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男とは何か11

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:第十一信転職について 昨夜君が言っていたことが気になるのでこの手紙を書く。 君の話だと、同期に入社した仲間のうち二人が暮
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 第十一信転職について
 
 昨夜君が言っていたことが気になるのでこの手紙を書く。
 君の話だと、同期に入社した仲間のうち二人が暮れに辞めていったそうで、しかもそのことに対する君の感想が「なんだか分るような気がするんだ」というあたりに私はひっかかった。
 私のところでも十二月一杯で退社する社員がかなりいたが、これは一種の季節現象で、どこの企業でも毎年似たようなことを体験しており、プロの人事担当者はそのことをすでに織り込み済みで、その目減りを来春入社の新卒でカバーできるよう人事計画を立てているはずだ。十二月に退職者が多いのは、言うまでもないが冬のボーナスを貰ったところで辞めようという人間のせいで、結婚による女子社員の退社はだいたいこの時期に集中するし、どこかよそからスカウトされた場合も、折角だからボーナスを貰ったところで、と考えるのは人情というものだろう。
 ただ、君達のような新卒で入ってまだ一年にもならない若い人が、その十二月退職組に入るのは大いに問題だと思う。
 私がこの三十年会社で見てきたことから言えば、入社一年未満の新卒者の退社動機は、次に挙げるパターンのどれかに属する。
 その一つは上司や先輩とどう努力してもソリが合わず半分ノイローゼになりかかって辞めるケース。一つは入社する前に抱いていた会社へのイメージ、あるいは自分がやらされる職務内容が、入ってみたらまるで違うという幻滅ケース。在学中から、この業種のこの職種と狙いを絞っていたにも拘《かか》わらず、一流はおろか二流三流の会社にまで蹴られ、さりとて就職浪人の許される身分でもないから渋々最初の狙いとは程遠い会社に入ったものの、初志が忘れられずに再挑戦してみようというケース。他に、就職しても学生気分が抜けきらないまま、趣味でやっていたバンドを職業にしようというのもいるだろうし、ゆくゆくは親の跡を継ぐことのきまっている青年が“他人の飯を食う”という意味で就職したものの、元来腰がきまっていないから早々と逃げ出したくなるというのもいよう。
 ま、親の跡継ぎや音楽家志望には、どうぞご勝手に、と言うしかないが、他の三つのケースで辞めていく若者達には言いたいことが山ほどある。
 一番目の社内人間関係に絶望するケースだが、たしかに企業の中には妙なのが混じっていて、中学校のイジメとあまり変わらないようなゴタゴタはどこの会社にも必ずある。だが企業は学校と違って、それがもし本当にいわれないイジメだったりしたら見逃すはずがない。イジメの常習者に気づかないでそれを野放しにしているようでは人事担当者として落第だから、要注意人物のやるがままにさせておくはずがない。それに、新入社員は高い採用コストをかけて入社させ、さらに手間と金をかけて一人前に磨き上げている段階だから、一文のモトも取らずに辞めていかれたのでは、会社としては算盤《そろばん》が合わない。従って、新入社員の方が音を上げる前に会社側はなんらかの手を打つはずで、もしそれが行なわれているとすれば、辞めたがる新入社員の側の過剰反応、被害者意識による思い込みという可能性が高い。会社とすれば迷惑な話なのだ。
 こうしたケースにおける苦情処理機関は、最近のしかるべき会社ならどこにもあるはずだし、労働組合も相談に乗るはずだから、辞めるときめる前にそうしたところへ相談するという手続きを踏むべきなのだが、近頃は至極あっさり身を退く。もったいないという他はない。
 さて二番目の幻滅のケースだが、新入社員の中途退社の理由としてはこれが近頃一番多いという話だ。もっとも本当はもっと具体的でハッキリした理由があるのに、それを言うわけにはいかないような場合に“幻滅”を言い立てるというパターンもある。それはともかく“幻滅”は、いわば思想信条という次元の高い理由だけに格好がいいということもあるのかも知れないが、こういう退社理由を聞かされると、格好がいいどころか、オツムの程度を疑いたくなる。
 だいたい近頃の学生は、会社選びに当って待遇問題とは別に、その会社の将来性についてかなり細かくチェックし、事前に会社訪問をしたり、すでにその会社に入っている先輩を学校に招いて社内情勢を聞いたりしているようだが、そんなことをやったところで会社の将来分析など出来ようはずがない。
 だいたい学生がちょっと調べた程度で、そんなに簡単に会社の現状と将来を過ちなく見通せるのなら、株で失敗する人など出てくるはずがないし、会社の中で事業方針をめぐって対立が起きたりもしないだろう。しかも近頃は業績がよければいいで、乗っ取りグループに目をつけられたりということもあるから、社員もノホホンとしてはいられない。
 毎年夏じぶんになると学生の間での人気企業ランキングが新聞に発表されるが、あれを見る限り、学生の会社研究なるものの底が知れて逆に興味深い。要するに派手に宣伝をする有名企業ばかりで、経営専門家の間ではいまはいいが先々に疑問を持たれている企業も学生の目にはよく見えるらしく、毎度麗々しく登場する。
 そのことに関連して意地の悪いことを言うと、三年前、学生がひしめき合って押しかけた企業がその間にどう変わったかを調べてみるといい。元来就職先選びというものは、入社時の業績などどうでもよく、十年後自分が一人前に力をふるえるときの会社の状態が問題であり、その結果役員の座に連なろうというとき、見るも無残に会社が凋落《ちようらく》しているようでは困るのである。
 もちろんそんな二十年先、三十年先の会社の運命など誰にも分りはしない。だから小賢《こざか》しく調べたり分析したりするよりも、学生は自分の資質能力とその会社の相性がいいかどうかを考えるだけでいいのではないか。もしその会社が悪くなったらそのときになって考えればいいことなのだから。
 われわれが就職した昭和二十年代後半の頃はどうだったか。山ヘン(鉱山)金ヘン(製鉄)糸ヘン(紡績)の全盛期で、東大、京大といった一流校の秀才は挙《こぞ》ってそこへ集まったものだった。だからいま花形の金融とか証券にしかいけなかった二流の秀才は彼等をしきりと嫉妬羨望《しつとせんぼう》したものだったが、それから二十年足らずで情勢は見事に逆転してしまった。山、金、糸共に揃いも揃って構造不況業種に転落し、金ヘンが近頃含み資産である土地の再活用でまた脚光を浴びてはいるが、一時の威勢には遠く及ばない。そしてかつての秀才エリート達はいま窓際にあって、昔心ひそかに蔑《さげす》んでいた二流の連中が肩で風を切っている姿をいまいましげに横目で見ているのだ。
 さて、三番目の“初志貫徹”ケースだが、これは一見人間として立派なように見えるが、果してそうだろうか。まず第一にいけないと思うことは、社会人として無責任だという点だ。少なくともその会社を真剣に志望した青年の一人がその人間のために望みを達せられなかったということを考えなければいけない。それにさっきも書いたがその人間を入れるためにかなりなコストをかけているわけだから、その分会社に無駄遣いをさせたことになる。二番目に気に入らないのは、ある業種のある職種と限定するならば、場合によってはその業種の中の零細規模のところヘ入って技を磨くという手もあるのに、それは考えもせずに“大樹”に腰かけとして入るという安易さだ。いまベンチャーといわれる注目企業の多くはそうやって零細から実力でのし上がってきたところが多いのだ。初志を貫くなら、まさに苦労を覚悟で“狭き門より入れ”と言いたい。
 入社後一年に満たずに辞めていく彼等を、私は危なっかしくて正視できない。もし君に彼らを弁護するつもりがあるなら聞かせて欲しい。
 
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