四九 土淵村字栃《とち》内《ない》の山奥、琴畑という部落の入口に、地《じ》蔵《ぞう》端《ばた》という山があって、昔からそこに地蔵の堂が立っていた。この村の大《おお》向《むかい》という家の先祖の狩人が、ある日山にはいって一匹の獲物もなくて帰りがけに、こんな地蔵がおらの村にいるからだといって、鉄砲で撃って地蔵の片足を跛《びつこ》にした。その時から地蔵は京都へ飛んで行って、今でも京都の何とかいう寺にいる。一度村の者が伊勢参宮のついでに、この寺へ尋ねて行って、その地蔵様に行き逢って戻りたいと言うと、大きな足音をさせて聞かせたという話もある。今の地蔵端の御堂は北向きに建ててある。それは京都の方を見ないようにというためだそうだが、そのわけはよくわからない。