一〇六 土淵村栃内和野の菊池栄作という狩人が、早池峰に近い、附馬牛村の大《おお》出《いで》山中で狩り暮らし、木の間から洩れる薄明かりをたよりに自分の小屋へ帰って来る途中で、突然一人の男に出逢った。その男は目をきらきらと丸くしてこちらを見守りつつ過ぎるので怪しく思って、どちらへと言葉をかけてみた。するとその男は牧場小屋へ行きますと言って、密林を掻き分けて行ったという。佐々木君はこの狩人と友人で、これもその直話であったが、冬期の牧場小屋には番人がいるはずはないと言うことである。その男の態《なり》は薄暗くてよくわからなかったが、麻のムジリを著て、藤蔓で編んだ鞄を下げていたそうである。丈《たけ》はときくと、そうだなあ五、六尺もあったろうか、年配はおらくらいだったという答えであった。大正二年の冬頃のことで、当時この狩人は二十五、六の青年であった。