秋になると、大足の私はとても嬉《うれ》しい。
なぜならば、ぐっとおしゃれがしやすくなるからだ。
私自身は決してセンスのいい人間ではないが、まわりにおしゃれな人が多いため、情報がいっぱい入ってくる。雑誌を見たり、お店をのぞくのも大好きだ。が、悲しいかな、サイズのことがあり、思うようなコーディネイトが出来ないの。特に足元がね。
夏はストッキングやタイツを履くこともなく、ほとんどが素足だ。したがって靴のトラブルが多発する。お出かけをする時、全身を鏡で映す。スカート丈を確認する。こういう時、私だってどういう靴を履けばいいかちゃんとわかる。今日はヒールのある、ちょっとコンサバな靴にしよう。今日はフラットな、うんと流行っぽいやつがいい。
今年もバーゲンのものを含めて、靴をいっぱい買った。今年は若干白にも挑戦し、それだけで五足もある。が、いざ足を通そうとすると、親指や小指が悲鳴をあげるのだ。秋や冬だったら、タイツやソックスがあるために、何とか、だましだまし履くことが出来る。が、素足だと、いつもの倍ぐらい靴は履きづらくなる。が、どうにかして根性で履いたとしても、玄関を出る頃には痛さのあまり人魚姫状態(あのロマンティックなおとぎ話、知ってるよね?)。玄関まで履き替えに戻ったことは、一度や二度ではない。
その結果、洋服に似合わない靴を履くこともしょっちゅうだ。こういう時、ものすごく気分が悪い。特におしゃれな友だち何人かと会う時、もうイヤでイヤで帰りたくなってしまう。みんな足元を見ると、おしゃれな流行の靴を履いている。私だって、こういうの履きたいの、こういうのがいいって知ってるのよと、泣いて訴えたいぐらいなの。
こんな私だから、深田恭子ちゃんはとても他人とは思えない。二十六センチある、というだけで彼女のことを大好きになってしまったほどだ。
さて、最近のことである。イブニングドレス用の靴を作るために、某靴屋さんに出掛けた。イブニングドレスを着る際、いちばん正式な靴は同じ布を使ったものだって知っているだろうか。私も、今回初めて知った。
その靴屋さんは銀座にあり、何といおうか、ものすごくポピュラーなため、かえって足を踏み入れたことのない店である。オーダーサロンに行き、足の形をとってもらった。男の人がひざまずいて座り、私の足を鉛筆でなぞった。かなり恥ずかしい。小さな可愛い足ならともかく、二十四・五センチの幅広足である。
が、その結果、驚くべきことがわかった。私の足は実は二十三・五センチだったのである。
「ということは、よっぽど幅があるっていうことですね」
「そういうことですね」
担当の男性は、ごく事務的に答えた。
「じゃ、痩せれば幅が狭くなる、っていうこともあるんでしょうか」
「まあ、多少ありますけどね……」
ダイエットしたからといって、二十四・五センチが二十二センチになる、というのは無さそうなのである。
もうかなり前のことであるが、ある雑誌にこんな記事が出ていた。戦前に比べ、二重まぶたで生まれてくる子どもの数がぐっと増えているそうだ。世の中に「二重まぶたの方が可愛い」という価値観が出てくると、不思議に人間はその方向へいくようなのである。
バストだってそうだ。私の若い頃、胸の大きいのと小さいのとどちらがいいか、というと世論は二つに分かれていたように思う。
「胸の大きな女はバカだ」
という俗説が存在していた最後の世代だ。
「胸が小さい方が、ファッションはあか抜けて着こなせます」
と、雑誌にだって書いてあった。もはや往年の栄光はほとんどないが、当時の私はかなりのサイズであった。が、街を歩いていて下品なことを言われたり、痴漢にあったりと、いい思い出がない。体にぴっちりしたものは身につけないようにし、自然と猫背になってしまった。うっ、あの頃のことを思うと本当に口惜《くや》しい。
今じゃ街中をゆく女のコのほとんどが、バストを際だたせるものを着て、胸を張って堂々と歩いている。気のせいではなく、胸の大きな女のコがぐーんと増えた。ここでも「二重まぶたの法則」は生きているのである。
私は思う。
胸と同じように、足も大きい方がカッコいい、という風潮が出てきてはくれないだろうか。今年の夏は、上げ底シューズやでか靴の流行があったというものの、まだあやふやなところがある。女のコたちは、デートの時などやはり、きゃしゃなサンダルを履くことが多いからまだ安心出来ない。
足はデカい方が素敵、という流れが出来さえすれば、靴売場はもっと充実することであろう。それにしてもあの「Lサイズ」という無神経な文字、何とかならないものであろうか。靴のバーゲンに行くたびにむっとする私。
子どもの時からのトラウマで「Lサイズ」という文字はかたくなに拒絶してしまうのよ。