一四五 遠野町の相住某という人は、ある時笛吹峠で夜路に迷って、夜半になるまで山中を迷い歩いたが、道に出ることができなかった。いよいよ最後だと思い、小高い岩の上に登って総領から始めて順次にわが子の名を呼んで行った。そうしていちばん可愛がっていた末子の上に及んだ時のことであったろうというが、家で熟睡をしていたその子は、自分の躯の上へ父親が足の方から上がって来て、胸のあたりを両手で強く押しつけて、自分の名を呼んだように思って、驚いて目が覚めた。その晩はもう胸騒ぎがして眠られないので、父親の身の上を案じて夜を明かした。翌日父親は馬の鈴の音をたよりにようやく道に出ることができ、人に救われて無事に家に帰って来た。そうして昨夜の出来事を互いに語り合ったが、父子の話はまったく符節を合わせるようであったから、シルマシとはこのことであろうと人々は話し合ったという。