昨年の暮れからお正月にかけて、ミレニアムということでやたら昔の番組が流れた。
十五年前、二十年前の歌番組を見ると、アイドルたちのダサい衣裳《いしよう》に唖然《あぜん》としてしまう。百恵ちゃんなんか、白いウエストマークのワンピースに、胸元にコサージュを飾っている。今どきどんな田舎の結婚式でも、こんな格好してる人いないぞ。他の人もペラペラのひどいドレス着ていて、何だかアジアの発展途上国のテレビ番組見ているみたい。おそらくこの頃、スターに付くスタイリストという人たちはいなかったんだろう。
それよりも驚いたのは、解散直前のキャンディーズである。舞台の上で水着そのもののコスチュームを着て歌っているのだ。太ももがむき出しだ。昔の歌手の方がずっと大胆というのも面白い話である。そして衣裳は大胆なのにひきかえ、体がずっとぽっちゃりしていることにびっくりした。右端のスーちゃんときたら、胸や肩のあたりにおいしそうなお肉がぽちゃぽちゃついている。これがものすごくエロティックなのだ。こんなエッチっぽいもん、テレビで流していいのー、と叫びたくなるくらい、胸や太ももがむっちりしているのである。昔からスーちゃんファンの男性は結構多かったが、こういうことだったのだ。
今、テレビに出ている人で、こんなにお肉がついている人はいまい(森公美子さんとかは別)。もちろんスーちゃんが健康で、今の人が不健康にガリガリに痩《や》せていると思う。時々対談などで若いタレントさんに会うことがあるが、みんな信じられない細さで手の甲なんか筋張っているぞ。
西田ひかるちゃんに会ったら、メリハリのきいたものすごく素敵なボディをしていた。胸はバーンと出ていて、ウエストはくびれている女らしい曲線。
「理想的な体型をしてるわよね」
と言ったところ、
「それがテレビに映ると、私みたいなのダメなんです」
ちょっぴり残念そうに言った。
「テレビだと、すっごく太って見えるんですよねえー」
そういえばあるパーティで、ある女優さんに会ったところ、私は思わずキャッと叫んでしまった。痩せてる、なんてもんじゃない。ドレスから出ている胸は、骨が浮き出ているし、頬には斜めの線が走ってる。青白くて今にも倒れそう。私はそのうち週刊誌やワイドショーで、
「女優の○○○子、拒食症で入院」
と騒ぎ出すと思っていた。が、そんなことはなく、女性誌の表紙に写っていた彼女を見て、これまた、えーっと叫んだ。ほっそりとした美しい女性、という印象しかないのだ。
テレビや写真のレンズというのは、二割増しになるというのはこういうことなんだ。だからタレントさんは、異常と思えるぐらい痩せてるんだわ。
ところで正月のテレビは、昔のビッグアイドル、ピンク・レディーの二人も映し出していた。そして現在の再結成した二人が出てきて同じように踊る。
人間ってこんなにも変わるのかしらんと、私はため息をつく。二十年前の彼女たちというのは、どんな風に飾っていてもイモっぽい。やや猫背でおどおどしている感じ。太もものあたりにもわりとお肉がついている。
そこへいくと現在のピンク・レディーときたら、ぜい肉は見事にそぎ落とされて脚もぐーんと長くなっている。メイクのうまさときたら、昔と比較にならない。二十年前よりも、今の彼女たちは百倍洗練され、百倍カッコいい。けれどもスターとしてのオーラは、百分の一になっていることに私は気づく。
あのあんまりアカぬけないピンク・レディーの方が、ずっと強い光を放っていたのである。本当に芸能人というのは不思議だな。いや、女というのは不思議だ。その人がいちばん売れている時が、美しさのピークとは限らないのである。それどころか無意識で持っていたり、無防備なものがものすごい魅力を放つことがあるのだ。
お肉もそのひとつだ。今日、久しぶりにエステに行ったら、スタッフのひとりが青ざめた顔でふらふらしながら寄ってきた。
「ハヤシさん、見てください。私、四キロも痩せたんですよ……」
なんでも三日間水だけ飲んで、後の四日はプロテインを口にするやり方だそうだ。
バカなことはやめなさいよと、私は怒鳴った。
「あなたみたいにもともと細い人が、どうしてダイエットするの」
「でも、下半身に、わりとお肉がついていたんですよ」
何もわかってないなと私は思った。もしダイエットを男の人のためにしようとするならばよく考えた方がいい。もちろんデブは嫌われるが、たいていの男の人というのは、むっちりとした太ももや、ぽちゃぽちゃとした二の腕が大好きだ。それは女としての無意識の部分である。お肉というのは、無垢《むく》の女の、無邪気な愛らしさでもある。
だから男の人たちは、スーちゃんやピンク・レディーをあんなに愛したのである。西田ひかるちゃんも、男の人の人気はバツグンだ。テレビやグラビアに出ることもないシロウトの女のコが、どうしてガリガリになろうとするのか私には理解出来ない。贅沢《ぜいたく》な勘違いである。