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旅路56

时间: 2019-12-29    进入日语论坛
核心提示:    18十月の声をきくと、横浜の白鳥舎の奥向きは、なにがなしに慌《あわただ》しくなった。遅れていた、伊吹きんの弟の亮介
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    18

十月の声をきくと、横浜の白鳥舎の奥向きは、なにがなしに慌《あわただ》しくなった。
遅れていた、伊吹きんの弟の亮介がアメリカへ出発する日も、いよいよ十月下旬に横浜を出航するアメリカ船プレジデント号と決まり、亮介と一緒に伊吹きんもハワイへ出掛けることになっていた。
例のハワイへ建てる亮介のビルに、白鳥舎の支店を出すという計画の下見を兼ねてであった。
きんとしては、はる子に同行してもらい、支店を彼女にまかせたい希望が強かったのだが結婚を間近に控えているとあっては止むを得なかった。
なにしろ、きんとしては生れてはじめての外遊のわけだし、食事もパンや肉類が苦が手とあって、米、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》から、玉露、煎茶《せんちや》の類まで持参する始末だった。
出帆の日が近づくと、きんは何も手につかなくなってしまい、かわりにはる子が荷造りやら、外遊手続やらを引き受けなくてはならなくなった。
はる子にとって毎日が、まるで眼のまわるような忙しさだった。
そのお蔭で、いつか病院の廊下で垣間見《かいまみ》た伊東栄吉と尾形和子のことを、忘れるともなく忘れることが出来たし、また、あの場合、伊東栄吉の立場としたら、ああするのもある程度は仕方がなかったのだと思えるようにもなった。
ちょうど、そんな頃、伊東栄吉から久しぶりの電話があった。
店が閉ったら、元町のいつものコーヒーショップで待っていてくれとのことだった。
心にもゆとりのできていた時期だったので、はる子は伊東のこの言葉を案外素直に聞くことが出来た。
コーヒーショップのドアを押すと、すでに伊東が来て待っていた。
はる子を見つけて、嬉《うれ》しそうに奥のテーブルから手を振った。その顔を見たとたん、心の片隅にまだ幾分かは残っていた蟠《わだかま》りが、風に吹き散らされた霧のように消えてしまった。
「はるちゃん、告別式に来てくれたんだって……?」
伊東がすぐに言った。
「ちっとも知らなかったんだ……どうして声をかけてくれなかったんだい?」
「なんだか、すごく忙しそうにしていたから……それに人も随分大勢いたし……」
「うん……」
伊東はちょっと物足りなさそうな顔つきだったが、すぐに元の微笑にかえった。
「法事どうだった……尾形先生のことで約束もはたせず、ごめんよ……」
「そんなこと……尾形さんは栄吉さんにとって大恩人なんですもの、当然よ……。おかげさまで、法事は無事にすんだわ。それから、雄一郎は釧路へ転勤になったの……千枝と岡本良平さんとのことも、南部駅長さんがうまい具合にして下さったし……」
「ほう……?」
「時期を見て仲人をしてくださることになったの……それまで、千枝は機関手の吉川さんのお宅へ女房見習に御厄介になっています」
「なるほど、女房見習か……そいつはいい……」
伊東は面白そうに笑った。
「その後、尾形さんの奥さまやお嬢さまは……?」
はる子はちらと伊東を見た。
「うん、それがねえ……」
伊東の表情がみるみる沈痛な色に変った。
「とうとう昨日、麻布《あざぶ》のほうの小さな家に引っ越されたよ、駿河台《するがだい》のお屋敷は売り払われてしまってね……尾形先生は生前かなり派手な方だっただけに、余分な金を残して居られなかったし、それどころか、少なからぬ借財もあることがわかったんだ……頼りになる御親類も無いし、それまで尻尾《しつぽ》を振っていた連中がみんなそっぽを向くような始末でね……大原という秘書なんかでも、典型的なその一人なんだ。人間、落ち目になると、冷たいもんだなあ……」
「まあ、そんなことになっていたの……ちっとも知らなかったわ……」
はる子は複雑な気持だった。
尾形の娘に対しては、けっして快い感情は持っていなかったが、しかし、そのような不幸な境遇になっていると聞くと、ひどく可哀《かわい》そうな気がした。
尾形が死ぬと、まるで手の平をかえしたように見向きもしない人間たちが憎かった。
「まあ、当分は弔慰《ちようい》金や恩給などでなんとかやって行かれることと思うが、いつまでそれが続くか心配なんだ……」
「栄吉さん、今度のことでは尾形さんの御遺族のために随分よく働いたんですってね……告別式の帰りに南部駅長さんからうかがったわ」
「いや、俺なんか微力で、何のお力にもなれやしない」
「でも、奥さまやお嬢さまは、栄吉さんのことをとても頼りになさっていらっしゃるんでしょう……」
「なにしろ、奥さまの味方といったら、南部の親父《おやじ》さんと僕くらいだからなあ……」
伊東は哀《かな》しそうに眼を伏せた。
「なんだか世の中が信じられなくなったよ」
「だけど、栄吉さんは立派だわ……たとえ一人か二人でも、栄吉さんのような人間が居るってことは、世の中がそれほど見捨てたものじゃないってことだと思うわ」
「そうかなあ……」
照れくさそうに苦笑しながら、首をかしげた。
「俺にはよくわからん」
「栄吉さんがわからなくっても、私にはよくわかるわ……でなきゃ、いつまでもこうして……栄吉さんのこと待ってやしないわ……」
はる子は言い終って、急に赤くなった。
「いやだわ……恥かしい……」
「馬鹿だな、恥かしいことなんかあるもんか……」
伊東は笑ったが、ふと表情をあらためると、
「はるちゃん、実は俺……君に頼みがあるんだ……」
と言った。
「なに……頼みって……」
「…………」
「ねえ、なんなの、栄吉さん……」
「それがね……はるちゃんに済まなくって……」
ひどく言いにくそうにしているのが、ますますはる子の不安をかきたてた。
「栄吉さん、言って、いったいなんなの……ねえ……」
「うん、実は……」
伊東がようやく顔をあげた。
「俺、欧州へ発つことになったんだ……」
「えッ、なんですって……欧州?」
「ちょうど、はるちゃんが北海道へ帰っている留守なんだ……本省の運転課長の結城《ゆうき》さんから呼ばれて、ヨーロッパへ超特急列車の研究に行く視察団に参加するよう命ぜられたんだ……」
「栄吉さん、なんでそれをもっと早く言ってくれなかったの……急にそんなこと言ったって……」
「すまない……俺は最後まで今回の視察を辞退するよう頼んでいたんだ、その返事が昨日来て……」
「やっぱり駄目だったのね……」
「実は、俺、だいぶ前に列車のスピード・アップについて試案を本省へ提出したことがある。東京・大阪間の列車は、現在、特急富士で東京・神戸間、上り十一時間三十八分、平均時速五十三キロで走っているんだが、それを九時間に短縮する案なんだ……」
「九時間……?」
「本省の上役たちは、みんな夢だと思って相手にしなかった。ところが結城さんは俺よりもっと早くから、その案をねっておられたらしいんだ。それがたまたま俺の試案を目にされて、直ちに研究する気持になられたらしいんだな……」
「まあ……」
はる子はいつか伊東の話の中にひき込まれていた。彼がそんな大きな計画の立案者だったことが嬉しかった。
「それで……?」
「現在ヨーロッパには、フランスのパリ・シェルブール間を平均時速百十三キロ、イギリスのロンドン・スウィントン間を平均時速百六キロで走っている列車がある。その実物を視察し、研究するために本省から極秘に視察団が編成された……主として技術関係者なんだが、その中に俺も加えられたんだ……」
「そうだったの……」
はる子は胸の中の最後のわだかまりが落ちたような気がした。
「あたし、もしかしたら、尾形さんのお嬢さんのことでそうなったのかと思ったの……」
正直にはる子は言った。
「栄吉さんがどうしても、尾形さんのお嬢さんと結婚しなければならない立場に追い込まれて……それで、私にあんなことを言ったのかと……」
「馬鹿だな……」
伊東は驚いたように眼を瞠《みは》った。
「そんなことを考えていたのか……そりゃあ、はるちゃんと俺とは、まだなんでもない間柄だ……しかし、俺はねえはるちゃん、君のことをもう他人とは思っちゃいないんだよ……」
「栄吉さん……」
はる子の胸に強い感動の波が打ち寄せて来た。
「それで、欧州へ行くのはいつ?」
「正式の日取りは未定だが、案外早くなるらしい……」
「どのくらい行っているの……?」
「だいたい十か月くらいだそうだ……」
「そうすると、来年の夏頃ってわけね……」
「そういうことになるな……」
伊東はつらそうに眼を伏せた。
「俺が最初にはるちゃんに頼みがあるって言ったのは実はそのことだったんだ……」
「結婚がそれまでお預けってことね……」
「うん……とにかく外に出よう、此処《ここ》ではちょっと話せないこともある……」
先に立って外へ出た。
はる子は伊東より、すこし遅れてついて行った。
なにから話してよいのか、その思いは、伊東もはる子も同じだった。心があせればあせるほど、話はとりとめのないものになってしまう。
二人は夜の町の中をあてどもなくさまよい歩いた。
ふと気がついた時、二人はとある神社の鳥居の前に来ていた。そして、どちらともなく鳥居をくぐり、神前で手を合せた。
互に相手の仕合せと無事を祈り、一日も早く一緒になれる日を神に祈った。
はる子が先に顔をあげた。
「十か月なんて、長いわ……とっても長い……怖いみたいに長い……」
「はるちゃん……」
「栄吉さんが北海道から東京へ行ってしまって……なんのあてもなく、待っていた頃にくらべたら、今度は十か月って、ちゃんと先がきまっているのに……それなのに、こんなにつらいのは何故かしら……」
「はるちゃん、それを言うなよ……そう言われると、俺……なんといっていいか……」
「ごめんなさい、あたし、やっぱり年をとったのかしら、年をとって愚痴《ぐち》っぽくなっている……そうなのね……」
はる子は急に深い悲しみに襲われた。
「尾形さんが歿《な》くならなかったら……あたしたち、今頃、もう、ちゃんと式を挙げて夫婦になっていたかも知れないのに……」
涙があふれて来て、一筋二筋頬をつたった。
「はるちゃん……」
「あたし……せめて、栄吉さんの奥さんになっていたかったわ……一日でもいい、一時間でもいい」
「はるちゃん、夫婦になろう……」
伊東が突然言った。
「えッ……」
「仲人もいない……親、兄弟、親類もいない……けど……婿《むこ》さんと嫁さんはここにちゃんと居るじゃないか」
そう言うと伊東は、あっけにとられているはる子の前で、神前に供えてある三宝《さんぼう》の上の瓶子《へいし》と土器《かわらけ》を取り、
「すみません、ちょっとお借りします……」
頭を下げてから、土器をお水屋で洗った。
「さあ、これで三々九度の盃事《さかずきごと》をしよう……」
「ええ……」
はる子にも、ようやく伊東の言うことの意味がのみこめた。
それと同時に全身が熱くなった。
伊東は土器に酒をつぎ、まず自分が口をつけてはる子に廻《まわ》した。
はる子が口をつけた器から、伊東も酒をすすった。
正式のやりかたは知らないが、三度ずつ三回、互いに盃を交換して、再び神前へ三宝を返した。
「さあ、これでよし……室伏はる子は、今日から伊東栄吉の妻だ、いいね……」
「ええ……でも、なんだか寂しいわ……二人っきりの式なんて……」
「寂しいもんか……俺が居るじゃないか……」
「栄吉さん……」
はる子は伊東を見上げた。
「待っています……十か月なんて、すぐよね、すぐ終ってしまうわ……」
「はるちゃん……」
その胸に、はる子は夢中ですがりついて行った。
「ね、お願い……早く、早く帰って来て……」
はる子は生れてはじめて、我を忘れた。洋服にしみついている伊東の匂《にお》いに、思わず知らず、体のしんまでが痺《しび》れて行くような気がした。
伊東の胸のあたりから、力強いが、かなり速度を増した動悸《どうき》が聞えている。それが、更にはる子を息苦しくした。
「はるちゃん……」
伊東の両腕が、しっかりとはる子の体を抱き締め、しかも徐々に力は強められた。
「どんなことがあったって、俺は君をはなさないよ」
伊東の腕の力がふっと抜けた、と思ったとたん、はる子の唇は、伊東の燃えるように熱い唇でおおわれた。
「待ってておくれ、かならず帰ってくるから……」
はる子は、その時、どういうわけか故郷の初夏の海の光景を想い出していた。
波は陽に煌《きらめ》き、しずかなうねりを見せながら、荒い岩肌へ打ち寄せている。
音は聞えず、濃い潮の香だけがはっきりとはる子には想い出せた。
更にそれと重なり、少女時代のことが、次々と走馬燈のように頭の中を回転しはじめた。
「栄吉さん……」
自分が少女であるような錯覚にとらわれながら、はる子はそっと呟《つぶや》いた。
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