再び重右衛門日記
九月十七日
常治郎、今日も床に臥す。吾《われ》も起き難し。胴の間に出ずるさえ物憂《ものう》し。岩松、吾が体を半刻余りも擦《さす》り呉るるなり。
岩松に、何故《なにゆえ》に疲れざるやと問えば、吾は熱田神宮の守り厚ければと、言葉少なく答えたり。信心|篤《あつ》ければ、不安少なきものなり。不安少なければ、顔の色艶《いろつや》又よきものなり。されど岩松は、只《ただ》信心のみにて健《すこ》やかなるや、天性《てんせい》心のうちに動ぜざるものありて、健やかなるや、計り難し。いつまでも心の底のぞき難き男なり。