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国盗り物語26

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:天《てん》沢《たく》履《り》 秋が闌《た》けて風が冷たくなった。そういう、冬晴れといった感じの朝、庄九郎は土岐頼芸の機《
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天《てん》沢《たく》履《り》

 秋が闌《た》けて風が冷たくなった。
そういう、冬晴れといった感じの朝、庄九郎は土岐頼芸の機《き》嫌《げん》を伺うべく鷺山《さぎやま》城に登った。
大手門を入ると騎馬五十騎を収容できるほどの平地があり、すぐその上は岩盤をけずった石段になっている。
庄九郎は、のぼった。のぼりながら石垣の上の松を見あげると、翠《みどり》が天のなかでかがやいている。
(いい日だ)
なにかおこるだろう、という予感が、庄九郎の胸に点灯《とも》った。
いや、この男の場合、事がおこるのではなく、事をおこすのである。正確にいえば、今日は自分がなにかを仕出かす、という予感であった。
頼芸は、館《やかた》で酒をのんでいた。そのそばに深《み》芳《よし》野《の》が、琴を横たえて侍《はべ》っている。
「おお、勘九郎」
と、頼芸はうれしそうに手をあげた。
「よいところに来てくれた。退屈《ぶりょう》にこまっていたところだ」
「ご退屈とはおそれ入りまする。これに深芳野さまがいらせられまするのに」
と庄九郎は、頼芸の言葉《ことば》尻《じり》をつかまえて、チクリと皮肉をきかせた。
退屈、とは深芳野への侮辱であろう、というのである。
頼芸もかすかにあわてた。気のよわい男なのだ。
「いや、深芳野も退屈していたのだ」
「どなたに?」
とは庄九郎はいわなかった。だまってにこにこ笑っている。
「勘九郎はいつになく機嫌がよさそうだな」
「拙者の瞳《ひとみ》が青うございましょう」
「瞳が?」
「左様。今朝の天は雲一つなく、お城の翠が眼に染まるようでありました。こういう日は手前、佳《よ》いことがある、という信心をむかしから持っております」
「おもしろい男だ。朝、登城するときにその日の運命《ほし》がわかるのか。いったい、人間には運命というものがあるのか」
「ござる」
うそだ。
庄九郎は、人間に運命があるとはおもっていない。シナ渡来の甘い運命哲学などは弱者の自己弁護と慰安のためにあるものだと信じている。
庄九郎は運命を創《つく》らねばならぬ側の男だ。シナ人のいう運命などがもしあるとすれば、徒手空拳《くうけん》のこの庄九郎など死ぬまでただの庄九郎でおわらざるをえないではないか。
(それではこまるわ)
不敵に、肚《はら》の底で嗤《わら》っている。
が、土岐頼芸のような退屈な貴族にとっては、運命論はかっこうな娯楽である。ときどき自分で易もたてるし、陰陽師《おんみょうじ》をまねいて星《せい》宿《しゅく》を占わせたりしている。
「運命《ほし》は、ござる」
といったのは、土岐頼芸へ迎合したまでのことだ。
もっとも、庄九郎にとって頼芸は運命論者であってくれたほうがいい。今後どういう事態になっても、
——これは自分の運命《ほし》だ。
と、自分であきらめる美質を持ってくれるほうが、万事都合がよい。
「勘九郎、今日はそちの学識のなかから、易経のはなしでも聴こうか」
「いや、それでは深芳野さまが退屈なされましょう」
「では、筮《ぜい》を立ててくれるか。そちはいま天気がよくて上機嫌だと申した。天象、人《じん》気《き》、良し。こういう日、こういう人物に筮をたててもらうとよくあたるものだ」
「では、略筮《りゃくぜい》にて八卦《はっくわ》を出しましょう」
「おお、承知してくれたか」
頼芸は、侍臣に用意を命じた。
すぐ、朱塗りの経机の上に道具がのせられて、小姓たちの手で運ばれてきた。
庄九郎は、頼芸に一礼し、北面して経机にむかった。
筮竹は五十本ある。
そのうちの一本をぬきとり、青銅製の筮筒《ぜいづつ》のなかに立てた。
太極《たいきょく》(宇宙の大元霊)のつもりである。
残る四十九本を左手につかみ、先端を扇がたにひらき、これに右手の四指を外側から添えて親指を内側にあて、ひたいの高さに捧《ささ》げて、呼吸をとめ、臍《せい》下《か》に力をこめた。
眼をつぶり、心気を充実させてゆき、やがて、
「………!」
と気を発して、筮竹の束を一気に割る。
あとは、きまりきった作業が残っている。右手のぶんを静かに机の上に置き、その中から一本ぬきとって左手の小指と無名指のあいだにはさむ。これが「人」になぞらえられる。左手に残った筮竹は「天」、右手のものは「地」。この天と人《じん》を合し、八本ずつ数えて行って、最後に八本に満たぬ端数が残るまで数え、かぞえて残った端数によって卦《くわ》をたてるのである。
「ほう、天沢《てんたく》履《り》、と出ましたな」
と、頼芸の顔をみた。
頼芸はうなずいた。天沢履のおよその大意は、この閑人《ひまじん》にはわかっている。
——おとなしくしておれば諸事好転する。
という、意である。まず、小吉というところであろう。
ところが庄九郎は、「天沢履」に特別な意味を読みとったのか、なにやら複雑な微笑をただよわせて、頼芸をみつめている。
「どうした、勘九郎」
「いや、殿の御運、かようによいとは思いもよりませんでしたな」
「ふむ? わしにはわからぬが」
「なんの、殿ほどのお方が、おわかりにならぬはずがありませぬ。とくとお身の上に照らして、この卦を味わわれまするように」
「これは意地がわるい。これはわしに出た、卦じゃ。謎《なぞ》めいたことをいわずに、なぜ明かしてくれぬ」
「いや、手前が申しましては興ざめでございます。ご自分でお考えありますよう」
「天沢履」
……わからない。

その夜、頼芸は考えた。
庄九郎が、退出するときに、小声でもらしたひとことが、謎解きのかぎ《・・》である。
「お兄君のお屋形様のこと」
ただそれだけであった。
お兄君のお屋形様、とは、美濃の守護職土岐政頼のことである。
(兄がどうしたというのか)
政頼は、美濃一国の本城ともいうべき川手城(現在岐阜市)にいる。これが美濃の太守である。
平凡で面白《おもしろ》味《み》のない男だ。
かつて兄弟の父政房が、政頼をきらい、弟の頼芸を跡目に立てようとした。このため美濃一国の豪族が両派にわかれて争い、長井利隆などは頼芸派の旗頭であった。
ついに美濃一国の乱に及ぼうとしたので、京で虚位を擁する足利将軍が調停し、兄が継ぐことが順当だろうということで、政頼が川手城に入って守護職になったわけである。
頼芸は、おもしろくない。
出来《でき》星《ぼし》の大名とはちがい、頼芸はうまれついての貴族だから領土慾などはこれっぽっちもない男だが、名誉慾だけはある。むしろ物慾を置きわすれたような男だけに、名誉慾は人一倍つよい。
(おれは守護職になるべき男だった)
というほこり《・・・》があり、自然、兄の政頼に対し家来の礼をとらず、川手城にも出むかないのである。
鷺山城内で酒色と遊芸に日を送っているのも一つは兄へのあてつけであり、一つはそんな方法でしか、ふんまん《・・・・》を消す手段をもっていないからだ。
わるいことに、美濃侍の半分はこの頼芸の自暴自棄に似た生活に同情的で、
——いかにもお気の毒に存じまする。
などと面とむかっていう者も多い。
それだけに頼芸は、あきらめきれない心境でいる。
(西村勘九郎はそのことを言ったのか)
とすれば容易ならぬことだと思い、頼芸は周易関係の書物をひっくりかえして調べてみた。
意外なことを知った。「天沢履」には、おどろくべき意味がふくまれている。「先人のあとを継承する」という。
(兄の政頼を追ってわしが守護職になるというのか)
しかも諸事、長者の指導に従え、という卦である。この場合、長者とは、庄九郎こと西村勘九郎である、ととれないことはない。
(大変な卦が出たものだ)
頼芸は、そろそろ暗示にかかりはじめた。
もっともこの卦に「女人、裸身の象《かたち》をとる」という意味もある。自分の妻妾《さいしょう》が多情不貞の働きをするおそれがあるというのだが、頼芸はつい見のがした。自分の諸条件からみて、考えられぬことだと思ったのである。
 翌日、頼芸はいった。
「勘九郎、解けたぞ」
「は?」
庄九郎は、頼芸のいう意味が解《げ》しかねている様子を作ってみせた。
「なんのことでございましょう」
「いや」
むしろ頼芸のほうがあわてた。解いた「意」が、重大すぎることだからである。
「わすれてもらってはこまる。きのう、そちが立ててくれた卦のことよ」
「あああのこと。いやこれは」
庄九郎は苦っぽく笑った。
「痛み入りまする。ほんの座興でござったのに、殿はよほど占易がお好きとみえまするな。あれをそれほど深くお考えでござりましたか」
「あとで調べもした。考えもした」
と、頼芸はあくまで知的遊戯のつもりで無邪気に膝《ひざ》をすすめた。
「勘九郎、あれはわしはこう解いたが、きいて賜《た》もれ」
「お待ちくだされ」
庄九郎は、手で制した。
「殿」
「なんじゃ」
「それ以上は申されますな。殿のお命にかかわりましょう」
「なに。——」
頼芸は意外な顔をした。もともと遊戯で立てた卦なのである。それがどう出ようと、それだけのことではないか。
「勘九郎」
と頼芸は、庄九郎の物々しい表情を消そうと努めた。
「そちは座興で立てた。わしは座興で調べたまでのことだ。それを座興できいてくれればよい」
「わかっております。この勘九郎はわかっておりますが、人は何と思うかわかりませぬ」
「勘九郎、戯《ざ》れごとじゃというのに」
「殿。易は天の声を聴くと申す。されば殿は、たわむれに天の声をお聴きあそばした、というのでござりまするな。つまり天をおなぶりあそばした」
「勘九郎、そちもあれは座興、とたったいまも申したはずではないか」
「左様、手前にとっては座興でござった。しかし占って進ぜた相手は殿。殿にとっては、出た卦がどうであれ、天の声には相違ありませぬ。それを軽々しゅう口に出されることは、おそれながらお命にかかわることだ、とこう申しあげておりまする」
「…………」
当然なことだ。卦は、解釈によっては、
反逆
ということになる。
「勘九郎、わかった。いわぬ」
と、この貴人は、叱《しか》られた子供のような顔をしてうなずいた。
「おわかりくださいましたか」
「わかったとも」
「いやこの勘九郎めも、おわびせねばなりませぬ。かように身にあまる知遇を受けていながら、いまのいままで殿の御心中を察し奉らず、ただただ汗の出る思いでござりまする」
「………?」
と、頼芸はぼんやり庄九郎を見ている。この男がなにをいっているのか、よくわからない。
「勘九郎、なんのことだ」
「申されますな」
庄九郎は痛ましそうに頼芸をみた。
「いずれ、ご本望をお遂げあそばすよう、この西村勘九郎めが微衷をつくしまする」
「おい」
そこへ小姓が入ってきたから、頼芸は口をつぐんだ。
庄九郎は、退出した。
 数日、庄九郎は病いと称して鷺山城へは登城しなかった。
そのくせ、加納城の長井利隆のほうには出仕し、何日目かに利隆が茶室に招じ入れたとき、庄九郎は思いあまったような表情で相談した。
「申しあげかねておりましたが」
と、例の一件である。
むろん、すこし咄《はなし》は変えた。土岐頼芸が、易の「天沢履」にかこつけて、自分が守護職になりたいという大望を庄九郎に打ちあけた、というのである。
長井利隆は、むろん頼芸への同情派だからこの話を素直にうけとった。
むしろ悲痛な表情をして、
「まだ殿は、お諦《あきら》めならなんだとみえる」
といった。
「ほほう、それほど根の深いお望みなのでござりまするか」
「根が深い、というわけではないが、お父君が頼芸様におあとを譲りたかったことは歴々としたことだし、わしも、あのとき、先代お屋形さまからじきじき頼芸様擁立を頼まれ、いろいろ力をつくしてみた。ところが美濃が二つに割れそうになったので、やむなく将軍家のお調停《なかだち》に従い、頼芸様にあきらめてもらった。頼芸様にすればそういうことがなければお人柄《ひとがら》からいっても守護職などをお望みなさるはずがないのだが、かついだわれわれがわるかった。いまのままではさぞお寝醒《ねざ》めのわるいことであろう」
「伺いまする」
「おお、なんでも申してくりゃれ」
「美濃の守護職には、頼芸様がふさわしいかいまのお屋形様がふさわしいか、どちらでございましょう」
「それはきまっている。われわれが頼芸様なればと思い、ああいう無理を押してでも船田合戦(先代政房のときの相続さわぎ)の二の舞をやったのだ。美濃という国には、頼芸様こそふさわしい」
いや庄九郎の見るところ、頼芸にしろ政頼にしろ、似たりよったりだが、ただ頼芸には太守らしい教養がある。おなじ凡質でも、教養のあるほうがまだしも、というのが利隆の気持であろう。
「いや、わかりました」
と、庄九郎はそれ以上はきかず、この話を打ち切った。
なぜといえばこれ以上、この問題を追いつめて、
——されば拙者が。
などといえば、長井利隆は美濃の分裂をおそれ、
「いやいや、手荒なことはならぬ」
と釘《くぎ》をさすにきまっている。雑談の域にとどめておいたほうが、仕事に都合がよい。
(これで長井利隆が暗黙に諒解《りょうかい》した、ということになる)
このあと庄九郎は、鷺山城に出仕した。
「体はどうじゃ」
と、頼芸は心配した。
「いいえ、まだはかばかしゅうはござりませぬ」
「医に診てもらえ。なんなら、曲直《まな》瀬良玄《せりょうげん》を差しつかわそうか」
頼芸の典医である。
「いや、良玄どのの薬でもそれがしの病いはなおりますまい。おそれながら、この病い、殿のご本望が達せられますれば、その日になおるかと存じまする」
「本望とは?」
「例の天沢履」
と庄九郎は頼芸からそっぽをむいてさりげなく言いすて、そのあとすぐその言葉を揉《も》み消すように、声量をあげて別の話題に転じた。
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