八 黄《たそ》昏《がれ》に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他《よそ》の国々と同じ。松崎村の寒《さむ》戸《と》といふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草《ざう》履《り》を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きはめて老いさらぼひてその女帰り来たれり。いかにして帰つて来たかと問へば、人々に逢ひたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰つて来さうな日なりといふ。