一〇八 山の神の乗り移りたりとて占ひをなす人は所々にあり。附《つく》馬《も》牛《うし》村にもあり。本業は木《こ》挽《びき》なり。柏崎の孫太郎もこれなり。以前は発狂して喪心したりしにある日山に入りて山の神よりその術を得たりし後は、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。その占ひの法は世間の者とは全く異なり。何の書物をも見ず、頼みに来たる人と世間話をなし、その中にふと立ちて常《じやう》居《ゐ》の中をあちこちとあるき出すと思ふほどに、その人の顔は少しも見ずして心に浮かびたることをいふなり。当たらずといふことなし。たとへばお前のウチの板敷を取り離し、土を掘りて見よ。古き鏡または刀の折れあるべし。それを取り出さねば近きうちに死人ありとか家が焼くるとか言ふなり。帰りて掘りて見るに必ずあり。かかる例は指を屈するにたへず。