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ムッソリーニの処刑39

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:「なぜクラレッタまで!」 いったい、ヴァレリオ大佐は誰の命令を受けて、ムッソリーニそれにクラレッタの処刑を執行したのか?
(单词翻译:双击或拖选)
 
「なぜクラレッタまで!」
 
 いったい、ヴァレリオ大佐は誰の命令を受けて、ムッソリーニそれにクラレッタの処刑を執行したのか? 果してどのような正式の命令があったのか? クラレッタという女性までも処刑する権限はあったのか?
前章でヴァレリオ大佐ことヴァルテル・アウディシオ元上院議員の記述を中心に、これに関ったパルティザン達の証言を合わせて、ムッソリーニらの処刑の状況を述べたが、その結果として前述のいくつかの重要な疑問符が浮び上がってくる。
それというのも、ヴァレリオが解放委員会の誰から正式に処刑命令を受けたのかはまったく触れられておらず、かつヴァレリオの発言には自ら率先して処刑を強行した口吻が感じ取れるからである。
それを裏付けて、ドンゴのパルティザン指揮官ペドロことピエール・ベッリーニ・デッレ・ステッレが、ヴァレリオはまるで私憤を晴らそうとするかのような感情的態度とやり口を用いたと強く非難したように、処刑の経過にどこか強引さがつきまとっていることを否定できないのである。
実際、こうした諸点は戦後いち早く、イタリア内外で問題視され、特にイタリアでは幾人ものジャーナリストが精力的に追及に当ってきた。とはいっても、戦争直後ではヴァレリオ大佐の素性は分らず、四七年に共産党機関紙「ウニタ」が「わが党員のヴァルテル・アウディシオが本名」と発表したものの、当の本人はなぜか頑なに沈黙を続け、死後の七五年に初めて記録を公開したことは前述の通りである。
ところがこの長い沈黙そのことも究明の対象になり、それが進むにつれて、どうやら「真の下手人は別の人物である」とか、さらに「ヴァレリオはその“真の下手人”を陰蔽するための隠れミノではないか」との疑惑さえ生むに到った。この点は実は現在もなお謎のままであり、後述のように恐らく歴史の「闇」の中に消されてしまうかも知れないとの見方が専らである。
関係者の多くが、それも直接関った人物が、ムッソリーニらの処刑の直後からなぜか相ついで他界しており、うち何人かは不可解としか言いようのない死を遂げている事実からである。まさに推理小説さながらのミステリーなのである。
以下、上述の事情を踏まえて、項を追いながら本章冒頭にあげた疑問や謎についてまとめてみる——。
 まず、ヴァレリオに対して、解放委員会からムッソリーニ処刑の命令が出されていたのかどうかについて言えば、結論的には正式手続きによる命令は出ていなかったということである。クラレッタ処刑にしても、解放委員会の決めた処刑対象者の中には入っていなかった。
四五年四月二十五日、ミラノの解放委員会首脳部は、戦争の終結が近い情勢からファシスト首脳らの処遇に関し、第二部第五章で述べたように、次の法令を作った。
「ファシスト政府の閣僚ならびにファシズムの幹部は、憲法による保障の抑圧、大衆の自由の破壊、ファシスト体制の創設に手を貸し、国家の尊厳を危殆(きたい)に陥れ、かつ裏切った有罪、さらに国家を現在の破局に導いた有罪のため、死刑もしくは少くとも強制労働の罪に処せられるべきである」
これと同時にまた、「武器を携行しかつ抵抗しようとして捕ったサロ共和国のファシストはすべて死刑に値し、直ちにその宣告を執行すべきである」ことも決めた。
ミラノの解放委員会は、すでにローマのイタリア政府から行政の法的権限を委任されており、以上の法令は法務行政の第五条として確認、その正当性には何ら疑義はなかった。
この点からすれば、ファシズムとファシスト党の統帥ベニト・ムッソリーニは明らかに有罪であり、死刑は免れない。しかしクラレッタ・ペタッチは前記の条項に該当するだろうか。「ファシスト政府の閣僚」でもなければ「ファシズムの幹部」でもない。さらにまた、かりにファシスト党員だったとしても「武器を携行し、かつ抵抗しようとして捕ったサロ共和国のファシスト」ではないことも明白であった。となれば、クラレッタ処刑は過剰反応であり、確実に法令違反であった。
イタリアのジャーナリスト達や法律家達は戦後、この点も人道上の問題として糾弾した。処刑人には明らかに「殺人罪」が構成されるからである。「よくやった」との声も一部にあったものの、ヴァレリオらが長年沈黙を続けたのもそうした糾弾のためであった。「主犯格」ヴァレリオは結局、自分の死後に処刑の状況を告白したほどだったのである。
さらにまた「処刑命令」については、文書や口頭によるいかなる伝達も、国民解放委員会首脳から発せられた形跡はないことで、イタリアの研究者は一致している。ただ首脳陣は何となく後述のように、ヴァレリオ大佐にまかせたフシがあるとの見方をとっているのが実情である。「ムッソリーニ逮捕」と聞いて、ヴァレリオの挙動から「あいつは殺(や)るのではないか」との気持を首脳陣は抱いたらしいのである。
ヴァレリオ自身、「俺が殺ってやる」とのつもりになり、そのように振舞った。
その最初の意思表示が、ヴァレリオがカドルナ将軍に「自分が処刑命令を受けている」と“ハッタリ”をきかした時である。既述したように、カドルナは呆れたものの、それを確認もしなかった。ヴァレリオはまずこれを「黙認」の証拠とした。
その頃の状況はヴァレリオにとってすべて好都合に動いていた。「殺る気」のヴァレリオはそうした状況を一つひとつ巧妙に利用したのである。その点について著名なジャーナリストのインドロ・モンタネッリは、次のように記述している(注1)。
「ムッソリーニ逮捕の報は二十七日午後、ドンゴの財務警察を通じてミラノに届いた。身柄はジェルマジーノの財務警察隊舎に収容されているとのことであった。この報告を受けた解放委員会の首脳レオ・ヴァリアーニはてっきり、ムッソリーニは財務警察の手で捕ったと思い込んだ。現にそのように他の首脳にも伝えた。このため解放委員会の首脳陣はムッソリーニの身柄が連合軍に引き渡されかねないと大いに懸念した」
というのは実は、それより以前の段階で、もしムッソリーニが逮捕された場合は財務警察がその身柄を連合軍に引き渡すまで管理するということになっていた。
その後四月二十五日、軍事法廷を設置し裁判にかけ処刑するということに決ったのだが、その旨が徹底せぬまま財務警察がムッソリーニを連合軍に引き渡す可能性は十分考えられたからである。
まさにそうした時、カドルナの許にアメリカ軍のダダリオ大尉が、グラツィアーニを逮捕したと誇らしげに入って来たのである。このダダリオがムッソリーニを追って再度北上する気配もあった。そうなればムッソリーニがダダリオの手に渡ることも予想された。事態はまさに切羽詰ってきた。
ヴァレリオはその時を見計ったように、ミラノを発った。彼は途中コモに立ち寄った。そのコモで同地方のパルティザンと話したが、パルティザンらはヴァレリオに非協力的であった。いらだったヴァレリオは直属上官のロンゴに電話した。ロンゴの返事は「お前がやられるか、奴らをやっつけるかだっ」であった。ヴァレリオはここでまた、自分にまかされているという言質をとったつもりであった。
 ヴァレリオはこのように巧みに自分を「処刑人」に仕立てていった。そしてそれを自他ともに認めさせようとしたのである。またペルティーニの次のひと言も、ヴァレリオを鼓舞したともいわれている。
ヴァレリオがムッソリーニ追跡にうずうずしているのを知ったペルティーニは「やりたい奴にやらせろッ」と口にしたという。これを耳にしたヴァレリオは、自分への許可と受け取ったらしい。しかもその頃ペルティーニは「ムッソリーニは野良犬と同じだ。射殺するに値する」と公言していた。これらは処刑許可にも等しい。
この「野良犬」発言はフランスの歴史学者マクス・ガロの記述にもあるが、イタリアの現代政治家ジォヴァンニ・スパドリーニ(共和党・元首相、上院議長)は九〇年秋、東京で日本のイタリア現代史研究者達との会合で「ペルティーニとガロは極めて親密な友人同士」と語っていた。
そのペルティーニは戦後、「クラレッタ・ペタッチについては、われわれは当時、有罪による処刑者とはしていなかった」と明言していた。
 以上、ヴァレリオへの命令の存否に関する重要記述を紹介したが、いずれも直接に命令ないし指示したものではない。すべて間接発言をヴァレリオが自分に都合よく解釈したに過ぎない。当時、ペルティーニと同僚の国民解放委員会首脳であったレオ・ヴァリアーニ上院議員は、ヴァレリオの人物像につき、戦後、次のように述べている。
「ヴァレリオという人物は、緻密な計算高い会計係ではあるが、平衡感覚に欠け、分別を失う面があった。すぐにカッとなり、狂暴に走る性格であった」
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