私の性格をひと口で言うと、一度自分のものになったら、手放すのは絶対にイヤ! ということが挙げられようか。
私のいけない癖だと女友だちは皆指摘したものであるが、別れた男の人とまるっきり切れたことがない。何年かたつうちには時々は電話し合ったり、年に一回ぐらいご飯を食べたりする。ヒトヅマになった今では、そういう楽しみと縁遠くなった私であるが、それでも昔の恋人の消息を聞いたりするのは大好き。
「今でもあなたのこと気にしていて、幸せにやっているのかなーって聞くのよ」
と彼に近い人が話してくれると、一日中嬉しいの。彼が未《いま》だ独身と聞くと、
「そうでしょう、そうでしょう、やっぱり私のこと忘れられるはずないものね」
と自分にいいように解釈し、結婚したと聞くと相手の女のことをいろいろ聞き出し、
「ま、よかったんじゃないのォ、ああいう感じで」
とさりげなく悪口を言う。ふんわりとした関係で、お互い好きだったんだけど、タイミングが悪く何も起こらなかった結婚前の男友だちが何人かいるが、こういうのは、何の後ろめたいところもないから、夫公認でよく電話し合ったり会ったりする。私って本当にイヤな女。こういうのって美人でモテる女にだけ許されることなんだけど、欲張りの私はいくらでもしちゃうのさ。
ところでこういう性格であるから、私はモノもまるっきり捨てられない。私の友人の中にはハンドバッグを一個買ったら、洋服を一着買ったら、必ず同じ分量の同じ種類のものを処分するという人がいるが、私にとってはとんでもない話だ。
とにかく狭いマンションの中、洋服とバッグと靴がうなっている。その量はハンパじゃない。私は日頃自慢しているとおりよく新しいものは親戚《しんせき》の女のコとか、女性編集者にあげるんだけれども、それだけじゃとても片づくはずもなく、うち中わんさかうなっている。洋服は寝室をはみ出し、私の仕事部屋を占領し始めた。通販で買った百五十着収納のラックも、もう役に立たなくなった。
あまりにもたくさんあるので、どこに何があるかわからなくなり、私はいつも今シーズン買ったおなじものばかり着ている。
あまりの私の惨状に見るに見かねたのであろう、夫が私にパンフレットをくれた。夫が入っているカード会社が提携しているリサイクルショップの案内である。なんでも申し込むと家にダンボールを送ってくれるので、それに入れるだけでいいというのだ。
人にあげようにも、流行遅れのものは失礼だし、フリーマーケットはものすごく安いと聞いている。おまけにこの頃、青山や代官山といったリサイクルショップもインチキなところが多いというので、ちゃんとしたカード会社が勧めるショップなら渡りに船というものだ。とにかく今年のうちに、猫だけじゃなく、人間の歩けるスペースを何とかしたいの。
さっそく電話をかけたところ、売るもののリストを出してくれという。そこから私の苦悩の日々が始まった。
アナ・スイのイブニングコートとか、シャネルのピンクのスーツなど、おそらく二度と着ないと思われるものはあきらめがつく。が、悩みに悩むのはハンドバッグの部である。
海外で私はそれこそいっぱい買ってきた。イヤな女、と言われるのを承知で言うけど、ケリーもバーキンもそれこそ何個も持っている。棚にも収まり切れなくて、そこらにゴロゴロしている。プラダ、グッチもフェンディも、それこそ売るほどあるぞ。それなのに私はこの一ヶ月、ずうっとハラコのヒョウ柄のバッグだけで生きている。
が、バッグというのは、将来使えそうじゃないか。ケリーなんか、あと二十年たってもちゃんとご奉公してくれそう……。それで私はいじいじと考える。それは男の人と別れようかと悩んでいる時と似ている。
もうちょっとたつと、優しくなってくれるんじゃないかしらん。
この男を逃がしたら、もう恋人になってくれる人なんか、二度と現れないかもしれないし、いじいじ……。
これじゃいけないと私は大声を出し、クローゼットを開ける。よし、死んだ気になってエルメスを整理しようではないか。やはりケリーとバーキンは手元に置く。が、変わりバッグといおうか、エルメスがそのシーズンだけに出した面白いデザインのものはショップに出そう。なぜならひと目見て、エルメスだとわからないものは継子《ままこ》扱いすることにする。ひどい、田舎者、と呼ばれても仕方ない。
可愛がってる親戚のコにプレゼントする手もあるが、二十代のOLにエルメスは似合わない。金持ちのオジさんをつかまえたか、風俗でバイトでもしてるのだろうかとあらぬ疑いがかかるだけだ。こういうものは自分で働き、年増になってから持ちなさいと教えよう。
ついでによれよれとなったバッグは、廃棄処分にすることにした。四年前にミラノの本店で買ったプラダのエナメルのバッグ。私は気に入るとおなじものばかり使うので、かなりくたびれている。こういうのは思い切って捨てる。いい思い出をありがとうと感謝を込めて。
しみじみ思う。昔、こういう風に男の人と別れることが出来たら、私はもっとましな女になってたんじゃないだろうか。