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愛してると言わせて25

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:あっという間の六、〇〇〇枚二月十九日、「ひらり」の収録が全部終わった。それより一か月前の一月十八日、私は六、〇〇〇枚の原
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あっという間の六、〇〇〇枚

二月十九日、「ひらり」の収録が全部終わった。
それより一か月前の一月十八日、私は六、〇〇〇枚の原稿をすべて書き終えていた。
終わったから言うのではないが、本当にあっという間だった。昨年の今頃、私はこのコラムにさかんに下町のことを書いている。「仕事とは関係なく、浅草のホテルに泊まっている」などと書き、下町の食べ物屋さんの紹介や、浅草の銭湯体験記などを毎週載せている。
実はあれは「ひらり」の準備がスタートした直後で、下町体験をやろうと浅草のホテルで約二か月暮していたのである。正式な記者発表は五月であり、まだオープンにできなかった。
下町体験といっても、ホテル暮しで何がわかるという向きもあろうが、私にとっては本当に貴重な二か月であった。ホテルは眠るためだけのもので、お風呂は銭湯、食事は町の大衆的な食堂を食べつくした。朝早くから夜遅くまで、スタッフとどれほど下町を歩き回り、どれほどたくさんの人たちに会ってお話を聞いたことか。
九十歳を超えたトビ頭、質屋のご主人、元力士、銀行マン、若い下町娘、もんじゃ焼屋の女店主、どぜう屋の若旦那《わかだんな》、お祭り野郎たち、お茶屋さん、チャンコ店のご主人、元芸者さん。もうとても数えきれないほど、たくさんの人たちからお話をうかがった。脚を棒にしてホテルに戻り、銭湯に行く。疲れる毎日ではあったが、楽しすぎるほど楽しかった。
もちろん、「ひらり」というタイトルも決まっていなかったし、ストーリーも全然ない。ただ、下町の元気な女の子をヒロインにしようということ、相撲部屋をからめようということだけがスタッフと私の合意点であった。
下町を歩き、下町の人と会うのは脚本家にとっては「シナハン」と呼ばれるもので、シナリオ書きのための取材である。演出家にとっては「ロケハン」で、どういうところでロケをするか、町のようすはどうかという取材である。
ずっと以前、NHKの美術デザイナーさんの、忘れられない言葉がある。
「シナハンに僕らも一緒に行くわけですけど、それはデザイナーにとってはセットを作るための取材ですよね。ですから参考になりそうなところはスケッチしたり、写真を撮ったりもする。だけど、僕らにとってのシナハンは、そういう具体的なことを知ろうと思って行くわけじゃないんです。何というのかな。舞台地になる町の息づかいとか、人々の匂《にお》いとか、そういう雰囲気みたいなものを感じに行くんですね。脚本家や、演出家と一緒に色んなことを話しながら、町や人々の匂いを五感で感じようとする。それをちゃんとやっておくと、セットをデザインする時にやっぱり違うという気がしますね」
もう七、八年前に聞いた言葉なのだが、私は今でも忘れられない。これは脚本家にとっても同じだと思う。やっぱり、トビや力士や祭りが生きている町の匂いを感じることは、セリフを書く上でも非常に大切なことかもしれない。「匂い」というものは、決して具体的なものではない。が、それを感じていると具体的なセリフを書く時に、何か厚みや深みが与えられるように思う。
たった二か月の、あげくホテル暮しではあったが、それでも私は「通い」では感じとれなかったであろう「匂い」に触れた気がしている。
そして、シナハンのあい間を縫ってスタッフと打合せを重ね、登場人物やストーリーを練りあげていった。浅草のホテルを引き払う一週間前に、私は「ひらり」のストーリーをレポート用紙で一〇〇枚近く、びっしりと書いた。約一週間かけて書いたそれは、我ながら「よくやった!」と思う出来で、何よりも最終回までストーリー展開が見えたことが、私をすごく楽にしていた。この一〇〇枚さえひもとけば、ストーリーは行きづまることはない。何を書いていいかわからなくなって、うなされることもない。何しろ六、〇〇〇枚も書くのだから、このくらい綿密に計画しておかなければ、必ず途中で困るだろう。私はそう思い、意気揚々とホテルを引きあげ、自宅に戻った。
ところが、何ということ。この一月十八日にすべてを書き終えるまで、私はただの一回も、ただの一回もその一〇〇枚をひもとくことはなかったのである。
力士役の俳優さんたちはオーディションに合格すると同時に、相撲の稽古を始めたのだが、あまりの迫力に、それを見学しただけで、ストーリーが変わり始めた。そして石田ひかりちゃんをはじめとする出演者と雑談などをしているとまたどんどん変わる。その方々の雰囲気や匂いが、「こんなことも出来そう」とか「こうしたら似合いそう」とか、思わせてくれるのである。そのうち、収録が始まって、実際に動き始めた俳優さんを見たら、もうもう変わりっぱなしである。
結局、連続一五一回の第一回目から、あの一〇〇枚は根こそぎといっていいほど変わってしまったのである。それこそ「匂い」を無視して、机の上で練りあげたストーリーの役に立たなさを今回ほど実感させられたことはない。
また、橋田寿賀子先生に、書く前に頂いたアドバイスは大きかった。
「内館さん、出し惜しみしちゃダメよ。六、〇〇〇枚も書くんだと思うと、ついつい出し惜しみをして、話を長く持たせようとするものなの。でも、それはダメよ。どんどん出して行くの。後は後で、必ずもっといい話が出てくるものだから」
私の一〇〇枚は、間違いなく水増しのストーリーであった。
「転ばぬ先の杖」の一〇〇枚を捨て、先が見えぬままに六、〇〇〇枚を書くのは恐かったが、非常にときめくことであった。登場人物が作者の思いを無視して勝手に動く快感を、今回ほど味わったこともない。
いい仕事をさせて頂いた。
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