昨日、突然、市川崑さんが狐狸庵の戸を叩いてくれた。崑さんは、三月からはじまる彼のテレビ映画に私の小説をとりあげてくれたので、そのロケハンティングに拙宅に寄ってくれたのである。
崑さんを見ていると、絶対に口から煙草をはなさない。一本すうと、もう別の煙草が口にくわえられている。手品で次から次へと指の間から煙草をだすのがあるが、あれを見ている気持である。
崑さんと日本映画界の不況、不振を嘆きあっていると、
「だから、あなたも、昔、松竹を受けて落ちてよかったですなあ」
と彼は笑った。
崑さんは私が大学を出た直後、松竹の助監督試験をうけて、みごと、落第したことを知っているのである。
全くだ。
もし、あの時、松竹に入社できていたならば、崑さんのように映画の才能のない私など今ごろ、食いはぐれて途方にくれていたにちがいない。あるいは逆に監督になるほうは失格はしたが俳優のほうに転職し、今頃は高倉健にバサッと切られる悪いほうの親分の、そのうしろにいる男ぐらいの役はもらっていたかもしれない。
今年の正月は六本ぐらい映画をみた。『華麗なる大泥棒』『ウイラード』『007/ダイヤモンドは永遠に』『ル・マン』と正月、京都・新京極でやっていた洋画を毎日、はしごでのぞいて、見るものがなくなったから高倉健の『吹雪の大脱走』まで鑑賞した。
映画館を出ると、入った時はあかるかったのに、もう日がすっかり暮れて、周りの商店に灯やネオンがついている。そんな時は必ず、少年時代、親の眼をかすめて映画に行き、見終って外に出た時のヤマシい気分と、家に戻ってからの言いわけを考え考え歩いていたことを思いだす。
あの頃、少年だった私を感激させてくれた映画と俳優よ。今はあなたたちの消息もきかないし、あなたたちの名を憶えているファンも少なくなったが、私は少年時代を考える時、あなたたちをヌキにはできないような気がする。
羅門光三郎さんよ。あなたのチャンバラ映画が私は大好きであった。あなたのチャンバラ映画を見ると、私は家に戻って、きたない風呂敷でフクメンをして、チャンバラの恰好を一人でしたのを憶えている。
高勢実乗さんよ。あのネのオッさんよ。私は今でもあなたが日本のキートンだったと尊敬している。私は尊敬のあまり、東京に行った時、成城のあなたの家を二時間かかって探し、表札をぬすんで戻ったぐらいだ。
大谷日出男さんよ。あなたの白ズキン・シリーズが来るたび、その広告が電信柱にはりつけられていて、私は土曜日が待ち遠しくてならなかったぐらいだ。
桑野通子さんよ。ニキビだらけの中学生が、はじめて世の中にこんな美しい女の人がいるのかと仰天したのは、あなたのおかげだった。私はあの頃、あなたのブロマイドをどんなにこっそり集めたかわからない。
あなたたちの映画を親にかくれてコッソリ見にいっているうち、私は自分も映画界に一生をかけようなどと夢みたいなことを考えてしまった。大学を出て松竹を受けたのはそのためである。しかしその入社試験で落第をしたため、私はそちらに行くことを断念してしまった。
残念だったなあ。