二九三 この地方では、三月の節句に子供たちが集まってカマコヤキということをする。むしろ雛《ひな》祭《まつり》にまさる楽しみとされていて、小正月が過ぎてから学校の往還にも、カマコヤキの相談でもちきりであった。まず川べりなどの位置のよい処を選んで竈を作り、三日の当日になると、朝早くからいろいろな物を家から持ち寄る。普通一つの竈には五、六人から十七、八人ぐらいまでの子供が仲間になって、めいめい米三合、味《み》噌《そ》、鶏卵等の材料および食器や諸道具を持ち寄るが、なおその上にぜひとも赤《あか》魚《よ》、蜊貝《あさり》などが入用とされていた。炊事の仕事は十三、四歳を頭にして、女の子供が受け持ち、男の子は薪取り、水汲み等をする。そうして朝から昼下がりまでひっきりなしに御馳走を食べ合うが、それだけでは満足せず、ときどきよその竈《かま》場《ば》荒らしをはじめる。不意に襲って組打ちをして竈を占領し、そこの御馳走を食い荒らすのであるが、今はあまりやらなくなった。もう自分の方で腹いっぱい食べた後であるから、組打ちには勝っても食べられぬ場合が多い。佐々木君の幼少の頃、餓《が》鬼《き》大《だい》将《しよう》田尻の長九郎テンボが隣部落の竈場を荒らして、赤魚十三切れ、すまし汁三升、飯一鍋を一人で掻き込んだまではよかったが、そのために動けなくなって、川べりまで這って行くと、食べたものを全部吐いてしまったなどという笑い話も残っていて、この地方の人々には思い出の多い行事であった。