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創造の人生63

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:映画づくりの組織論 性格的にそれほど違いのある二人だが、不思議にウマがあった。一三歳の年齢差もあるが、共通点も意外に多か
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 映画づくりの組織論
 
 性格的にそれほど違いのある二人だが、不思議にウマがあった。一三歳の年齢差もあるが、共通点も意外に多かった。お互いに好奇心が旺盛だし、環境の変化に即応して、機敏に対応できる行動力をあわせもっている。おまけに、二人とも技術畑出身の経営者だけに、エンジニアリングマネジメントがうまい。またたいへんな自信家でもあった。そういうもろもろの共通点と、井深の持ち味である技術的な見通しや、カンのよさが、ソニーというユニークな会社をつくりあげる原動力になったのである。
 もう一つ見逃せないのは、井深の人使いのうまさである。テーマに応じて各部門から、これはと思う人材を集め、少人数のプロジェクトチームを編成、積極的に仕事に挑戦させる。このやり方は映画づくりとまったく同じであった。第二章で述べたように、映画はさまざまな職域の専門家を動員してつくる総合芸術である。制作をまかされたプロデューサーなり、演出家は、集めた専門家の能力や持ち味をうまく引き出し、自分の意図する作品を期日通り仕上げていく。そこに腕の見せどころがあるわけだ。
 多彩な夢を追い求めていた若いハワード・ヒューズが映画の魅力にとりつかれた原因も、実はそこにあったといわれている。
 ヒューズが映画づくりに関与したのは、一九二五(大正十四)年、一九歳のときである。亡父の親友だった元映画スターを助けるため資金を出してやったのがきっかけであった。
 映画撮影のため借りた貸スタジオにヒューズが出入りしはじめると、持ち前の好奇心が頭をもたげてくる。映画の仕事にタッチするからには、カメラや映写機をふくめて、あらゆる機械や装置がどのような動きをするか知っておく必要があると、夜を徹して働き出した。カメラや映写機を分解し機構を調べ、夜があける前には全部元通りにしておく。撮影がはじまれば、毎日のようにスタジオに顔を出し、俳優の演技を見たり、カメラマンたちに技術的な質問をぶつける。かと思うと、経営権を取得したフィルムメーカーの現像所に出かけ、開発中のカラーフィルムの仕上がり具合を見るなど、目まぐるしく動き回った。
 しかも、ヒューズは〈活動時間〉と、自分で名づけたスケジュールに従って生活をはじめる。新婚間もない愛妻がいるのに、二日も、三日も無断で家をあける。撮影所に泊まったり、好きな飛行機や自動車で各地を飛び回ったりしているのだ。家に戻っても一日としてくつろいだことがない。日曜日の夜中というのに、部下をオフィスや仕事場に呼び出す。相手の立場や迷惑などいっさい考えず、自分が思いついたときに、問題を片づけておかないと気がすまない気ままなプロデューサーになっていたらしい。
 そんな思いをしてつくらせた映画も、結局、陽の目を見なかった。できばえも悪いし、興行的な価値もないとヒューズ自身が判断したからだ。ヒューズは、それで映画づくりをやめるつもりでいた。そんな矢先ちょっとした事件が起こった。親戚の人たちが、映画は興行的に危険が多いし、撮影所は人間を堕落させるだけだから早くやめるべきだと忠告したことである。ヒューズは、自分のやることに他人が口をはさむのを蛇蝎のように嫌った。それだけにこの忠告に反発し、逆に映画づくりにのめり込んでいく。「正しいのは自分で、間違っているのは彼等だ」ということを、実証しなければ気がすまなくなったのだ。
 そして、ヒューズは新しい映画づくりにふたたび一五万ドルを投資する。いくつもの成功作を世に出しているマーシャル・ニーラ監督の『みんなのお芝居』がそれだ。ヒューズはこの映画製作には、いっさい口出しをしなかった。できあがった映画は好評で、興行的にも成功、前作で浪費した八万ドルの穴を埋めただけでなく、一〇万ドルの黒字さえ生んだ。気をよくしたヒューズは、自前の独立プロをつくり、本格的な映画づくりに乗り出す。その第一作が、第一次大戦でドイツの捕虜になった二人の米軍兵士を主人公にしたドタバタ喜劇『美人国二人行脚』(ルイス・マイルストーン演出)だった。
 これが大当たりした。興行的に成功しただけでなく、一九二七年度のアカデミー賞受賞作に選ばれたのだ。大金持ちの若き素人プロデューサー、ハワード・ヒューズの名は、一躍、世界に知れ渡る。ヒューズが、好奇心の旺盛な冒険者であったことも、脚光を浴びる重要なファクターになったのである。
 そんなヒューズのデビュー時代の生活態度を見ていると、ソニー創成期の井深の生き様と、共通点があるような気がしてならない。好奇心が強いうえ、反骨精神も旺盛、しかも、自分のやっていることは絶対に間違っていないと自信をもっている。そして、仕事に取り組むと、率先して動き回る。ただヒューズは、映画づくりのもつ魔力のとりこになり、失敗、成功を繰り返しながら、大物プロデューサー兼事業家として成長してゆく。だがいずれも実を結ぶことなく終わった。新しい仕事に手をつける興味はあっても、それをまとめ、伸ばしてゆくことに関心を示さなかったからだ。これも親身になって自分を助けてくれるブレーンなり、アドバイザーをつくらなかったためである。
 一方の井深は、二年足らずで映画の世界から転進し、技術者の道を選んだ。そして戦後、独立すると、PCL、日本光音、日本測定器を通じて身につけた技術や、仕事のすすめ方を新しいビジネスにうまく採り入れ、事業の拡大に役立てていった。適材適所に人、物、金を重点投入し、技術の芽を育てる経営を展開したのが、その最たるものかもしれない。
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