですよ」
と、あたりさわりのない答え方をした。
「伊達さんは長野駅からまっすぐ東京に戻ると言っていたのですか。それとも、どこかに立ち寄るとは……?」
蛍子は、少しの嘘《うそ》も見逃すまいと郁馬の横顔をじっと見ながら聞いた。
「このまま東京へ戻るとおっしゃっていたような。少なくとも、どこかに寄るという話は聞いていませんね。長野駅の手前でおろしたあと、車の中からちらと見たら、伊達さんが駅の階段を昇って行かれるのが見えたので、てっきり、そのまま新幹線で東京に戻られたのだとばかり……」
「あの……伊達さんが私立探偵だということはご存じでしたか」
蛍子は話題を変えるように言った。
伊達は、探偵という自分の身分を明かして、日の本村の人々に接したのだろうか。それとも、ふらりと立ち寄った観光客でも装ったのだろうか。場合によっては、身分を偽って、調査にあたることもあると前に聞いたことがあった。
「ええ、それは知ってます。伊達さんがそうおっしゃっていましたから」
「日の本村に来た理由を話したんですか? 何かの調査とか?」
「なんでも……日登美様のことを調べていると……」
「日登美様?」
蛍子は思わず聞き返した。伊達は、倉橋日登美のことを調べていると素直に話したのか。そんなことをしたら、神家の人間に警戒されてしまうのではないだろうか。調査のプロにしては無防備というか、少々正攻法すぎるような気がした。
「ああ、日登美様というのは……」
蛍子の問い返しを別の意味に勘違いしたらしい郁馬は、日登美のことを簡単に説明した。自分にとっては従姉《いとこ》にあたる人で、「日女」の一人だということを。この村では、「大神」の巫女である日女は特別視されていて、たとえ家族であっても、「様」を付けて呼ばなければならないのだという。
そういうことは、真鍋伊知郎の本を読んで、蛍子は知っていたが、はじめて聞くような顔をして相槌《あいづち》を打っていると、元来、人懐っこい性格で話し好きらしい青年は、この「日登美様」が、ある事情があって、この村の生まれであるにもかかわらず、東京で育ち、幼い娘を連れて、村に帰ってくるまでのいきさつを蛍子に話してくれた。
もっとも、日登美母子が村に帰るきっかけとなった昭和五十二年の事件のことは、「ご不幸があって」などと巧《うま》くぼかしていたが。
「……それで、その日登美様の父かたの伯母《おば》という人が、この村に帰ったあと、日登美様から何の連絡もないことを心配して、日登美様と春菜様がまだ村にいるのか、元気で暮らしているのか、伊達さんに調べてくれと依頼したらしいんですよ……」
郁馬の話を聞きながら、ああそうか、と蛍子はようやく合点がいった。伊達は、日登美|母子《おやこ》のことを調べるために、松山で旅館業を営む、日登美の養父の姉、秋庭タカ子を「依頼主」に仕立てたのだ。
むろん、秋庭タカ子からそんな依頼を受けたわけではないが、こういう話にしておけば、神家の人々にさほど怪しまれることなく、日登美母子のことを探れると思ったのだろう。
郁馬の話では、日登美母子の消息を調べるために、九月二日、伊達は神家を訪れたのだという。そのとき、たまたまうちにいた郁馬と話をして、顔見知りになったのだということだった。
「……日登美様も春菜様も既にお亡くなりになったことを話したんです。二十年も昔のことです。僕は小さくてよくおぼえてはいないんですが、お二人とも病死だったと聞いています……」
話しながら歩いているうちに、いつのまにか、例の三差路に出た。その三差路を日の本寺のある方向とは反対の道を選んでさらに歩き続けると、前方に、古いどっしりとした構えの日本家屋が見えてきた。
宮司宅のようだった。