ひと頃、アンティークに異常な執着を持った時期があります。BRU や Gaultier のビスクドール、大正の頃の抱き人形、セルロイドのキゥピィ、GALLE や DAUM の硝子細工、オキュパイドジャパンのコーヒーカップ、円盤式オルゴォル、昭和初期の薬袋……。懐は淋しいのに朝早くから骨董市に出掛け、アンティークショップを渡り歩き、買えるものといえば価値もない錆だらけの小さなブリキ缶や手足のもげたコンポジションドールくらいなのに、もうアンティークを眼にすることだけで毎日を夢のように愉しく過ごせたのです。久しく、そんな熱病は忘れておりました。しかし嗚呼何故か、また近頃になって病はぶり返す。十七世紀のバロックスタイルやコルセットで腰を締めつけスカートに馬鹿程パニエを仕込んだ十八世紀のロココスタイルのファッションポートレイトなどを観る度、たまさか出掛けたデパートの催し物会場でのアンティークフェアに紛れ込んでしまった時、僕の頭は真っ白になり、もう何が何だか解らない。忘れていたあの恍惚が僕を虜として、無窮の過去へと誘うのです。
何故にアンティークに惹かれるのか。それはアンティークが過ぎ去りし日の残滓だからです。時間軸に於いて、現在と未来は変容する浮気もの。しかし過去はもう風化する以外、その存在を裏切ることがないのです。現代と未来は常に予期を赦さず、僕達を攻撃してきます。だけれども過去だけは、それがいくら邪なものであろうと記憶のペンキを重ね塗れば、いとも易く美しいオブジェとして静かに微笑みかけてくれるのです。ならばアンティークに焦がれることは逃避なのか。そう、全くその通り。あの時代の造形や潮流を欲している訳ではない。僕達は時間の経過を求めていたのです(アンティークに惹かれる者は常に死を夢みている。時間が流れることが恐いのだ。得体の知れぬ明日が本当に恐い。剥製になりたい。琥珀の中に閉じ込められることを切望する。死と共に過去となり、安住したい。アンティークに美を求めながら、グロテスクな風化の痕跡《こんせき》をも讃《たた》えるのは、人がアンティークに死へのオマージュを捧げるからだ)。
憶病な僕はアンティークに永遠という名の楽園を託します。僕は時折、君が死ねばいいとさえ思うのです。そうすれば僕と君の未来に震えることもなくなる。──こんなことばかり考える僕を、誰か殴って下さい。