元来、メカニックなものには弱い。SFに精通し、車を運転し、パソコンでひと晩中遊ぶことのできる若い女の子たちを見ていると、つくづく自分の同時代性のなさに悲哀を覚える。
先日など、銀行の両替機の前に立ち、しばし茫然《ぼうぜん》としてしまった。どう操作すればいいのか、まったくわからない。ピッピッと鳴るボタン音にいちいちビクつきながら後ろを振り返る。客が列を作って、順番を待っている。焦ってボタンを押し違える。もうパニック寸前であった。
こんな人間がどうしてワードプロセッサーなる複雑きわまる機械を操作してみようと決心したか、というとこれはひとえにうちのツレアイの影響である。同業者である彼はお話にならないほどの悪筆で、常日頃から編集者の方々に多大な迷惑をかけていた。
いつもそのことを深く恥じていた彼は、ある日、借金してでも、ワープロを買うぞ、と奮起。早速、秋葉原に飛んで行き、富士通のオアシス100Sなる立派なワープロを購入してきた。
正直に言って私は何の興味もなかった。人差指でぽつんぽつんとキイを探して叩いている暇があったら、手書きで十枚は書ける、などと思っていた。肉筆で書いた原稿の、あの自分の文字からたちのぼる匂いがなかったら、原稿なんて書く気がおこらない、とも思った。
だが、機械というものは面白いものだ。操作を誤ったからといって、爆発するはずもない。ならば、ちょっとだけ触ってみるか、という気分にさせてしまうところがある。
彼のワープロを借りていたずらにキイボードを叩いているうちに、みるみるうちに指が文字を覚えていった。それは本当に不思議な感覚で、たとえて言えばピアノの鍵盤《けんばん》の位置を頭ではなく指が記憶していく過程に似ていた、と言っていい。
時折、夢の中にキイボードそのものが現れ、指が文章を生み出していく様子が浮かんだ。それはかつて経験したことのない、感動的な光景であった。
その後、約二週間でほぼ完全に指はキイの位置を覚え、一、二か月で、片手三本、計六本の指を使いこなすことができるようになり、半年で合計八本の指の使い方をマスターすることができた。
結局、半年後に私は自分専用の同機種のワープロを買った。愛用していた原稿用紙や2Bの芯が入ったシャープペンシル、手垢《てあか》が適度について丸まった消しゴムなどをひとまとめにして押し入れに放り込んだ時はいささか寂しさを覚えたけれど、今ではこの機械がないと仕事にならない。
頭で考えた文章が、一瞬後にはもう指先を通してディスプレイに表示されるのだ。名文は名文のままに、駄文は駄文のままに……それがあまりにはっきり見えすぎるから、時々、怖くなることもあるのだが。