どら声がかかって、陽子ははっと我に返った。
杭《くい》を打ち、土を突き固めた岸壁の下に小さな船が見えた。四人ほどの男が甲板で働いている。なかのひとりが陽子を見あげていた。
陽子は堅い表情でうなずく。次の船は五日あとまでない。この五日が運命を決するだろう。
「跳《と》べるか、坊主。乗りな」
一瞬、意味を把握《はあく》できずに陽子は船乗りを見た。
「急ぐんだろう。ちがうのかい」
陽子はうなずいた。船員は岸の杭にむすびつけたロープの端をにぎっている。
「そいつを外して飛び降りてきな。フゴウで追いつける。乗せてやるから働けよ」
船員が言うとほかの船員がかるく笑った。陽子は力をこめてうなずく。足元の杭に巻かれたロープを外し、それをにぎったまま甲板に飛び降りた。
船は阿岸の北にある浮濠《ふごう》という島まで荷物を運ぶ貨物船だった。浮濠は巧国の北端、阿岸から一昼夜がかかるそこからは雁国まで寄港する場所はない。
陽子には修学旅行のフェリーをのぞいて船に乗った経験がなかった。まして、帆船《はんせん》に乗ったのは生まれてはじめての経験である。
わけがわからないまま船員に言いつけられるたびに物を取ったりかたづけたり、コマネズミのように働かされた。沖合いに出て船の操舵が落ちつくと、鍋を磨《みが》けだの食事を作れだの次から次へと雑用を言いつけられる。あげくのはてには年かさの船員の脚までさすらされたが、事情を問う声に陽子が生返事を返していると、無口な坊主だと笑って、それ以上は詮索しないでおいてくれたのがありがたかった。
船は一昼夜、休みなしに海上を走りつづけて翌朝浮濠の港に入った。
港では一足先についた雁国行きの船が静かに停泊していた。船員たちはギリギリまで陽子をこき使ったあげく、接岸せずに停泊している旅客船の横に船をつけてくれた。旅客船の船員に声をかけ、陽子を乗せるように口をきいてくれる。旅客船から下ろされた棒にすがって船をうつると、小さな包みを投げてよこした。
「饅頭《まんじゅう》だ。中で喰いな」
陽子を船に乗せてくれた船員がそう言って手をふる。包みを抱いて陽子も手をふった。
「ありがとう」
「お疲れさん。気をつけてな」
賑《にぎ》やかに笑って防舷物《ぼうげんぶつ》──それを下ろしたのは陽子だった──を引きあげる男たちが、陽子が巧国で出会った最後の人たちになった。