昨日、書いたT君のような思いちがいなぞ誰にもあるものである。
これは『三田文学』に来ていた学生たちから聞いた話だが、もう数年前に慶応の経済学部の入試の一つに作文があって、その題が「経済学部への期待」というものであった。
その日、一つの教室で、答案がくばられ、若い試験監督の先生が試験開始のベルがなると共に、チョークをとって、大きく次のように作文の題を書かれた。
経済学部
への期待
もちろんこの若い試験監督が題を二行にわけて書かれたのは黒板が小さかったからにすぎない。そして次に書くような悲劇的な出来事が起ったのは、必ずしもこの先生がわるいのではない。
受験生たちは静粛に作文を書きはじめた。そして一時間後、この作文は集められ、別室に待機している採点係の先生たちのもとに送られた。
経済学部
への期待
作文のなかには福沢先生の教えを引用して実学の道は経済にありと書く者もいた。経済国日本の将来のためにこの学部で勉強したいと立派な志をのべる受験生もいた。しかしそのなかに、甚だ奇妙きわまる一枚の作文があった。
「忘れもしない。二年前、ぼくが盲腸の手術をやった時です。痛みは朝からはじまり、医者は即刻、手術をしようと言って病院に運ばれ……」
その作文には何故か、出題テーマとは全く関係のない盲腸手術の経験がくどくどと書かれていた。そして、
「手術後、ぼくも看病してくれた母も共に屁を期待しました。なぜなら、もし麻酔がきれた時、ガスが一発、腸から出れば経過は良好の証拠だと医者は言っていたからです。そしてその屁の期待がぼくを一晩苦しみに耐えさせ、屁の期待を母は一晩待ちつづけ……」
採点をする試験官は、受験場で作文の題が、
経済学部
への期待
と二行にわけて書かれた事情を知らなかった。この受験生はすっかりアガっていて、「経済学部」と「への期待」とを別々に読んだことも知らなかった。
彼が合格したか、どうか、私は知らない。しかし、もし私が採点者だったなら、この苦心の作文(しかも大真面目な)に優は与えなくても断じて良は与えたであろう。彼の懸命さは良に価するからだ。それでいいではないか。
これも『三田文学』の学生Kにきいた話。
年に一回、大学では学生の健康検査をする。女子学生と男子学生はもちろん別々の日にやる。
身長、胸囲、レントゲンなど調べられたのち、Kたちは試験管をわたされた。Kたちのすぐうしろに一人、ひどくマジメな学生がいた。各人はトイレに入り、試験管のなかにコハク色の液体を入れて紙に包んででてきたが、ひどくマジメな学生だけは十分たっても二十分たっても出てこないのである。
「どうしたんだ。あいつ」
と皆でそっとトイレのほうを見ていた。
やがて——
そのマジメな学生が額にベッタリ汗をかいてトイレから出てきた。いいですか。額にベッタリ汗をかいて。
のみならず、彼の手にしている丸い長細いあの試験管のなかにウンコがビッチリつまっていた。マジメな学生は額にベッタリ汗をかいて、それを握りしめ黙っていた。みなも気の毒になりシーンと黙っていた。
しかし一体、どのようにして、あの丸い長い試験管にウンコをつめることができるのか。私も色々な国を旅行したが、その方法がわからない。