七七 山口の田尻長三郎といふは土淵村一番の物持なり。当主なる老人の話に、この人四十あまりの頃、おひで老人の息子亡くなりて葬式の夜、人々念仏を終はり各帰り行きし跡に、自分のみは話好きなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の雨落ちの石を枕にして仰臥したる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて死してあるやうなり。月のある夜なればその光にて見るに、膝を立て口を開きてあり。この人大胆者にて足にて揺がしてみたれど少しも身じろぎせず。道を妨げてほかにせん方もなければ、つひにこれをまたぎて家に帰りたり。次の朝行きて見ればもちろんその跡方もなく、また誰もほかにこれを見たりといふ人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と在りどころとは昨夜の見覚えの通りなり。この人の曰く、手を掛けてみたらばよかりしに、半ば恐ろしければただ足にて触れたるのみなりしゆゑ、さらに何物のわざとも思ひつかずと。