二〇〇 これは浜の方の話であるが、大槌町の字安《あん》堵《ど》という部落の若者が、夜分用事があって町へ行くと、大槌川の橋の袂に婆様が一人立っていて、まことに申しかねるが私の娘が病気をしているのでお願いする。町の薬屋で何々という薬を買って来てくだされといった。たぶんどこかここにいる乞食でもあろうと思って、見かけたことのない婆様だが、嫌な顔もせずに承知してやった。そうして薬を買い求めてこの橋のところまで来ると、婆様は出て待っていて非常に悦び、私の家はついこの近くだからぜひ寄って行ってくれという。若者もどういう住居をしているものか、見たいようにも思ってついて行くと、岩と岩との間をはいって行って、中にはかなり広い室があり、なかなか小綺麗にして畳なども敷いてあり、諸道具も貧しいながら一通りは揃っていた。病んでいるという娘は片隅に寝ていたが、若者がはいって行くと静かに起きて挨拶をした。その様子がなんとも言われぬほどなよなよとして、色は青いが眼の涼しい、美しい小柄な女であった。その晩はいろいろもてなされて楽しく遊んで帰って来たが、それからいかにしてもその娘のことが忘れられぬようになって、毎夜そこへ通うていたが、情が深くなるとともに若者は半病人のごとくになってしまった。朋輩がそれに気がついていろいろ尋ねるので、実は乞食の娘とねんごろになったことを話すと、そんだらどんな女だか見届けた上で、何とでもしてやるからおれをそこへ連れていけというので、若者もぜひなくその友だちを二、三人、岩穴へ連れて行った。親子の者はさも困ったようではあったが、それでも茶や菓子を出してもてなした。一人の友だちはどうもこの家の様子が変なので、ひそかにその菓子を懐に入れて持って来てみたが、それはやはり本当の菓子であったという。ところがその次とかの晩に行ってみると、娘は若者に向かって身の素性を明かした。私たちは実は人間ではない。今まで明神様の境内に住んでいた狐だが、父親が先年人に殺されてから、親子二人だけでこんな暮らしをしている。これを聞いたらさだめてお前さんもあきれて愛想をつかすであろうと言って泣いた。しかし男はもうその時にはたとえ女が人間でなかろうとも、思い切ることはできないほどになっていたのだが、女のいうには私もこうしていると体が悪くなるばかりだし、お前さんも今にいやな思いをすることがきっとたびたびあろうから、かえって今のうちに別れた方がよいと言って、無理に若者を室から押し出したという。それから後も忘れることが何としてもできぬので、何べんとなく岩のある処へ行ってみるけれども、もうその岩屋の入口がわからなくなってしまった。それであの娘も死んだであろうと言って、若者が歎いているということである。この話をした人はこれをつい近年あった事のように言った。その男は毎度遠野の方へも来る兵隊上がりの者だといっていた。