東京は私たちが想像しているよりは意外に�緑の都�であるということを書こうと思う。
人ごみと自動車と煙霧のなかで私たちは血まなこのワラジムシのようになって暮しているので、なかなかのみこみにくいイメージなのであるが、空から鳥の目で見おろしてみると、東京は意外に�緑の都�なのである。
いつか私はヘリコプターにのって東京の空をあちらこちらさまよい歩いたことがある。屋根瓦の果てしない干潟《ひがた》、無数のマッチ箱の乱雑なひしめきあい、とめどない大地の皮膚病、つまり、あらかじめ覚悟のものが眼に映った。幾本かの幹線道路が見えるだけで道らしい道はどこにも見えず、厖大《ぼうだい》な苔《こけ》の群落のように人家の屋根がおしあいへしあいになっている。そこへ海沿いの京浜工業地帯の煙突から、黄いろいのや、赤いのや、見るからにいがらっぽそうな、毒どくしい化学煙がもうもうと吐きだされて、いちめんに流れている。
ヨーロッパの中世の寓意画ではペストがたいていの町の上空を蔽う黒煙として描かれているけれど、ここでは鮮明な黄煙や赤煙が、そびえたつ無数のセメント製や金属製の男根からもくもくと吐きだされているのである。
放埓《ほうらつ》さと災厄のこのような印象はすでに地上で幾千度となく覚悟のうえのものであって、何事にもおどろいてはいけないぞと脳膜を象の皮みたいに厚くして暮している私は針を刺されたほどにもおどろかずあわてず、ただうっすらと眼を開いて、おお、ミジンコのような人類よ、緩慢なる自殺の洪水よと、高遠なる諦念の静けさをもって空と土のあいだをさまよいつづけたのである。ナメクジに似たその無感動は、すでに知りつくしているものを見せられたにすぎないのだという事実からたちのぼったアクビの一種であった。
けれど、やがて、一つの新しい発見が象皮病にかかった脳膜へ水のようにしみこんできた。
(東京ニ木ガアル!……)
私はおどろいて、眼をひらく。
皇居や神宮外苑や青山墓地や新宿御苑などに緑の大きな群落はあるけれど、私をおどろかしたのはそれではなかった。黄煙、赤煙がもうもうとたちのぼる工場地帯のセメントの塀《へい》にしがみつくようにして建てられた、まるでその塀の汚点か垢みたいな小さな人家でも庭を持っているのである。いや、�庭�というよりは、とにかく灰か黒かに色が変って、土とも化学|渣《かす》ともつかなくなったような土にその家の人は一本の木を植えているのである。よくよく覗けばその木も枝や幹の色が変って、死んでしまい、去年のお祭に使った造花のように埃だらけである。しかしその家の人は土を持とうとし木を持とうとしているのである。
都内に人家が何戸ぐらいあるものなのか、見当がつかないが、工場、官庁、百貨店、ビル街、団地アパートの群落などは全面積のごく一部であるにすぎない。あとは無数の人家がフジツボのようにおしあいへしあいくっつきあっているのである。そのフジツボたちが空から覗きこむと、みんな庭をつくろうとし、木を持とうとしているのである。住居の建坪を切りつめてまでして庭をつくろうとしているのである。かりにそこに木が一本しかなくても、都内全体としては、何百本、何千本、何万本という数字になるから、空から見おろすと、�緑の都�が煙霧の底から浮びあがってくるということになるのである。中野、世田谷、杉並、大田、練馬、板橋などの郊外区のほうへゆくと、ますます緑は濃く、広く、そしてますます道は薄く、細くなり、ついに見えなくなるのである。
ひょっとしたら建築法規で人家には庭をつくらなければならないという法令ができているのであるのかも知れない。が、そのときの私は、日本人と自然ということについて、あらためて考えこませられたのである。庭というもの、土や木というもの、緑というもの、それが東京の家の細胞核みたいなものになっているのである。四角になったの、三角になったの、ネコのおでこぐらいしかないのからカバの背中ぐらいのまで、その細胞核は大小形状無数であるが、いずれも核であり命であることに変りはなかった。
ヨーロッパ人たちやアメリカ人たちは都会における自然とは並木道と公園のことだと思いこんでいる。個人の自然は窓ぎわのゼラニウムの鉢しかない。石の町のなかでは個人にはひとにぎりの土を持つことも許されていない。土や木や緑や庭を個人が持てるのは都心からはるかに離れた郊外や別荘地区だけである。細胞核をとりもどそうとあせる彼らはパリやニューヨークやロンドンから遁走《とんそう》する工夫に夢中になっている。けれど私たちは東京のドまんなかで個人の家で土を見ようとすればいくらでも見られるのである。私たちは異様な�贅沢�を味わっている。東京は工業都市、行政都市、商業都市であるほかに、奇妙な表現に聞えるかも知れないが、別荘都市でもあるのだ。
奇妙な矛盾がここからでてくるのである。煙霧の底であえぎつつ自分の寝室の坪数を切りつめてでも庭をつくろうとする私たちは、それほど自然を尊重しながらも、公共の自然ということになると、手のひらを返したように冷淡であり、粗暴である。たまさかの並木道や公園の汚れかた、傷《いた》みかた、衰えかたは何事であろう。そして一歩家のなかへはいったときの、部屋や庭にしみこみ、ふるえている清潔さや繊細さや意識や秩序感覚など、この二つのものの矛盾ぶりは、何事であろう。私たちは自然を溺愛し、自然を侮蔑しているのだ。世界無比を誇ってよい私たちの清潔さや繊細さや美意識や造形感覚や自然愛などは、つまるところ、利己主義の温室のなかでしか息ができないのであるか。
ネールが日本へ来て、悪路を全身で味わったあげく、日本の道路ほどわるいものはほかに考えられないという呻《うめ》きを吐いた。日本の道路のすさまじさを批評するときにきまって引用される言葉である。なんの修正もなしに、そのまま私はこの言葉をうけとるしかない。インドの道路が日本のよりいいのはインド人が作ったのではなくてイギリス帝国主義の遺産じゃないかと皮肉をつぶやいてみたい気持がないわけではないのだが、だからといって道路のために日本が植民地化されたほうがよいとは爪の垢《あか》ほども考えない。けれど、明治以来の積年の軍国主義がアジア全域から真珠湾、アリューシャン列島の北端にいたるまで膨脹、暴発、のたれ死をしながら、ついに盲腸のさきっちょほどもない日本列島の道路一つ作れなかったというのは、なんという精力の浪費であろうかと思わせられるのである。
ヒトラーがアウトバーンをつくったのは戦争をヨーロッパ大陸内でひき起すことを考え、ロシア、東欧、中欧、西欧、南欧、四方八方へ|陸続き《ヽヽヽ》で迅速に暗黒の情熱を運搬しようという計算からだったが、日本は海のなかの孤島だったので、海岸沿いに工業基地と軍事基地、ゲンコツと男根をふくらます工夫にふけっただけだった。国内の道路などはどうでもよかったのだ。海岸沿いにゲンコツと男根をつなぐ幹線道路があればそれで足りると考えていたのだ。離れ島の民族の膨脹衝動が悪路を結果した。これは世界にあまり例がないと思う。大陸ではコハクや岩塩や絹が道をつくったということがある。また、シーザーがアッピア街道をつくり、ナポレオンがパリをつくり、ヒトラーがアウトバーンをつくり、また別の形では、フォード会社のベルトコンベアがそのまま工場のそとへ流れだしてハイウエーになったというようなことがあった。けれど日本だけは膨脹衝動が道を生まなかった唯一といってよい例外ではあるまいか。いや、その膨脹のものすごさにくらべて血を運ぶ血管がこれほど細くてあぶなっかしいという奇妙さが唯一といってよい例外ではあるまいか?……
東京が首府として負わされている機能のものすごさにくらべて道路の全面積はてんでお話にならないぐらい小さなものである。鈴鹿サーキットを計画したグループの一人である私の畏友、坂根進という男は、ある日、せせら笑って説明してくれたことがある。
「いまに自動車の面積だけで東京の道路全部が埋まってしまうようになる。自動車をとめておくだけでギチギチいっぱいなんだ。だからどうするかというと、法律を新しくつくって、朝から晩まで二十四時間のべつ幕なしに自動車を走らせつづけるようにする。一台でもとまったらもうあがきがとれなくなるからね。自動車を持っている人は一秒の止みもなしに走らせつづけ、寝るのも食べるのも仕事するのもみんな自動車のなかでする。便所つきのデラックス・カーもできるようになるぜ……」
呆《あき》れたことだと思うのであるけれど、そういう彼自身はせっせとオートバイやスポーツカーの設計にふけって余念がないのであるから、つけるクスリがない。
東京の空をぶらぶらクラゲのように漂いつつ考えたのである。この都は無数の関節に一つずつの心臓を持ってうごいている。なにかのしぶとい下等動物のようなものだが、結局は機能も人口もときほぐして地方へ疎開させるよりほかあるまい。
このままだと海へはみだしてしまう。しかし、それでも、この町自体はもっともっと道路をつくるよりほかないのであるから、どうしたらいいか。どこから道路をつくる面積をひねりだしてくるか。個人の庭を提供するわけにはいかないか。東京都内にある個人の家の個人の庭は、全部集めたら、かなりの面積になるだろう。それをみんなが、涙を呑んで公共のために提供するというわけにはいかないか。
そして、そのかわり、個人の庭を道にとかして、住居を高層アパートにしてしまうかわり、公園と並木道をすばらしいものにする。自分の家の庭がなくなれば、日本の公園や山は、ずっときれいになるだろう。
そしてほんとに石の町に暮すときの緑のよろこびがどんなものであるかということを、いまよりもっと鋭く深く理解できるようになるだろう。庭をとりあげられるのがイヤな人は、しようがない、どこか地方の風光明媚な町へいって暮してもらうことだ。
けれども、ああ、日本人から庭をとりあげるなんて、そんなことができるだろうか。何人が納得するだろうか。庭のなかから家のなかヘダンプカーがとびこんできてもじっと目を細めてお茶をすすりつつ庭土を眺めていたいという私たちから庭をとりあげるなんて、そんな革命に誰か賛成するものがあるのだろうか。
それは、ほとんど、公開をはばかるような、バカげた破壊思想、民族の伝統と社会の安寧秩序を乱す、のろわしきダンプカーのごときものであるか。フランス人やドイツ人やアメリカ人やイギリス人がやったことをどうして私たちがやれないか。なせばなる、なさねばならぬなにごとも、ならぬはひとのなさぬなりけり。ピョートル大帝の百分の一ぐらいだけど苦労人の明治天皇がそう教えておられるのですよ。
「ヨー・クン・ナン、ヨー・バン・ファ(困難があっても、なんとかやれる方法がある)」というのが中華人民共和国のスローガンだけれど、明治天皇はとっくにおなじことをおっしゃってるのですよ。
なんとかなりませんか?……
本気ですよ!
東京タワーにのぼる。
案内嬢の説明によれば、世界最高の塔だという。これまでのぼったことがなかったのだけれど、この号が紙面のうえでは一九六四年の新年一月三日の第一号なので、なにかとめでたい気分になれないものかと思い、かつは、われら民草《たみぐさ》のカマドの煙のぐあいはどう見えるかと思って、御慶申しあげたくやってきたのである。ガラス張りの展望室からワラジムシのごとき地上のいとなみを眺めわたしたところが、ヘリコプターから何年かまえに鳥の目で覗いたのとまったくおなじ冬枯れの、緑の、煙霧のマッチ箱ごちゃごちゃの都が見えたので、その感想を長々と書いた。
一千万人の都をガラス窓の内側から見おろして私は深い息を吸いこみ、吐きだす。あるフランスの小説の若い主人公はモンマルトルの丘の頂にのぼってパリ市を見おろし、パリはおれに征服されるのを待っているといって、勇気リンリンうそぶくのであるけれど、私はそんなヤニッこい、しぶといことを考えない。コカコーラを一本飲んでから、おもむろにタバコを一本ふかし、空へ眼をあげるのである。そして、ああ宇宙は広大であるよと考え、気の毒なミジンコのごとき人類よと考えるのである。
その種の永遠感覚というものはめったに訪れるものではないから一度やってきたらトンボのように糸をつけ、糸のはしをしっかりにぎっておかなければいけない。入場料百五十エン。エレベーターで一分半。そんな手軽なことで心のただれを洗う�永遠�が手に入るのだから、なんとも便利な時代になったものである。たとえそれが一分半で地上におりたらとたんに消えてしまう、まるでサヨナラ香水みたいなものであるとしても日頃どうあがいても手に入らないものであるなら、むしろ率直に歓迎すべきであろう。
トンボのように永遠感覚を頭のまわりにとばせつつ私はゆるゆるとホット・ドッグ食べてガラス窓の内側を歩きまわり、双眼鏡に十エン玉を入れて、覗く。
見えるか?
見える、見える。
なにが見える?
工事しているホテルの日だまりの芝生のすみっこでニコヨンのおばさんたちが輪になって昼弁当を食べている。
オカズはなんだ?
オカズはないようだ。ノリ巻のにぎりめしであるようだ。赤ン坊の頭ぐらいもあって、薬缶《やかん》の蓋で番茶をうまそうに飲んでるよ。
あけましておめでとう。