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パラサイト・イブ2-18

时间: 2019-07-27    进入日语论坛
核心提示:       18「それじゃ、まず最初は浅倉だ」「はい」 利明に呼ばれて浅倉が前に出た。利明がポインターを渡す。浅倉は原
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「それじゃ、まず最初は浅倉だ」
「はい」
 利明に呼ばれて浅倉が前に出た。利明がポインターを渡す。浅倉は原稿を右手に、ポインターを左手に持ち、スクリーンの前に立った。
 スタンバイができたところで利明がストップウォッチのスイッチを入れながらいう。
「えー、それじゃ、まずは浅倉佐知子さん、演題は『レチノイドレセプターによる不飽和脂肪酸β酸化系酵素 2,4-dienoyl-CoA reductase 遺伝子の誘導』。お願いします」
「はい、スライドお願い致します」
 がしゃりと音を立ててプロジェクターがスクリーンに図を映し出した。浅倉が原稿を横目で見ながら話し始める。
「われわれはこれまで、ペルオキシゾーム増殖薬であるクロフィブレートがラット肝において、ミトコンドリア内の不飽和脂肪酸β酸化系酵素を誘導することを報告してきました。ペルオキシゾーム増殖薬は核移行タンパク質であるレチノイドレセプターと結合するとの報告があることより、これらβ酸化系酵素の誘導機序にはレチノイドレセプターが関与していると考えられますが、現在のところその詳細は明らかにされておりません。今回われわれは不飽和脂肪酸のβ酸化に必要な酵素である2,4-dienoyl-CoA reductase に着目し、そのジェノミック・クローニングを行い、この遺伝子がレチノイドレセプターにより制御を受けているということを明らかにしましたので報告致します。次のスライドをお願いします」
 がしゃりという音とともに画面が次の図に変わった。
 利明はストップウォッチの表示をちらちらと見ながら浅倉の発表を聞いていた。狭いゼミ室に、教授をはじめ講座の職員と学生のほとんどが集まっている。扇風機を回してあるとはいえ、スライドを映すためにカーテンを閉め電灯を消してあるのだから、部屋の中は人いきれでむせ返っていた。
 生化学会が五日後に迫っていた。一度は発表練習をしたほうが気持ちも楽になるだろうとの教授の提案で、今日職員と学生が一堂に会して練習がおこなわれることになった。直前になってスライドを作ると誤りを直す余裕もないし、第一気持ちが焦っていいプレゼンテーションをおこなうことができない。早めに原稿をつくり講座の皆に見せることでミスをなくし、発表が初めてという学生にとっては無用の緊張をほぐすことにもなる。
 浅倉は利明が思っていたよりも随分はやくスライド原図を完成させた。よほど夜中にでも頑張ったのだろう、そう考えなければ説明できないほどのスピードだった。ただし利明が訊いても浅倉は微笑むばかりでいつ原図を作成したのかいおうとはしなかった。
 ともあれ、そのおかげで浅倉の学会準備はかなり余裕を持って進めることができ、利明にとっても楽であった。浅倉も学会が近いせいかいつもに増して張り切っているように見えた。朝早くから教室へ来て、夜遅くまで生き生きと仕事をしている。疲れをまったく見せなかった。利明はその姿を見ながら自分も若くないのかなと苦笑してしまうほどだった。
 浅倉は澱《よど》みなく説明を続けてゆく。的確に図をポインターで示し、強調するベきところは声を若干大きくして聴衆の関心を集中させる。めりはりのある発表だった。利明はその浅倉の横顔をほれぼれと見つめていた。場数を踏んだ研究者でもこんなに上手い発表はできない。こんなに浅倉ができるとは思っていなかった。もう利明がプレゼンテーションのやり方について教えるべきことはなにもなかった。
 そういえば、と利明は突然この場の雰囲気にそぐわないことを思った。浅倉はこの数日で、みちがえたように美しくなってきたような気がするのだ。
 着ている服は以前と同様にシャツとジーンズというラフなものだったが、なにか内から滲み出るような華麗さを身につけていた。髪形を変えたせいかもしれない、と利明は思った。これまでは後ろで束ねていたのをソバージュにしていた。だがそれだけではないような気がした。前から表情は明るかったが、今はそれに気品のようなものが付加されている。瞳の輝きや手のしぐさなども自信にあふれていた。
「……以上のことより本酵素がクロフィブレートによって誘導される機序が明らかになりました。不飽和脂肪酸代謝酵素の多くは本酵素と同様にクロフィブレートによって誘導を受けることより、本酵素と類似の上流域を持つことが推察されます。今後他の酵素のジェノミック・クローニングをおこなうことにより、よりレチノイドレセプターの働きが詳細に解明されてゆくものと思われます。以上です、スライドありがとうございました」
 画面が消え、部屋の電灯が点いた。利明はあわててストップウォッチを止めた。浅倉の顔に見とれてうっかり忘れるところだった。
「一四分二七秒」
「大丈夫だな」
 石原教授が満足げに頷いた。浅倉がほっとしたような笑みを浮かべた。こういう表情は昔のままだ。
「発表時間は一五分だったな」
「そうです」利明が答える。
「スライドのミススペルも見当たらなかったし、とくに説明がもたついていたとも思えないが……どうだ?」
 石原は後ろで発表を聞いていた学生たちに顔を向けた。なにか気づいた点があれば遠慮なくいってみろという合図だった。
 学生たちは急に下を向き、決まり悪そうに視線を泳がせた。利明はそれを見て心の中で苦笑した。あまりに完壁な発表でみな驚いているのに違いなかった。
 しばらくのあいだ石原は誰かがなにかをいうのを待っていたが、やがてもういいだろうというふうに頷くと、スライドプロジェクターを操作していた学生に、もう一度浅倉のスライドを最初から見せるようにと指示した。「もう一度みんなでミスがないかチェックしよう」
 石原は一枚一枚に細かい質問を浅倉に与え、その答を聞き出した。浅倉はそのすべてに的確に答えていった。利明は半分驚きながら浅倉の答を聞いていた。よく勉強している。浅倉が返答に詰まるようであれば助け舟を出そうと思っていたが、そんな必要はまったくなかった。質問に答える浅倉は不安感などまるで見せなかった。しかし高慢な態度には決して見えず、それどころか質問者に対する誠意をはっきりと感じとることができた。早口にもならず相手が十分理解できるように順序だてて必要なことがらを正確に伝えてゆく。ときには最新のデータに言及して内容を補足する余裕さえ見せた。
「うん、完壁だ。ちゃんと勉強しているな」
 とうとう石原の口から感嘆の声が漏れた。
「ありがとうございます」
 浅倉がはっとするほど可憐な笑顔を見せた。
「これは次に発表するやつにはプレッシャーになってしまうなあ」
 石原はそういって学生たちを笑わせた。
「いやあ、ぼくも驚いたよ。よくがんばった。教授も太鼓判を押していたじゃないか」
 発表練習会が終わった後で、利明は研究室に戻ってから浅倉にねぎらいの言葉をかけた。
 浅倉はすこしくすぐったそうな表情を浮かべ、ありがとうございますといって軽く会釈した。
「あとは原稿を覚えるだけだな。まあ、当日までに覚えればいいからあまり緊張しなくてもいいよ。もし心配だったら前日にふたりで練習しよう。それに本番のときは一応原稿を持って壇上にあがることにしようか」
「たぶん大丈夫だと思いますけど……」
「いや、急にあがってしまって忘れることがあるんだ。そのときの保険だよ。ただしできるだけ見ないで発表できるようにすること」
「わかりました」
「ところで……」と、利明は浅倉の膝を見ながら話題を変えた。「足のほうはもう大丈夫なのか」
「ああ、これですか」
 浅倉は笑って膝をジーンズの上からこぶしでこんこんと叩いてみせた。「このとおりです。まだ包帯を巻いているんですけど」
「痛みはないのかい」
「ええ、跡も残らないみたいだし」
 浅倉がソバージュをかけてきた日、利明は浅倉が片足を庇《かば》うようにして歩いているのに気づき、どうしたのかと訊いたのだった。アパートの階段から足を踏み外して擦りむいたのだという。見ると指にも絆創膏をつけていた。だが心配する利明を、逆に浅倉は笑ってなだめた。
 「本当になんでもないんですよ。ほら、わたしって背が高いからバランスがとれないんです」
 それを聞いたとき、利明はおやっと思った。
 いつもの浅倉とは違う気がしたのだ。
 これまで浅倉が自分の身長のことを自嘲《じちよう》するように話すのを聞いたことがなかった。それですこし奇異な感じを受けたのだった。
 しかし、それは取り立てて問題にするほどのことではなかった。その日利明は自分をそう納得させ、頭の隅にこびりついたその奇妙な感覚を振り払った。
 「学会までには治しますから、心配しないでください。スーツ姿で膝小僧に包帯を巻いていたらおかしいですものね」
 そういって浅倉は微笑した。
 そのとき四年生の学生が団体で研究室に入ってきた。ひとりは手に白い箱を持っている。
 「教授が練習おつかれさまっていってお菓子代をくれたんです。ケーキを買ってきました。みなさんひとつずつ取ってください」
 四年生のひとりが得意げにいった。
 「へえ、珍しい。みんなの発表がうまかったから機嫌がいいんだな」
 利明はそういって箱を開けた。
「おいしそう」浅倉が歓声をあげた。「紅茶をいれますね。みんな、自分のカップを持ってきて」
 たちまち即席のティータイムになってしまった。
 浅倉の入れる紅茶は美味かった。利明は久しぶりにゆったりとした気分を味わった。
「あれ、浅倉さん、いつもとカップが違うじゃないですか」
 ケーキを食べている途中で四年生が声を上げた。見ると、いままで気がつかなかったが確かに以前浅倉が使っていたマグカップとはデザインが異なっていた。
「前のはどうしたんですか」
「割っちゃったんでしょう」
「それが、どこかにいっちゃったのよ」
 浅倉は幸せそうな笑顔で紅茶の香りを楽しんでいた。「ちゃんと片付けておいたのになくなっちゃって。誰か見つけたら教えてちょうだい」
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