七九 遠野地方のオシラ神祭は、主として正月十六日をもって行なわれる。この神に限って祭ることを遊ばすといっている。山口の大同家などでは、この日方々からこの家のオシラサマの取子たちが、大きな鏡餠を背負って寄り集まって来る。まず早朝に奥の薄暗い仏壇の中から、煤《すす》けたまっ黒な古い箱が持ち出され、一年にただ一度の日の明かりを見る神様が、この家の巫女《いたこ》婆《ばあ》様《さま》の手によって取り出される。そうして取子の娘や女たちの手で、新しい花染めの赤い布をきせられ、また年に一度の白粉を頭に塗られて、そのオシラサマが壇の上に飾られる。この白粉が家にも取子の娘たちにもなかった頃には、米の粉を水で溶いてつけることもあった。取子の持ち寄った鏡餠はそうした後で小豆餠に作られ、神様にも供えまた取子たちも食べた。この神は小豆類をたいへん好まれるということであった。それが終わると巫女の婆様は、おもむろに神体を手に執ってオシラ遊びを行なうのである。それには昔から言伝えのオシラ遊びの唱えごとがあった。まず神様の由来を述べて神様を慰め、それから短い方の章句を、知っている娘たちが合唱した。それは紫《し》波《ば》郡あたりに伝わっているものとほぼ同じで、ミヨンコ・ミヨンコ・ミヨンコの神は、トダリもない。七代めくらにならばなれという類の詞であった。そのオシラ遊びが済むとあとは随意で、取子の娘たちは室じゅうを遊ばせてまわり、後に炉ばたに持って来て、両手でぐるぐるまわして各自一年の吉凶を占った。すなわちこの神の持前のオシラセを受けようとするのであった。